宝石の躰

※直接的ではありませんが、暴力、残酷、死の描写等あります。15歳以下の方は閲覧をお控えください。



 ルイは間違えてこの世に生まれてきたのだと思う。

 ルイの指先で温められたチョコレートが、その白玉石のような爪を僅かに汚した。ルイはそれを認めると、すぐにそれを投げ捨て、
「こんなものを食べろっていうの」
 ウェッシウッドの皿に盛られたチョコレートを大理石の床に叩き落とした。宝石のように美しく艶々としたチョコレートがコロコロと床を転がっていく。
 そして人間の足をイメージして作った、ブルーレースアゲートの彫刻にぶつかって止まった。一粒が千円を軽く超えるチョコレートであっても、ルイの前ではゴミと変わらぬ扱いを受けることがある。
 それを見ていたシェフは一瞬呆気にとられたが、
「床に落とすとは、どういうことだ!」
 と獣のような声で叫んだ。それを見ていた僕はシェフの醜さにうんざりしつつも、
「まあまあ、堪えてください」
 柔和な笑みを作って、シェフに語り掛けた。
「きっと何か気に障ることがあったのでしょう。事前にお話していた通り、こういうこともありますので」
「俺の作品を侮辱されて黙っていろと言うのか」
 ルイを怒らせる程度のものしか作れないくせに『作品』だなんて、なんと烏滸がましいのだろう。僕はうんざりしつつも、
「はい、そうです。そういう契約でお金を払っているじゃないですか」
 とわざわざ説明してやった。しかしシェフは怒りが収まらないのか、顔を真っ赤にして、汚らわしい唾をまき散らしながら喚きたてていたので、
「百万円でどうですか」
 僕は金のクレジットカードを財布から取り出しながら言った。僕はその脂ぎった顔を睥睨しながら、
「それで手切れ金としましょう。まだ足りませんか?」
 ともちかけた。シェフは赤を通り越して顔色をどす黒く変色させて怒り続けている。何を言っているかは不明だ。獣の言葉が人間には分からないのと同じで。
 不意に、
「ねえ、アレン。まだなの」
 つまらなさそうに足をぶらぶらとさせながら、ルイは凛とした声で言った。その爪先は陽の光を拒むかのようにただ白い。
「別のシェフを呼ばないといけないから、少し待ってくれるかい?」
 僕は警備員を呼ぶべく、携帯を取り出しながら訊いた。
「そんなに待てない」
 ルイは金糸のような髪を指先で弄りながら大げさなため息をつく。そして何も纏っていない素足を冷たい大理石の床に乗せ、
「もういい。食べる気が失せた」
 そう言うと、ペタペタという音を響かせながらルイは自室へ戻ってしまった。
 嗚呼、可哀そうなルイ。こんな愚鈍な人間のせいで不愉快な思いをしなくてはならないだなんて。僕は怒りを堪えながら、この男をこの部屋から出すために警備員へ電話をかけた。

