小説『バス通勤のとある人』

 夜にバスに乗ると、夜の底に辿り着いたような錯覚を覚える。眩暈に襲われているような感覚がどこか心地よい。

 移動している途中なのに、別の世界に着いたようなちぐはぐさが好きだ。特に冬の十八時半頃のバスが良い。仕事や学校から帰る気だるさでぼんやりとした意識の中で見る、藍色の空に包み込まれた橙色の灯は異世界への入り口を照らしているかのようだ。

 不安定な色が織りなす空気が、不安を運ぶ。何とも言えぬ心細さが夜を深めていく。それは確かに不安であるが、冬の朝の布団のような心地よさもある。

 ガタゴトと揺れるバスに乗っていると、次第に穏やかな心になって瞼が重くなる。

 バスは普段使っている車道を走っているというところが、独特な特別感を出していると思う。路面電車にせよ、線路を走る。線路は普段なかなか使わないし、いつも歩いている裏道やスーパーから離れているから、少しませた感じがある。その点、バスは素朴だと思う。いつも使う道を走るから、視点の違いだけが妙に際立って面白い。

 何より、バスは深夜走ってくれるのがありがたい。移動時間の短さでいえば、電車や飛行機に軍配が上がるが安さと深夜の時間を有効に使える良さがある。有事の際に駆けつけるのに、バスを使ったことがある。そういう時、深夜バスのカーテンは良い。涙を隠してくれる。飛行機や電車だとこうはいかない。

 とはいえ、バスに付属した記憶が全て良いものというわけではない。人生山あり谷あり、バスに毎日泣きながら乗っていたこともある。それに『つぎとまります』というボタンを押しても停まってくれない時がある。深夜バスは便利だが中々寝付くことができないし、結構酔うこともある。バスは日常に馴染んだ少しの非日常感のある乗り物故に、いい思い出も悪い思い出もある。

 全てが良いことだけ、悪いことだけのものなんて存在しない。

 バスから見る景色と雰囲気は好きだが、好きになれないところもある。そういうところは人づきあいと似ているところがあるのかもしれない。ずるずると好きなところも嫌いなところもある相手と付き合っていく。それには程よい距離が必要なのだろう。そういう風に思い、自分を納得させてみようか。

 私は今日も徒歩でバス停に行き、会社へ向かう。

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