狂気の国


7068字の短編小説です。架空の国という設定ですが、不快な表現や差別的な発言がありますのでご注意ください。

「君たちは、このンポツ国からイバヤ国へはじめて遣わされる使節団だ。国を代表している者としての心遣いを忘れず、交流を深めてくれたまえ。この一九八四年を私達の希望の年、としてくれたまえ! 」

 閣下は私達から、飛行機の前に貼られたテープ越しに手を振る民衆に視線を移し、

「それでは、国民の皆さま、拍手でお送りください!」

 と言った。私達は同時に敬礼をし、

「はい! 大統領閣下と国民の皆様に恥じぬ振る舞いを行います!」

とお決まりのセリフを放つと、民衆もわきたつ。これもいつもの流れだ。

国民と閣下に見送られながら、手を振りつつ私達は飛行機に乗り込み、座席に腰かけた。そこでよく通る声が機内に響いた。

「嫌だよなぁ、出世のためとはいえイバヤ国へ行くなんて」

 ポマードで髪を整えている上司の宮東はそう言った。リクライニングを倒しながら、

「そうですよねぇ」

 と相槌を打つのは、鼻がやたらと大きな同僚の前田である。

「なんで嫌なんすか?」

 シートベルトをしながら尋ねるのは体が大きく猪のような同僚、島川だ。大きな体を持ち、愚鈍なのでオークと陰で呼ばれている。前田は鼻の穴を膨らませながら言う。

「だって通称『狂気の国』だろ? 麻薬を吸いながら電車に乗ったり、テーブルの上で放尿したりするらしいじゃん。それに思いやりもなく、あるのは見繕う気持ちだけ」

「あとテレビもクーラーもないらしいじゃん」

「毒ガスが噴出してる地域では死者が出てるんだけど、そこで採れる硫黄のために国が死者のことを隠蔽して労働者を働かせているんだって」

「そもそも金を今回、両替できなかったのはなんでだ?」

「そんなの知るかよ。両替できるシステムがないだろ。でも全額、向こうの国負担らしいじゃん。俺らは金使わなくてもいいなんてラッキー」

「コインぐらい記念で持って帰りたいけどなー。ンポツ国に情報が入って来てない国家元首の顔、とか印刷されてんのかな」

「国家元首は人を食らうって噂聞いたことあるぜ」

「俺は、国家元首だけ緑色の宝石をつけていいって噂聞いたことがあるぜ」

 他の団員も口々に色んなことを言った。それを聞いた島川は明らかに怯えた顔をした。宮東は頷き、

「逆に俺たちの国にいる民は、清潔感があって美しい。そして何よりも脳みそがまともだから、いい対比になるかもな」

 そう言いながら、窓の外を見て、

「……とはいえ、早くンポツ国に帰って来たいものだ」

 と呟いた。

 私は同僚や上司の雑談を聞き流しながら、資料に目を通すことにした。私達がなすべきことを整理するためである。


 今回は私達がンポツ国とイバヤ国の国交を深める目的で、ンポツ国から外交使節団を派遣することになった。そこで派遣されたのが私達である。勿論、国交を深める、友好的な関係を作るというのは建前の話だ。

 実際のところ、外交使節団である私達二十四名は、交渉と情報収集により自国に有利な条約の締結を行うことを閣下から命じられている。

 そもそも何故、イバヤ国に使節団を送ることになったかというと、至急に有効な関係を作る必要があるからだ。そもそもイバヤ国は資源も乏しく、文化レベルも低い。そのために交易するメリットがなく、二つ隣の国であるにもかかわらず全く交流をしたことがなかった。

 しかし世界最大規模の油田がイバヤ国で見つかった。そのことによりイバヤ国に対する近隣諸国の目が変わった。石油一匙で銀にも勝ると言われる資源の少ないンポツ国も、その例外ではない。先日のオイルショックにより石油価格は高騰したままであり、更には一九九◯年には石油が枯渇しているかもしれない。そんな中でのイバヤ国での油田発見はまさしく、希望の光だった。

故にイバヤ国にとりいって、他国よりも資源を多く輸入したい、というのが閣下ひいてはンポツ国の最大の願いである。これさえ達成できれば今回の外交使節団は大成功を収めたと言っても過言ではない。

