轢かれた猫は、僕の中で何度も轢かれている。
この脳に焼きついた、ひとつの光景はいったいなんなのだろう。
冷房の効いた車内から職場近くのバス停で降りる。
空は雲ひとつない真夏の炎天下で体温は急上昇する。額に汗が滴ってくる。
僕は、バス停の目の前にあるコンビニでお茶のペットボトルを購入してから、コンビニの前で買ったお茶を一気に半分ほど飲む。
朝、起きてから一口も水分を摂っていなかったため、喉がカラカラに渇いていたのだ。
ペットボトルをリュックにしまって、交通量の少ない道路沿いの歩道から職場まで向かう。
途中、まだ築五年も経っていないような綺麗な一軒家の庭から、縞模様の猫が僕の目の前に姿を現す。
僕は、しまったと思った。
何故なら……と考えが言葉としてまとまる前に、その縞模様の猫は逃げるように道路へ走り出していく。
僕の視覚情報を感知した脳は、その一瞬の筈の場面をとてもゆっくりとした映像として捉えていて、これは何か不吉なことが起こる感じがすると刹那に思った。
縞模様の猫は、時速四十キロ前後の軽自動車に「バン」と鈍い音を出しながら轢かれる。その後、唸り声を上げながら、道路の真ん中でのたうちまわっている。
轢いた軽自動車は、そのまま走り去ってしまったが、後続の軽自動車が痛みに苦しむ猫に気づいて道路端で停車して、運転手の男性が猫の怪我の具合を確認しようと車外に出る。
轢かれた猫の方は、痛みと状況に混乱しているようで、前足二本のみを使って元来た歩道まで戻り、さらに奥にある家屋の軒下に姿を隠してしまう。
運転手の男性は、軒下を覗いている。
それで、僕は何をしている?
茫然自失としている。
僕が猫と鉢合わせしたことに驚いたことで、このような結果を招いたというのに、何も出来ないでいるのだ。
何故、身動きひとつできないのだろう。
分からない。
何も分からなくなっているから、自分は悪くないと思い込むようにした。
轢かれた猫を探そうともせず、運転手の男性と目も合わせようともせず、その場を離れて職場まで向かう。
職場に着いてから、半分になっていたお茶のペットボトルを飲み干して、額の汗をシャツの袖で拭う。
冷房が効いている筈の職場で三十分、一時間と経過していっても汗はいつまでもひかない。
今日の仕事を早めに切り終えて帰宅すると、キジトラの愛猫が玄関で迎えてくれる。
名前はハルと言う。
自分の部屋に入って着替えをしていると、ハルも部屋に入ってきて身体を触ってくれと、尻尾を真っ直ぐに立てる。
優しく身体を撫でると、喉をゴロゴロと鳴らしている。リラックスしているという反応だ。
「僕は、今日、君の仲間を見殺しにしたんだよ。軽蔑するだろ?」
ハルは、大きな瞳を僕に向けて小さく鳴く。その声は、子供の頃と変わらない、とても可愛らしい響きだ。
「君が車に轢かれても僕は何も出来ないかもしれない」
また可愛らしい鳴き声で答えるハル。
その意味は、いったい何なのだろう?
僕のことを信じてくれているのだろうか?
僕は、自分のことが信じられなくなった。
大事な存在が目の前で苦しんでいても、泣いていても、傷ついていても、何も出来ずに石みたいに動かないんじゃないかって。
その思いは、一年以上経った今でも引きずっていて、あれから人間として、生物として何かを欠いてしまったように生きている。
この記憶をまだ鮮明に覚えているのは、きっと猫を見殺しにした罰で、僕は死ぬまで忘れることはできないのだろう。
それが、このひとつの光景の意味なのだろう。
僕は、今も職場近くのバス停で降りて、コンビニの駐車場や隣接する一軒家の庭の様子を伺いながら、職場へと通勤している。