「ねえ、いつ生きていることから、解放してくれるの」
 ルイは僕の作品に囲まれたまま、尋ねた。
 ルイを取り囲んでいるのは、サファイアを瞳孔、アクアマリンを虹彩として作った目のオブジェ。アメジストを加工して作った二の腕のオブジェ、オニキスを加工して作った指のオブジェといったものだ。
 ルイは生を疎んでいる。
 間違えないでほしいのは、これは死を望む、というより、生からの逃避である。
 確かに、この汚れた世界はルイには似合わなさすぎる。どんな憂鬱な顔をしていても、ルイの美しさが損なわれることは決してない。陰鬱でさえもルイを汚せない。この陰鬱な世界にあって、ルイは惨いほどに美しすぎた。オニキス、カーネリアン、カルセドニー、そういった宝石でさえルイの横ではちっぽけなものに思えてしまうほどに。
「もう少しで完成するから」
 僕はそう言ってルイに微笑んだが、ルイは僕を睨みつけ枕元に置いてあった作品を手に取った。
「いつもそればっかり! いつまで待てばいいの!」
 そう言って、心臓を模した作品を床に叩きつけた。大理石の床とぶつかって、大動脈部分に使われていたドラゴンアゲートが欠けた。
「ごめんね、僕が遅いばかりに」
 僕はゴミとなった作品に見向きもせず、急いでルイの足元に跪いた。ルイは涙をその真珠のような目に浮かべ、
「半年前に全身のスケッチもしたのに」
 と言った。そう、僕はルイの全身のスケッチを制作のために行った。それからルイの全身を元にしたデザインをクレヨンで石に描き、石をタガネとハンマーで削り、鑢で磨き上げる作業を行い続けている。
「あと一か月すれば終わる。そうすればルイの思うままに美しい全身が手に入るから」
 僕は謝りながら、誠意を込めてそう告げる。ルイは僕の顔をじっと見ていたが、
「……待ってるから」
 と小鳥のような声で言った。膝を抱えたまま、眼を擦るその様は子供のようだった。実際ルイは子供のようなものだと思う。無邪気で無垢な穢れを知らない存在。無邪気というのは他を傷つけないということではない、幼い子供など笑顔で花壇の花をむしるのだから。
 そんなルイのためにも、望んでいる宝石の体を早く与えてやりたい。僕が力不足のせいで、ルイの美しい全身の再現が中々進まないのが本当に申し訳ない。
 早く、ルイに本来の体を渡してあげなくてはならないのに。

ルイはこの世界から、ひどく遠い存在だった。なぜならルイは美しすぎた。その美しさは人間離れしており、人形というよりも彫刻のようにすら思えた。多くのものがその美しさの前では霞まざるを得なかった。
 インクルージョンが一切ないエメラルドというのが、僕がルイに抱くイメージだ。それもノンエンハンスメントのエメラルド。
 大部分のエメラルドは、宝石の美しさを引き出すために、エンハンスメントが施されている。透明なオイルや樹脂で石のインクルージョンを見えづらくしているのだ。
 その処理を行っていないものは価値が高い。処理を行わなくても良いほどのエメラルドなんぞ滅多にお目にかかれない。お目にかかれたとしても、傷が多すぎて見るに堪えないものが多いのも実状だ。価値の高い、尊い宝石。
 そしてルイがエメラルドならば、他の有象無象の人間たちは砂利以下でしかない。
 その美しさゆえに、ルイはあらゆる汚れたものが許せなかった。そして肉体という器を酷く疎み、汚れた肉体から解放される日を誰よりも待ち焦がれていた。
 それはそうだろう。砂利だらけの世界にぽつねんと落とされたエメラルドなんて、目立たないはずがない。その美しさゆえに周囲から圧倒的に浮いてしまう。
 ルイはきっと孤独だった。
 しかしその孤独を慰めてもらおうとなどとは、しなかった。そんな野卑た行為をルイは寧ろ憎んでいた。醜悪な人間と交わることを何より嫌ったルイは対立により、その孤独を益々深め、孤独こそがルイを一層磨き上げるものであった。ルイは他のどんな人間よりも美しくなった。
 そして僕が出会った頃のルイはちょうど宝石として完成した『作品』のようだった。
 その鋭利な横顔に僕は一瞬で心を奪われた。といっても恋といった性欲や嫉妬心と密接に関わることが多い下卑たものではない。
 美しい宝石に心を奪われるのと全く同じ感覚だった。
 そして僕はこの宝石になら、一生をなげうったって良いと心底思ったのだ。そしてこの宝石を加工できるなら、僕の宝石研磨士としての人生を終わらせても構わないと。
 いや、寧ろ人生最高の『作品』が出来たなら、その先生きながらえる必要性など最早ないだろう。