 そのためには私達はどんな苦難も乗り切る必要があるのである。


「イバヤ国へようこそ、ンポツ国のみなさん!」

 そう言う男は、イバヤ国の大使であると自己紹介をした。ムキムというらしい。訛りのないンポツ語を操っており、私は少なからず驚いた。

ムキムは

「来ていただき、光栄です」

と言いながら、私達に手を差し出した。すらりとしてささくれ一つ無い手であるが、私は嫌悪を感じた。

そもそも雑菌のついている手を相手に向けるということは、ンポツ国では失礼に当たる行為である。しかし、相手国はイバヤ国である。私たちと違い、無知で馬鹿なのだ。常識を知らなくても仕方がない。私達は申し合わせていた通り、にこやかな態度を崩さずムキムとその背後に控える大男の手を握った。ただ一人、島川がズボンでこっそり手を拭っていたのを前田が目ざとく見つけ、前田が睨みながら島川の爪先を踏みつけていた。

場所はイバヤ国随一の高さを誇る高級ホテルとのことだが、どうにも寂れていて高級感がない。雑居ビルの外装を変え、綺麗なカーペットを敷いただけ、というような内観であるように私には思えた。

「長旅お疲れ様でした。お荷物はそのままにしてくだされば、スタッフがお部屋の方までお運びします」

 洗練された動きでムキムは指示を行っていく。指示を出すのに慣れた人間の動きだ。その間も背後の大男は動かない。なるほど、あの男は護衛なのだろう。

スタッフ……接待係とは言い換えれば、監視のことだ。故に我々の任務を邪魔されぬよう、気を付けなくてはならない。

とはいえ、こんなマナーも何も知らないような奴が大使なら、気にする必要もないのかもしれないが。

「俺たちが泊まるのは、流石に豚小屋じゃないよな?」

 と前田が相手に聞こえない程度の小声で呟くと、他の使節団員が声を殺して笑い始めた。

「いかがされましたか?」

 怪訝な顔をしたムキムが尋ねると宮東は、

「失礼。こちらに腹の虫の音が大きい者がいたようで、お恥ずかしながらそれが周囲に聞こえて笑っていまして……」

と苦しい言い訳を披露した。しかしそれを聞いたムキムはにこやかに、

「そうだったのですね。もう夜の七時を過ぎておりますし、さぞお腹が空いていらっしゃるでしょう。ディナーの用意はできております。ささ、こちらへ」

「『ささ』って何?」

「『笹』のことか? 訛ってて分からないぞ」

 他の団員が『ささ』とは何を指すのか、を話し合うのを聞きながら、私は肩についた埃をそっと払った。どうもこの国は埃っぽい気がする。


 ムキムに先導され、私達は食堂についた。見たところ机の上に小便はされていないようで、一安心である。ただ、変わった形のテーブルの中央に大きな鍋が置いてある。そして奇妙なにおいが部屋に漂っている。

「これはどこに座ればいいのですか?」

アラビヤ数字の八のような、輪っかを二つ繋げた形の机を見て宮東は尋ねた。

「どこへでもお座りください」

 要を得ないと判断したのだろう、宮東は、

「上座はどちらですか?」

 と直接的な表現を用いて尋ねた。

「上座などはありません」

 ムキムは申し訳なさそうにしながら説明をはじめた。

「二つの輪を繋げた形はメビウスの輪をイメージしたものです。これは裏表がないこと、終わりがないことから、我が国では縁起物とされています。この形のテーブルを家に一つ置けば、裏表なく人と付き合い良い関係を築くことができる、未来永劫途切れることなく家系が繁栄することができる、という謂れがあります」

たかがテーブルにそんな力があるわけもない。そんな俗説にこの国の上層部まで縋っているのか、と思うと目眩がした。ムキムは更に続ける。

「またイバヤ国では分け隔てなく人と付き合うことを尊重し、貴族制度のようなものはなく、階級や身分などは存在しません。故に上座というものもないのです」

階級や身分が存在しないのならば国家元首という身分が存在するのは何故か、を尋ねたい衝動に駆られたが私はぐっと堪えた。矛盾ばかりではあるが、気にしていたら身が持たない。

「イバヤ国でも貴重なイマウ米を使用した雑炊です」

確か、穀物の生産量が少ないイバヤ国では米は貴重な食べ物である。しかしンポツ国では普遍的な食べ物で、雑炊というのは病人もしくは貧乏人が食べるものだ。炊いた米をわざわざ水で嵩増ししたものが、ご馳走だなんてンポツ国ではあり得ない。信じられない気持ちでムキムを見たが、真剣な眼差しをしている。本当にイバヤ国ではご馳走であるらしい。

