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私が死んだ日
時間は、有限である。それを思い知らされたのは中学2年の夏だった。私は、ある腎臓の病気だと伝えられた。一生付き合っていくようなものだと医者は言っていた。泣きそうになっている母親を横目に、私は現実味のない事実をただのみこむことしか出来なかった。
私は、「病人」になった。薬をたくさん処方され、検査のために手術もした。当たり前のようにあった日常が全て失われた気がした。
あぁ。きっと私は死ぬんだな。
と私は思った。小さな胸は悲しい気持ちで充たされていた。
自分は、今まで生きてきた中でなにができただろう。
私は何も浮かばなかった。面白いほどに、何も浮かばなかった。考えれば、私は特技もなく、ぱっとしない日々を送っていた。その時に初めて、私はこう思った。
もっと大事に生きていたらよかった。
14歳の私には、人生は長く続くもので終わりなんて見えていなかった。こんなにも簡単に人生は終わる。明日が来る保証なんてどこにもない。
結局、私の病気は軽いものではないが、死に直接関わるものではなかった。だけど、病名を告げられたあの日、それまでの私は死んだのだ。精神的な死という感じだろうか。死んで生まれ変わったような感覚だった。
今の私は、毎日を大切に生きている。
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