「本当にアレンの作品は素敵だね」
 ルイは僕の作品を時折うっとりとした目で眺め、そう言う。
「宝石のことが本当に好きなんだなって感じる」
 そう、僕が愛しているのは宝石だけだ。正直、他の物は生きていくために必要なツールだとしか思っていない。
「ここにいる時が本当に落ち着く」
 ルイは人体を模した僕の作品を置いたギャラリーで一日の大半の時間を過ごす。ルイは作品をゆっくりと愛でているうちにいつも眠ってしまう。僕はその寝顔を眺めながらしばしば制作を行った。ルイが本当に僕の作品を好いていることはモチベーションに繋がる。
 特に今は、他でもないルイの姿を彫っているから。目の前の美しいルイを見ながら、ルイを宝石に現わしていくことが出来る機会を得たのは、僕の人生でも数少ない幸運の一つだろう。
 ルイは異常なほどの潔癖ゆえに、宝石を何よりも好む。そして美しくないもの、特に肉感のあるものを何よりも憎んだ。それは装飾品だけでなく、生命にかかわるような部分まで。
 ルイはひどい偏食で、美しくカットされた果物ばかりを食べる。肉や魚をはじめとするたんぱく質を含むものは、
『生臭くて食べられない』
 と一切口にせず、ナッツ類は、
『油分がべたついて不快』
 という理由で数粒食べれば良い方だった。野菜だってごま粒ほどの傷みでもあれば、
『汚らわしい』
 と言って食べるのを拒んだ。
 ルイはこの世の多くのものを受け入れられなかった。
 そしてルイは自分自身を鏡に映すことさえ拒んだ。僕からすれば、ルイはどこも寸分の隙も無く美しいのだが、
『歯というものはぼこぼこした下品な形をしているし、ぬらぬらとしていて見ていると気分が悪くなる』『唇というものは血の色をしている上に皴だらけだし、性的な見た目をしていて汚らわしい』『目というものは、血管が僅かに表面を走っているのが気味が悪い』
 といった具合で、あらゆる『生きている』証を拒絶した。
 それゆえ、人間を宝石で表現するという僕の作品に何よりも心惹かれてくれたのかもしれない、だなんて思ってしまう。思い上がりだろうか。でも人間が宝石のように美しければ、ルイはここまで思い煩うことはなかっただろうから。
 美しいその寝顔を眺めながら、僕は一刻も早く『作品』を完成させてあげたいと思った。赤メノウで作られたこの左手を付け替え、次は右足、左足、右手、それから胴体。最後が頭部。手足のパーツは殆ど完成しており、胴体は鑢を丁寧にかければよいところまで出来ている。ただ頭部は表情が未だ決まらず、のっぺらぼうのままでアトリエに置いている。
 顔のない頭部は、
『早く完成させてよ』
 とも、
『完成させないで』
 とも言っているように思える。
 僕だって、少しはルイと話すことが出来なくなるのは寂しいと感じている。だけれど、ルイがそれを望んでいるし、僕だって美しいものをさらに美しくすることを愛している。
 だから『完成させないで』という声には耳を貸さない。それが間違いなく僕らのためだ。
 きっと作り上げてみせよう。僕と君が望む最高の『作品』を。

「全身麻酔をかけたからまだしんどいかな」
 僕はぼんやりとしたままベッドで横たわるルイに声をかけた。ルイは緩慢な動作で視線を自分の腕に向けた。その左腕は艶やかな赤メノウに置き換わっている。僕はその指を一本ずつ撫でながら尋ねた。
「医療麻薬を使ってるから痛くないと思うんだけど、どう?」
 ルイは痛みを極端に嫌う。ルイたっての希望で闇医者に投与するよう言ったのだ。勿論、僕自身もこの美しいルイの表情が、痛みなんぞで左右されるのは嫌だったから賛成だった。ルイは暫し黙っていたが、不意にその眦から涙を零した。僕は慌ててルイの薬指から、手を離した。
「もしかして痛いのかい?」
 急いで医者を呼ばなくてはと思い、腰を浮かそうとした僕をルイは引き留めた。
「……ううん、すごく嬉しい」
 それはとても美しい笑みだった。
 僕はこの表情に心を奪われた。心臓が今ここで止まっても良いと思えるぐらいに。だから僕は石に刻むならこの表情にすると決めたのだ。
 僕は興奮のあまりいてもたってもいられなくなり、意識が不安定なルイを置いてアトリエに着の身着のまま駆け込んだ。
 今一番にすべきことは、ルイが望むまま、そして僕の欲のままに『作品』を作ることに他ならなかったから。
 
