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ふわりふわり

私はとにかく軽くいたい。

物理的にも思考も、

軽くかるく。

がっつりコミュニティとか
「いつメン」とかもだいぶ苦手。

(コミュニティにも色々ある。
それ自体を否定しているわけじゃないよ!



心が軽い人が好きだ。

少しでも重いなって感じると
無意識に離れている。

一度離れたからってずっと離れているわけでもない。

ずっと一緒にいる人ももちろんたくさんいる。



「今」好きだなって思った人と
お話して、メッセージを送り合って

またね。

その「またね」が来ないかも知れないけど、
それでもいい。


執着したくない
というかできないというか。

人は、その時その時で受け取るべきメッセージや
情報が変わってくる。

だから関わる人も変わってくる。

ペースはゆっくりだったり、急に速くなったり。

どんなペースで歩いてもいいけど

ずっと一緒にいるのが当たり前になっていて
違和感が心のどこかにあるのに
定着して、無感覚になって
麻痺してるってことないですか?

私は昔、そんな人だった。

軽くなりたい自分にも気づいていなくて、
特定の人といるのが当たり前で、
ひとつの場所にいるのが当たり前で、

窮屈に感じているのに、無感覚になってた。


ある時、違和感に気づいて、
めちゃくちゃ重い事に気づいて、
思い切って離れてみたら

私って本当はもっと自由でいいんだって思えた。

自由でいいというか、
私は自由である事に気づいてなかっただけ。

大袈裟かもしれないけど。

私は、人よりも「しばられたくない」って、
特に心が自由でありたい人かもしれない。

枠が嫌で、
縛られるのが嫌で、
決まり事が嫌で、
誰かに何か言われてからするのが嫌で、
自分でぜんぶ決めたい。

でもその枠も決まり事も自分で決めてるんですよね。

常識がある世界で生きるのか
常識がない世界で生きるのかは
自分で決められる。

常識の中で、「ちがう」って戦うのもかっこいいけど。



たぶん、死ぬまで枠を外し続けると思う。

私には何の枠もない
なんて思った時には、まだ枠の中にいる。

まだ“枠”の概念があるってことだと思うから。




また書きます。


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