「イバヤ国の国家元首であるミクム様は本日、ご多忙のため欠席されております」

 ムキムはそう言ったが、恐らくはムベ国大使との会食だろう。飛行場のエントランスの端に、ムベ国の国旗が出しっぱなしになっていた。だらしのないことだ。

「しかし皆様を丁重にもてなすようにと、ミクム様がお飼いになっているブタをくださりました。どうかお召し上がりください」

 悪臭と共に出てきたのはしわくちゃになったブタの顔が見るも無様なブタの丸焼きであった。あまりの悪臭に吐き気がする。

「ありがとう、ございます……」

 宮東は顔を引きつらせながら返答している。

単純に、焼いただけの料理が本当にもてなしだというのか? それにたんぱく質が焼ける臭いだけでなく、草のような臭いも相まって頭が痛くなってきた。正直、食べ物と思えない。

「ブタは余すところなく、召し上がっていただけますので」

 そう言いながらムキムは大ぶりな刃物でブタの足先を切り落とすよう、コックに指示を出した。まさか不浄である足を私達に食べろと言うのか? 私達はぞっとして互いに顔を見合わせた。しかし、

「どうかお召し上がりください」

 と曇りのない器に盛られて差し出されては、断るわけにもいかない。なんせ相手は大使なのだから。


「オェェェェェェ」

「いつまで吐いてるんだ、オーク」

 前田が苛立ちを隠そうともせず言った。そういう前田も先程からずっと重めの煙草を吸い続けている。口の中がねっとりとして臭く気持ち悪いのだろう。私も気分が悪いから、ずっとミントキャンディーを舐めている。

「だって……ブタの臓物なんて、ゴミ……オエエッ」

 島川は便座に胃液を吐き出し続けている。そのせいで、同室の私達はトイレが使えない。そもそもトイレと共有スペースの間にあるのがこんな薄い扉一枚だなんて、セキュリティはどうなっているのだろう。

「それぐらい分かっていて、今回の使節団に参加したんだろう」

 私は島川に言い放った。島川は鼻水と涙で汚れた顔を私に向けた。

「……こんなに、ひどいなんて思ってなかったんだよぉ」

「覚悟と根性が足りねえんだよ、お前には」

 前田はカーペットに煙草を吐き出し、それを靴の底でもみ消す。ジッという音にカーペットに焦げ跡が付いた。

「この国と友好な関係を築くこと、そして内情を知ること、これが任務だろうが。国の代表として、国のために身を張って働く。こんな名誉な職にお前みたいなグズはもったいない」

 そう言うと前田は革靴の先を島川に横腹にめり込ませた。島川は蹴られた勢いで便座に頭をぶつけ、

「ああぁっぁ」

 と言う声を上げ、頭を抱えてうずくまった。

「うー……うー……痛い……帰りたい……」

 唸るような声を上げながら泣く島川を横目に、前田は再度煙草に火をつけた。


 本当にこの国は汚い。

 私はホテルの部屋にある窓から景色を眺めながら、しみじみと思った。時刻は午前四時ごろで月明りがあるにもかかわらず、国全体にうっすらとかかった靄のせいで薄暗い。気分まで塞ぎそうだ。いや、もう十分に暗い気分なのだが。

 あれから島川の調子がおかしいのは頭部を胸部したせいではないかということで、島川は頭の検査に回されることになった。そして島川に暴力を振るった前田は宮東の部屋で、処分中。……勿論、イバヤ国には暴力沙汰があったことは隠しており、島川が単に転倒したということになっている。そして一連の騒ぎへの対応と、スケジュール調整で接待係はてんやわんや。

そうして私は一人、広すぎる部屋で退屈しているというわけだ。

 ……それは裏返せば、監視の目が俺から外れているということだ。それは情報収集のチャンスと言うことでもある。

私は窓から高さを測った。三階とはいえ、二階の高さに廂があるから問題なく飛び降りられそうだ。私は窓枠に手をかけ、廂に飛び降り、そこから支柱を伝って地面に降りた。手についた汚れを払い、街灯の灯を避けるようにして路地裏を行くとやはり汚染がすさまじかった。どぶのような臭いがあちこちでする。蛾やカメムシといった虫も街灯に集まっており、不衛生極まりない。大通りはスプレーでの落書きはなかったが、この辺りは酷い。ここの国民はやはり、社会的常識というものを持ち合わせないようだ。

