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時間を使うということ

「時間は作るものだ」というけれど、作ったとしてもやることがない。日々を仕事8割、家事1割、スマホタイム1割で過ごしている私は、ふと新年初のオフ3連休の中日昼下がりから途方に暮れている。

なぜだろう、ついこの前までは手帳が真っ黒だったのに。今だって平日の予定は真っ黒だ。土日だって同じく真っ黒だ(仕事か、人付き合いか、家族コミュニケーションで)。しかし、家に誰もいない土日があり、しかも3連休でいざ「どうぞ好きなように過ごしてください」と言われても、これと言ってやりたいことがない自分に気付かされた。きっと私には、趣味がないのだ。(もしくは仕事という趣味しかないのだ。)

そんな今日はどう乗り切ったかというと、午前は溜めていた洗濯物と洗い物をして、乾かした洗濯物を畳んで、時短レシピのご飯を作って、どうぶつの森をやって、メルカリの発送なんかをした。午後は、テレビを見て、でもすぐに飽きてどうにかパンを焼いた。そして発酵の時間を使ってお掃除ロボットを動かし、ネットサーフィンをし、少し居眠りをした。それでも時間はまだある。どこか行けばよかった。マッサージとか温泉とか、映画とかカフェとか……なんてことも思ったが、どうも外に出る気がしなかったし、自分はお金をかけることでしか自分の時間を納得いくものにできないかのように思って少し虚しくなった。

そしてふと思った。
私は何のために時間を使っているのだろう。もっと言えば、私にとて時間とは何なのだろう。なぜ一通り生きるために必要なことはできたのに、満足しないのだろう。お金を使うこと引け目に思ったのだろう。

ここまできてようやく分かったのは、私は自分で自分の一日さえも設計ができない人間だったということだ。そして私は自分で選んだ選択のうち、仕事や家族との時間をはじめとする「必ずやらねばならないこと」だけをすることに時間を費やして満足していたということだった。いや、満足というより、自分の現状に蓋をしてきたのだ。仕事は好きだし働くことは必要だ。家族との時間も欠かせない。しかしそんな「仕事」「家族」という名の選択肢のみを理由に、時間をうまく使えない自分を隠してきたを蔑ろにもしてきたのではないだろうかということだ。生き下手とでも言ってやりたい。

なかなかショックな自分を見た年の始まりではあるが、この1年を自分の色に染める勢いで過ごしてみたい。仕事に精を出しながらも、仕事以外の時間を持ち、私らしさを語れる自分になってみたい。

生き下手であることを恥じず、理由をつけず、人との時間に依存せず。

この1年でどこまで変化があるか、この挑戦はこの瞬間から始まっている。

#note書き初め

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