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もう息を吸うのと本を読むの一緒です

社会人になりたての頃は
アンチ自己啓発本・スキル本でして、
「学びなんて経験から取ってこれるやん」などとケチをつけてその手の類は全く読んでおらず。

ただ半年くらい経った頃から、
もうそれはそれは息を吸うようにこの手の本を読んでいたんです。

『仮説思考』のような思考論の本、
自分の仕事に関わる組織開発論の本、
『問いのデザイン』のような研修設計に活かせるノウハウ本などなど。

読むこと自体が私の当たり前になっていて、
やらないととかやりたいとか関係なくやってる、みたいな感覚なんです
(まあ読みたくて読んではいるんですけれど)

なぜ変化したのか?
最近感じているのは、
仕事をする中で疑問や仮説が見つかる
↓もやもやもや...💭
ヒントを求めて本を読む

本の中でさらに新たな疑問や仮説が見つかる

...無限(^ν^)
というループにはまりこんでいるからでは?ということです。

すぐ活かせそうなハウツーが欲しいわけでもなく
直接的な解決策を求めているわけでもなく、
解決したい問いやモヤモヤがあって
本からヒントを得たい、という感じなのかな

だいたい一冊読み終える時には、
元々あったモヤモヤに対するヒントは得ていて
じゃあ仕事でこんな風に意識変えてみたらいいかなあ、なんてなんとなく自分の中で見えている(面白いのが、ここは解決策じゃなくてよくて、あくまで自分の仮説検証を促進するヒントが欲しいだけなんだということ)のですが、
さらにもっと知りたいと思うテーマが増えているんですよね。だから次はその新たな疑問や仮説に対する本を読んで...の無限ループ。

自分の頭の中で、この無限ループによって紡がれていくストーリーがあるのも心地よい。

断片的ではなく、連続的に本を読んでいる感じが楽しいのでしょうか...
全然別の本でも私の中では一つのストーリーとして読み進めている感覚なのでしょうか、とnoteを書きながら感じていました

最近は某よした君と「センス」とか「好き嫌いと良し悪しの違い」についてずっと話しているのですが、こういう概念的なテーマだと色々な解釈ができる。だからそのテーマに関する新たなアンテナが、一冊本を読むごとにいくつか立ってしまう。
気づいたら元のテーマから少しずつ自分の関心が広がってしまっていることが多いのです。

啓発本の読書が習慣化したのは、
この入社半年〜1年弱のタイミングだったからだろうな、必然だなと思っています。

というのも
①この類の本の読み方がわかった(今までの「意識高い系の本だろ!」みたいな偏見が取っ払われて、自分にとって意味のあるものだという認識に変わった)こと
②働くことに慣れてきて、全て鵜呑みにするのではなく疑問を持てたり、自分のやり方をよくするための仮説が持てたりできるようになったこと

この二つの変化が大きく影響していると思っているからです。

自分の働くことに対する意識や、頭の使い方が変わってきたからこその変化なんだろうなと思います。

p.s.
ちょっと話が逸れますが、
この類の本の中でも、読む本とそうでない本があることにも気づきました。

解釈の余地があるのは「読む本」
正解を押し付けてくるのは「読まない本」
(この書き方の時点で私の好き嫌いが顕著に現れている)

前者は、作者の持論をぺらぺら話してくれて、それを自分のお悩みを考えるためのヒントにさせてくれる感じがするんです。

最近では山口周さん・楠木健さんの『仕事ができるとはどういうことか?』が面白くて、ただお二人が「仕事ができる人とはセンスのある人」という持論をペラペラ話すだけ(特にノウハウを教えてもらえるわけではない)構成が好きでした。

あくまで私は答えや解決策を求めて本を読んでいるわけではないので、後者はニーズに合っていない(読みながら「別にお前に言われたくねーよ」とかツッコんでそう)んだろうと思います


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