そんなことを考えていると、後ろから私の足に何かがぶつかった。慌てて振り返ると、

「あ、ごめんなさい」

 と言いながら、八歳ぐらいの子供が散乱したじゃがいもを拾っていた。じゃがいもが私の足に当たったのだろう。

こんな時間に出歩いているのか? ……八歳ぐらいの子供なら、変な知恵も働かないだろうし、調査のためにも声をかけてみるか。

『僕、一人でどうしたんだい。こんな時間に』

 男の子は反応しない。……言語はこれであっているはずだ。

『お母さんが知らない人と話しちゃ駄目って』

 私と口を利くのは、その言葉に矛盾しているのだが。まあ、子供の言うことに気を取られていては仕方ない。

「じゃあ、飴をあげよう。これで知らない人じゃないだろう?」

 そう言いながら差し出すと子供は目の色を変えて、飴をむしり取るようにして口に運んだ。本当に貧しい国なのだ。

「可哀そうに」

 思わず口から漏れ出ていた。それを聞いた子供は、

『おじさん、ンポツ国の人?』

 と訊いてきた。この子供、ンポツ語が分かるのか? 驚いて子供に尋ねた。

『いや、違う』

 私は慌てて誤魔化した。

『聞き間違いだよ。……ンポツ国のこと知ってるのかい?』

『だって、電気屋のテレビでンポツ国の特集いっぱいしてるじゃん。偉い人が来るって!』

 初耳であった。いや、そもそも、

『テレビがこの国にあるのか?』

『あるよ。電気屋さんとか、村長さんの家のテーブルの上に置いてあるの。その周りに集まってみんなで観るよ』

 みんなで? いや、そもそも、

『テーブルの上で放尿しないのか?』

『えっ、しないよ……』

 子供は困り顔である。嘘をついている様子はない。

『麻薬を吸いながら電車に乗ったりしないのか?』

『麻薬って何?』

 キョトンとした顔で言われるものだから、絶句してしまった。子供の前でまさか、麻薬の説明をするわけにもいかないし。

『あ、でも大人の人は煙草吸いながら電車に乗ってるよ』

『そうなのか』

 ……情報が多少食い違っているようだ。あまりしつこく尋ねても訝しまれるだろう。私は立ち去ることにした。

『でも、こんな時間にどうして一人でいたんだ?』

『今日はお母さんが帰ってくる日なんだよ。だから待ってるの!』

 そう言って笑う子供に私は手を軽く上げてから、背を向けた。

 子供と会話するだけでなく、街の散策も行わなければ情報収集の意味がない、と言う考えからだ。

 しかし子供と別れてから誰ともすれ違うこともなかった。日が昇りそうだったので、急いでホテルに帰ったが、玄関口にもフロントにも誰もいなかった。本当に不用心な国だ、とほくそ笑みながら私は自室に帰った。

 

「本日まで大変お世話になりました」

 と言いながら宮東は飛行機の前で、ムキムと熱い握手を交わしている。人払いがされているのか、飛行場には誰もいない。折角なのだから、見送りぐらいあってもよさそうなものだが。

それはそうと握手もこれで最後ということもあり、宮東は嬉しそうだ。

「ンポツ国の皆様にどうかよろしくお伝えください」

 そう言いながら手を振ったムキムの左手首には緑色のブレスレットが輝いていた。

結局、最後まで国家元首と会えることはなく、スケジュール調整はどうなっているのかと問いたくなったが、こちら側はトラブルを起こしている身なので何も言えない。それに滞在費だけでなくお土産等の代金も全てイバヤ国持ちである。この国の金というものに一切触れることもないまま、私達は滞在を終えたのだから猶のこと強く言えない。

 私達は笑顔を張り付け、手を振りながら飛行機に乗り込んだ。

「やっとおかしい国から解放された……」

 と誰かが口にし、他の者も息を吐いた中、

「本当に狂った国なのかな」

 と言う場違いな声がした。頭に包帯を巻いた島川は窓の外を見ながら、小さな声で呟く。

「なんか、いい人ばっかりで……」

「頭打った時に、頭のネジも飛んでいったのか?」

 と誰かが言ったが、包帯に触れながら島川は続ける。

「だって怪我の手当てとか丁寧にしてくれたし」

「そんなの怪我人なんだから当たり前だろ」

「患者の手当てをしない医者なんか存在しないんだからさ!」

「それに使節団様の体調を悪化させたとなったら、責任問題だもんな!」

 団員は口々に言いあっている。

「それも、そっか……」

 と言い、島川は恥ずかしそうに頬をポリポリと掻く。宮東は二回手を叩いて団員を静まらせながら、

「まあまあ。ンポツ国へ帰ったら綺麗な水で作った酒で乾杯して、狂気の国であった嫌なことは一旦忘れようじゃないか」

 と言った。それに他の団員から拍手が起きる。そうだ、私達はやっとンポツ国へ帰れるのだ。あの美しい正気の国へ。

 そう考えながら、私はゆっくりと目を閉じた。


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