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とめろ。

実はむちゃくちゃ個人的な話なんだけど、今日薬ないのよ。

で、寝られないの。

だから、誰かが俺に直電して止めるまで、

短歌の話しかしない。

俺の記憶に紐付けられた短歌の話しかしないんだけど、個人的な話題は一切だしませんが。

いまやってることって、俺、自分、「文章書き」って名乗ってて。

誰も、俺が文章と歌をセットで提示して。その文の意味合いを考えるやつがいないというのが、すごいあやういんだよね。

みんなさ。ポジショントークって悪い事みたいな話ししかしないんだけど。

短歌と歌会がなんでセットなのか。っていう意味を考えたことがないやつが、その社会的なポジショントークの無意味さを説くなんてムリです。

其のアクチュアリティを説明できるのか。みたいな話。アクチュアリティとかってめちゃくちゃ迂闊な言葉なんだけど。

なんで、歌と歌会がセットになってるかっていう意味を説明できるひとっていないんだ。其の刺激を説明できる人がいない。

俺もなんでかはしらない。

でも、歌だけだしてて歌会出てないやつは、その歌会の「楽しさ」を全然しらないんだよ。

それは、本質的な意味で場のなかの歌が読めない人がいてさ。
歌会怖い人。論外なんだけど。

点取り歌が下品とか。「品」の話カランさんするじゃん。春日井さんか。

そうなの。短歌って、品とか様式とか、ある種の「美しさ」。にすごい関連付けられてんの。

場と歌がセットになって提示されんのよ。
歌って。

場は、文脈とは違う。

場は、その場にいるひとだけが作るものなんだけど、それはずっとアクティヴィティだっていう話しか俺はしてないと思う。

で、その本質と楽しさを提示できるひとがもう、彗星集全滅してて。

このくだらなさについて俺がかたりはじめると、誰も短歌というツールとか遊びの楽しさを、説明できないんだよ。

歌人にとって、場が動かないとか。ムリなの。

文脈は動かないと言うか、それぞれ固定されてて、読む人が意味合いを決めるんだよ。

固定されてんの。

でも、場はぐっちゃぐちゃで。動くんだよ。

だから、ガルマンで点取れない歌が、

ふつうに、

うちの歌会で点とれたりってあるんだけど。

点取りをもうやらないんだよね。うち。

もう。みんな、それを選ぶ、評する、披講するまでが、セットじゃん。歌会って。

でもうちは。選がない。
面倒みたいな。

実は、時間の話をする。文脈はすごい長いスパンの話しかなくて。
いろいろ考えて、自分で意味を決めるんだよ。

でも、鑑賞の時間が、「場」の場合、全然ないの。

秒なんだ。

ぱっと見で、歴史的な意味と、歌の意味と、文脈とか全部言外のこととか、象徴性とか、全部「読む」の。

「見切る」みたいな感じ。

見きった上で、何を言うかを人が行った順番とかをみながら、やるんだよ。

ビヘイビアなの。ふるまいなのよ。

それができるツールなの。歌は美と関連してんのよ。

ぱっとみて、うわ、うつくしい。

というのが、言えない歌がだめなのは、それが「場」に出るものだっていう感覚がないからなんだよ。

塚本しか読んでないやつは、カランさんの歌の面白さが全然わからんと思うよ。

たとえば、石川さんちょっときて。美南さん。

あなた。王の歌。王が湯浴みをしてる歌なんだっけ。

日本の女性歌人は、「王」の美しさはみんな言えるんだよ。

わたくしはわたくしの「王」

って。あさひさん。俺知人じゃないけど、ふつうに言ってる。でもなんで、それが帝じゃなくて、王なのか。

王のモチーフが反復されんのかとか。

これむっちゃわかりやすいよね。

王が、日本という場のなかで、なんの意味もなしてないから、美しいの。西洋の王に憧れんの。ファンタジー短歌とか言ってるやついるけど、日本は、漢字一文字で、ファンタジーの要素とか一瞬で象徴できんのよ。

