【歴史夜話#9】「笛吹き男」のミステリー
ハーメルンの笛吹き男(パイド・パイパー)の伝説については、ご存じでしょう。グリム童話ですね。
笛の音によってネズミ駆除をしてくれた男に対し、約束した報酬をしぶったハーメルンの人々。契約の不履行に怒った男が、同様の方法で町の子どもたち130人を連れ去ってしまった、というお話。
これは寓話ではなく、史実と言われています。事件が起こった日時もはっきりしており、1284年の6月26日です。
この日、いったい何が起きたのでしょうか?
史実とされる大量失踪事件
公式名称が「Rattenfängerstadt Hameln」(ネズミ捕りの街ハーメルン)という、ドイツ北部の町ハーメルン。現在の人口が57,000人程度の小さな町だ。
有名な子どもたちの大量失踪事件については、マルクト教会のステンドグラスに描かれていた。そこには色鮮やかな衣装の笛吹き男と、白い着物の子どもたちの姿があったという。
説明文は以下の通り(Wikipediaより抜粋)
1284年、聖ヨハネとパウロの記念日6月の26日
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった
ハーメルンのオシター通りの東門近くには、消失した子どもへの追悼のため、音楽を奏でることを禁じられた舞楽禁制通り(Bungelosestrasse)がある。
初期の記録では大量失踪のみが語られており、1559年頃にネズミの集団発生が追加されている。
したがって物語の本質は、謎の失踪に絞られる。
失踪の原因に関する仮説
この失踪の原因について、いくつかの推論がたてられた。
1.超自然あるいは自然説
ハーメルンの新門にあるラテン語の碑文によると、笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)であったという。
子どもたちが自然の要因で亡くなった。それを象徴的に表したのが、死神の象徴である笛吹き男、という説もある。
ヴエーザー川の氾濫、土砂崩れ、流行病などがその原因に挙げられている。
2.聖地巡礼もしくは少年十字軍説
子どもたちは、なにかの指導者に導かれて巡礼に旅立った。
あるいは少年十字軍運動、もしくはこの運動を擬した奴隷商人の罠、といううがった説もある。
少年十字軍運動は、1212年から起こっている。やや年代が古くて、合致しないところもあるようだ。
3.植民地への移住説
現在広く支持されている説で、東ヨーロッパのドイツ植民地へ赴き、植民村を創建するための徴募に応じた、とするもの。
東方植民地の地名や姓に、ハーメルンに縁があると思われる類似性がある、との見方がある。
植民事業の遂行は、ロカトール(Locator)とよばれる請負人に委ねられ、これを笛吹き男のモデルとしている。
どの説も決め手には欠ける。
自分的にもっとも魅力があったのは、次の説。
4.「MASTERキートン」に描かれた説
保険会社の調査員(オプ=探偵)であるキートンが活躍する、浦沢直樹・勝鹿北星(作)のマンガ。
ネタバレになるので詳細は書かないが、第5巻「ハーメルンから来た男」「ハノーファーに来た男」「オルミュッツから来た男」で笛吹き男伝説に触れている。
音によって人を操ることは可能か?
笛吹き男が史実ならば、音によって人を操ることは可能なのだろうか?
それとも、笛吹きというガジェットはただの象徴なのか?
ネズミなどの動物を音で操る方法としては、動物への条件付けを前提にした音響誘導がある。
この方法で、放牧牛などを誘導することができる。
また猫が寝てしまう歌として、TikTokで「いちごの片想い」という曲が紹介されていたが、ウチの猫には効かなかった。
人を不快にさせる高周波音としてのモスキート音が、コンビニ前に若者がたむろするのを防ぐ効果がある、とされる。
また幽霊の出現スポットは、人を不安にさせる低周波音が発生する場所だ、とも言われる。
いずれも人や動物の感情を誘導するが、確定的に操るまでには至らない。
また推理小説リアリティ重視派の巨匠、松本清張の傑作「砂の器」には、殺人事件への音響の係わりが描かれている。
十字軍がもたらしたモノ
この失踪事件に関しての違和感として、
① 「失踪」なのに、笛を吹く男に子どもが陽気についていくような、狂騒的な色合いがある。
② 町の大人たちは、子どもが連れ去られるのを指をくわえて眺めていたのか?
さらに、
③ 「笛を吹く」というのは、単なる演出なのか?
これらを解決する答えとして、この時代の前に行われた十字軍によって、ヨーロッパにもたらされたものが関与している、という考えはどうだろう?
十字軍がイスラームの諸国と接触したことにより、もたらされたモノにアヘンがある。
アヘンは快楽を得るための麻薬としてではなく、痛みを緩和する治療のために用いられた。アヘンをパイプで吸引する様子は、笛を吹くかのように見えなかっただろうか?
黒死病を始めとする流行病に対して、抗生物質がなかった当時は痛みの緩和しかできなかった。
治療薬としてアヘンを持ち込んだ者がおり、それを大人が容認して子どもたちに与え、使用量を誤って狂騒が生まれた。それが集団的なパニックに繋がって、なんらかの悲惨な結果に繋がった。
とは考えられないだろうか?
子どもの大量失踪という陰惨な事件に、あれこれ推理を思い巡らすという趣向に、眉を顰める方もいるでしょう。
だから失踪ではなく、子どもたちは東方へ移住したのであり、その名残が現在の地名や姓に顕れている。という説が人気なのかもしれません。
私もそうであってほしい、と思います。
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