 そして僕は三日三晩寝ずに作業をし、この世のものと思えないような顔を彫り上げた。
 それはエメラルドで出来たルイの頭部だ。細かい作業には不向きな点が多いエメラルドを用いて作成するのは骨が折れた。そして慣れないうちは目も当てられない様な失敗を犯し、相当な量のエメラルドを無駄にした。かかった金は決して安くはなかった。
 実はエメラルドは傷がつきやすい。加工には向いていないのだ。
 劈開性や脆性があり、圧力によってすぐに傷が入ってしまう。そして構造として、中に空洞があり衝撃に弱い。
 嗚呼……それと同じように、ルイも傷だらけだった。美しくあることを望まれ、飾り立てられた。挙句、哀れな宝石のように、粗末な扱いを取るに足りない人間どもから受けた。そして元の完璧な美しさは永遠に失われてしまった。その事実にルイはもう耐えきれなかったのだ。ルイは嫌というほど、それを自覚していた。
 そして僕も傷がつきすぎた宝石が、如何に醜くなるかを知っていた。
 ルイは僕の作品の美しさだけではなく、僕のこういった考えの放つ匂いのようなものに惹かれていたのだろう。そんなことを時折考えてしまう。
 だってルイは自分の体を宝石に置き換えるという話を僕に持ち掛けた時、さも当然のように言い放ったのだから。
『アレン、この体を宝石にしてほしいんだ。できるでしょ』
 ルイは僕が不可能だと言わないことを分かっていたのだ。美しい宝石をカットしてより美しくするように、ルイがより美しくなるのを僕が拒むはずもなかった。
 宝石は美しくあるべきなのだ。勿論、ありのままの姿も美しいと思う。傷の入った原石だって僕は好きだ。でも僕の職業は宝石研磨士。より美しくあってほしいと願うのは最早性なのだ。
 だから僕は懸命に制作をおこなった。人体というのはカーブが多く、また複雑な形をしている箇所が多い。故に加工しやすいアゲートを用いて、顔以外は作成した。削った後の美しさもさることながら、その耐久性が素晴らしい。摩滅や変化が少ないのだ。正に『永遠の美』をイメージして作られるこの作品にこそふさわしい。
 そして僕は二週間後にルイのパーツ全てを作り上げた。次々にルイの手足を切り落とし、宝石の手足へ付け替えていった。
 僕としては、ルイが徐々に宝石へ変わっていくさまをゆっくりと楽しみたくもあったのだが、
「早く完成させて!」
 とルイが嬉しそうに急かすものだから、僕も欲が刺激されて『作品』の完成した姿が一刻も早く見たくなった。
 だから僕はブルーアゲートの足をつけたその日に、ルイを殺した。

そして『作品』は完成した。
 左手は赤メノウ、右腕はモスアゲート、右足はラグナレースアゲート、左足はブルーアゲート。胴体はブルーレースアゲート。互いにねっとりと絡みつく様なデザインの手足は、紅茶にミルクを注ぐ様を連想させる。色が全く違う宝石だが、それらは元からそこにあったかのようにしっくりと馴染んでいた。
 そして頭部たるエメラルドが全てを包み込むように、調和させている。『生』をもったものをイメージしながらも、決して生きていない。
 ここでは『生』が追放されていた。『永遠の美』はここにあったのだ、と僕は改めて実感すると共に、足元に転がっていた鑿を手に取った。それを首筋にあてると、刃物特有のひんやりとした感触がある。躊躇いなどない。
 だってルイと僕が完成を待ち焦がれた、究極の『作品』がここにはある。
 これ以上のものはもう僕には作れないだろう。そしてこれから作品を作るつもりはない。
 なによりも僕はこの世で最も美しいものを網膜に焼き付けたまま死にたかった。


上月琴葉様主催の鉱物アンソロジー『きらめきのかたち』初出作品です。

作中の表現並びに説明に関しましては、作者の浅学により誤り等あるかと思います。何卒ご容赦くださいませ。

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