「美」とともに。

帝は醜いでしょ。

それが象徴するものは、日本そのものだから。

場は象徴性を帯びてて、

リアルになると、

王を帝

に入れ替えるのは醜いでしょ。

それを、短歌というジャンルにいるやつが、ファンタジーとかSFとかを「美」とともに、わずか5音で取り込めることの凄さについて、語れるやつが、もういないんだよ。

それは、もう誰も言わんのだけど。

其の意味するものが「生きてる」とか「根付いてる」っていうことを、言わんのだけど。

みんないろいろ考えて、日本の美についてスゴイ考えてるの。

前衛は生きてます。

あなたのなかにも。死んでません。

でも、それを場のなかで語ることを誰もしなくて、

カランの歌が、すげーーとか。
大辻さんの歌が、ガチですげー。っていうことを、

言えないやつがいて。

みんな前衛と象徴性と美の話をしないんだよ。
受け継いでないふりすんの。

日本はその「姿」とか
「様式」とか。
「品」とか。

スゴイ持ってて。

だれも春日井さんの歌の凄さを「未青年」的なイメージの連鎖で語れるひとがいなくて、カランさんを評価できる人がいなくて、春日井さんの弟子だよ。

其の弟子とか、日本的な「意味」じゃないのね。

態度とか振る舞いとか覚悟とか。そういう姿が、「美」に関連してることを、誰も言えん。

永井さんがむっちゃ即物的な韻文のリズムで勝負するんじゃん。

菊池さんていう中部短歌のひとが、
春日井さんの読書会をやったのね。
未青年の。それはさまよえるなんだよ。

めちゃくちゃ嘆いてて。

「現代の若手歌人は」春日井さんのことがわからんと嘆いててて。

発言したの、永井さんと俺。

俺は「場」をよんで、いやその有効性がどのくらいの射程みたいな意味で話すみたいな。

永井さんは自覚的に、受け継いでないじゃん。カランさんの歌のよさをさ。

で、みんな永井さんの真似しはじめて、
土岐さんとか。

だめだ、そればっかりになっちゃ。

っていうのを、みんな文語の歌人が言わない。

口語と即物性がセットになる。

石川美南さんとか、王の歌読んでる学生短歌のひと誰だっけ。安田さんか菅原さんだと思うけど。

そのことをもっと言ってかないとダメだよ。

俺は忘れてないんだよ。

石川美南さんという歌人が、本質的には抒情の良さをわかってて、
大辻さんがそれを紹介したの。ヴァーサスで。

大辻さんは、すごい伝統的に、石川さんがもともともってる叙情性を、紹介するじゃん。短文で。

でも、石川さんってすごい繊細なひとだからそのよさをすごい注意深く回避しつつ、短歌で何ができるかを考えれる人なの。

石川さんが突飛に見えるんだけど、

石川さんが、既存の美の文脈の中で、自分の歌を読まれることをすごく嫌がるんだよ。

カランさんのマネはしたくない。みたいな。あなた。旧かなでしょ。

って、「にき」とか3句目にぶち込むじゃん。

其のスタイルの良さとかを、みんな前衛から受け継いで、やってるっていうことを誰も言わないから、

その真似をしない今の歌人がくだらなく見える。

リリスの誰だっけ川野さんはその要素。を「竜」。にひろげるんだよ。

「竜」の歌。とか読めねーじゃん。みてーな。

でも、大辻さんは、「龍」の歌は詠めるでしょ。

そして、隆「りゅう」も詠める

大辻さんが、歌会始選者でむっちゃよかったということなんだよ。

日本の態度じゃなくて、日本の政治性は醜いんだ。

右とか左しかないじゃん。
右が保守で、左が革新みたな。

それが象徴だってそもそも論を、言える歌人がもうからんさん以降の世代がいない。

で、岡井さんの政治の歌、がすごいんだよ。

初期のうた。

海越えてかなしき婚を焦りたる権力の柔かき部分みゆ

って。やるじゃん。

日本とアメリカのはなしを象徴してるのを堂園さんとか今のひとが、そもそも論で最初苦労するよね。

ピーナツ読んでましたから。
堂園さんが初期の岡井さんが難しいっていうのはすごいわかってて。

日本の政治は、象徴なんですよ。

象徴天皇ってよくいったよね。

いまの体制を維持するのが「右」かえんのが「左」みたいな二元論で回収されるから、めちゃくちゃ漢字文化圏の日本がその言外の意味を、美と関連ないレベルで位置付けられるひとがいない。

岡井さんしか、其のレベルで宮中歌会始選者が務まらないんだよ。

それは、態度とかふるまいとか政治性のはなしじゃなくて。品のはなしなの。岡井さんクラスのひとが拒否ったら、もう日本の短歌を象徴できる人がいないのよーーー。

天皇に歌を教えるってどういうことなん!!天皇だぞ。

加藤さんは絶対だめなんだよ。

あのひと「まさこさま」にたいする偏執性みたいなのを、ずーっとウォーホル以降のポップアートの文脈でやろうとしてて。

永井さんが、加藤さん初期を、「謎のヤング・アメリカン」を、すごいいいえて妙なこというじゃん。

そうなんだよ。加藤さんは美しくなくて、アメリカ文化すぎて、その表象でまさこさまをとりこんだら「アウト」でしょ。

こんな品のない人に、天皇に歌を教えられないんだよ。

俺は、日本の美の話をさっきからしてんだけど、

ポジションをとるっていうことの其の決意とか、意志とか、一瞬の「覚悟」
で、「見切り」だよね。

それを場のなかでやるっていうことの、凄さを誰も言えないから、
クズなんじゃん。

俺はそれを記憶から掴んできて、今それを提示する。其の凄さ、「感情が動いてるとか揺れてるっていうことを表現できてる笹井さん」の話をしないんだよ。

加藤さんは其の歌をとった。
ヴァーサスで。

一瞬で見事。

みたいな。

それわかんじゃん。みたら。

真水から引き上げる手がゆっくりとわたしを掴みまた話すのだ

って。

笹井さんが生きてなかったら、もうこのクオリティで、動作とか、決意とか、意志とか、なにかを決める瞬間の心の揺れとか、記憶とか。ひとりで自分反芻するとか。そういう「こころの動き」方の凄さを、表現できる人がもういないんだ。

其の凄さを歌える人がいないからみんな困ってて。

で、変な話それを理解できた人が、加藤さんっていうのが、俺も困ってんだよ。

ホムラさんっていう人を俺はすごい嫌いなんだけど、

あの人は2回しかあってません。

俺は、笹井さんの批評会のとき、笹井さんの面前で。

みんな再結成されたバンドのドラム。

みたいな、ユーモアを持ち出す歌を褒めだしてて。

うわー。笹井さん的には嬉しいかもだけど。

それ短歌がダメになるやつじゃん。

みたいな。

一人の才能。

メッチャクチャ。日本を代表する歌人の美の誕生の再登場の瞬間に、
再結成はないよ。

クズ。
ほむらはくずっていう話。










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