食べてしまおう

パンジーの花言葉は「もの思い」「僕を思って」。
黄色のパンジーの花言葉は「つつましい幸せ」「田舎の喜び」。
白のパンジーの花言葉は「温順」。
紫のパンジーの花言葉は「思慮深い」。
カリンの花言葉は「唯一の恋」。
四葉のクローバーの花言葉は「幸運」。
カスミソウの花言葉は「清らかな心」「親切」。
ラナンキュラスの花言葉は「とても魅力的」「華やかな魅力」。
オレンジ色のラナンキュラスの花言葉は「秘密主義」。

「どうしたの。こんなに沢山のパンジー」
 僕が家に帰ってからそう尋ねると、台所の恵里は困ったように、
「お隣さんにもらったの。どうしよう」
 と言って笑った。台所に立つ恵里の顔に隣家のカリンが影を作っている。
僕も苦笑せざるをえなかった。プランターには紫、黄、白のパンジーが咲いている。
「田舎の人はものをあげたがるって聞いてたけど、移住するまでは僕もここまでと思わなかったな」
「ね。プランターごと、持ってきたからびっくりしちゃった」
僕達は二人とも、植物を枯らしてしまう性質だ。まず、育て方が分からない。調べたところで、枯らしてしまう。二人で育てようとしたのは数知れず、しかし何も残らなかった。
「捨てる? 枯れるのを見るの、忍びないでしょう」
 恵里は台所から玄関に来て、プランター一杯にみちみちと咲き誇るパンジーにレジ袋を被せながら訊いた。
「でも鉢がこう大きいと、捨てたってばれるしな」
 そこは田舎暮らしの辛いところで、どこで誰が何をしていたか筒抜けなのである。
「そうだね……でも可哀そうじゃない?」
 確かに、これからじわりじわりと枯れ、命が尽きていくのを眺めるのは決して本意ではない。いや、それならばいっそ、自分たちで命を終えさせてやったほうが……と僕は不意に思った。
「じゃあ、なんとかして処分しよう。枯らすんじゃなくて、処分」
「処分って、押し花とかドライフラワーにするってこと? でも昨年作った、四葉のクローバーの押し花は真っ黒になったし。カスミソウのドライフラワーは湿気で腐ったし」
 なるほど、僕たちはとことん花に嫌われているらしい。
「困ったね」
「でも生野菜はそれにカウントされないのが、せめてもの救いかな。冷蔵庫がコンポストになっても困るし」
「食事が出来ないのは確かに困る」
 そう言いながら僕が食卓を見ると、そこにはドレッシングとレタスとトマトが入ったボウルが置いてあった。それを見て僕は急に、エディブルフラワーというものを思い出した。
「そうだ、あのパンジー食べようよ」
 恵里はポカンとした顔で僕を見ている。
「テレビか何かでパンジーは食べれるって聞いたんだけど」
 流石にプランターに植えられているパンジーは駄目かと思ったが、
「それいいかも」
 と恵里はすんなり了承した。そしてずかずかと玄関に行き、プチプチとパンジーをむしり始めた。こういう時の恵里は僕よりも潔い。二人で実家を飛び出した時もそうだった。
「そんなに食べられる?」
 両手に抱えきれないほどのパンジーを持っている恵里にそう尋ねたが、
「どうせまた枯らしちゃうんだから。一気にやってしまおう」
 恵里は迷いのない手つきで美しく上を向いていたパンジーを全てむしり終えると、台所でさっさと洗う。
「この皿でいい?」
 僕は棚から大皿を取り出しながら尋ねた。
「うん。お兄ちゃんはもう席についておいて」
 恵里は手際よく皿にパンジーを盛り付けていく。僕はそれを見ながら席に着き、取り皿を並べた。
テーブルクロスに刺繍されたラナンキュラスがサラダの入ったボウルの下敷きになっている。こうして眺めていると、恵里も随分こなれたものだと思う。二人暮らしを始めた当初は何もかもがぎこちなかった。恵里も僕も家事には慣れていなかったから、悪戦苦闘し、週末は買いだしや慣れない家事で潰れた。それでも幸せだった。
「何笑ってるの」
 向かいの席に着きながら恵里が尋ねた。まっすぐな前髪の下から綺麗な目と隈が覗いている。
「二人で暮らせて幸せだなって」
 ドレッシングをかけながら、そう言うと恵里は喜びと寂しさが混ざった顔をした。
「お父さんとお母さんにいつか分かってもらえるかな、あたしたちのこと……」
 僕はそれには答えず、パンジーにフォークを突き刺した。そして大口で頬張った。
「うまいよ、これ。臭みとかもぜんぜん無い」
 僕は白色のパンジーを噛み締めながらそう言った。恵里は紫色のパンジーを口に放り込んだ。
「本当だ。美味しいね」
 もしゃもしゃという咀嚼音と花の香りが空間を満たしていく。
「あたしね、もう一回お父さんとお母さんに話したいなって思ってるの」
 黄色のパンジーをフォークの先で弄びながら恵里は尋ねた。
「それは田舎が嫌になったから?」
「違う。ここは良い場所よ、でも」
 恵里はフォークを置いて、口ごもった。
「僕らが実の兄弟だって、噂でもされてるの?」
 恵里は黙ったまま頷いた。僕も恵里と同様フォークを置いた。その先、フォークの先についたドレッシングがラナンキュラスを汚した。
「それに、こんな……逃亡生活みたいなのは」
「疲れちゃった?」
 恵里は僕の顔を恐々と見ながら頭を上下に動かした。
「……恵里の好きにしなよ。僕はどっちでもいい」
 そう言うと恵里は体を強張らせ、僕を睨みつけた。
「もっとちゃんと考えてよ。あたし達、二人のことなのよ……」
 恵里の大きな目から涙がこぼれ、皿の上のパンジーにぽたぽたと落ちていく。
「恵里は少し疲れてるんだよ……ゆっくり寝れば気持ちも落ち着くから」
 恵里が何も言わず肩を震わせているのを見て、僕も泣きたくなった。でも泣けなかった。僕は黙ってパンジーを食べ続けた。このまま全て食べてしまおう。何もかも煩わしいこと、全て忘れてしまいたい。

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