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#11 見捨てないという言葉

大学2年生になり、コロナが大流行している頃。

私は自力で歩くことが難しくなっていました。
F先生も少し集中攻撃に入ろうと、コロナでの大学登校自粛を逆手にとり、この時期に入院しようと直ぐに病室が用意してくれました。

血漿交換治療の準備ができるまで、ステロイドパルスで時間を繋ぎました。
2日後に調整がつき血漿交換スタートし、順調に2週間ほどで終了しました。

しかし症状の改善は見られなく、F先生は病室で説明する時も言葉を選びながら、私が傷つかない様に、はっきりとは、進行とか後遺症、戻らないなどの言葉は使いませんでした。 

それからは1ヶ月私はリハビリ、先生は考える時間として頑張る期間を設けることになりました。

私は一人っ子で育ち、幼少期の入院中もずっと母は泊まり込み付き添いで、母と離れて暮らすことがあまりなかったので、前半の治療期間中の2週間程の入院でも寂しさMAXでした。
コロナウイルス蔓延したばかりで病院は緊張状態。面会禁止なので、入院したら、退院まで母と会うことは出来ませんでした。

そんな中、1ヶ月のリハビリ入院中もF先生は病室に来てくれて、
「なんで私の多発性硬化症はこんなに面倒くさいの?」
と聞いたことがあります。
分かりやすく1時間くらいかけて説明してくれました。
最後に不自由になる自分の身体と、面倒な病態に怖くなり
「みすてない?」
と先生に聞いたところ
「心愛さんが僕を選んでくれて、信じてくれてる。この関係がある以上は、見捨てないよ。」
先生は少し照れていましたが、この時の私にはこの言葉がとても助けとなりました。

退院日が決まり、今後のことを話し合いました。
二次性進行の薬が発売されているけど、治験から見ていると効き目はいまひとつという感じ。
次に出る薬の方が良いから、その繋ぎでタイサブリを使おうと思うと言われました。

訪問リハビリをお願いしましょうと。

あとは母と先生とお話しタイムでした。

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