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きっと時間でしか癒やせない気持ち


12月半ばに突然義母が倒れ入院となり、そのまま年末に帰らぬ人となりました。

もともと幾つか基礎疾患が有った方だったので、いつ何時このような事があってもおかしくは無かったのですが、それはあまりにも突然で、私は気持ちを追いつかせるのに必死でした。

義母が亡くなる原因の決定打となったのは、昨年の夏、新型コロナに感染した際に併発した肺炎でした。
退院後は特にその症状も出ず、俗に言う後遺症も徐々に回復してきた頃でしたが、ここへ来て肺炎症状が急性増悪として発症してしまいました。

今までにも義母は体調を崩す事は度々ありながらも、なんとか調子を取り戻し生活してきたので、今回もきっと程なくしたら退院できるだろうと、我々家族も、本人すらもそう思っていました。

「サンタさんが、おばあちゃん連れて帰ってきてくれるかもね」

と、子供に話しながら気楽に構えていました。

ところが症状は日に日に悪化し、義母はあっという間に逝ってしまいました。


年内に通夜葬儀が無事終わり、今度の日曜日に四七日があります。

四十九日まで毎七日ごとに法要があり、故人が無事に極楽浄土へ行ける事を祈って執り行う事も、今回改めて知りました。

毎日目が腫れて、腫れが引かぬうちにまた泣いて、時には大声を上げながら感情のままあんなに泣いたのに、まだ涙が出ます。

子供たちの冬休みも終わり日常が戻った今、表面では普通にしていても、胸の奥の奥の奥の方が、常にギュウっと掴まれたように苦しくて、ずっと大雨が振っているみたいです。

不意にその奥の奥の奥のやつがポンと前に出てくることがあって、そうすると途端に涙が溢れてきます。

辛いです…。

歌を歌ったり、ピアノを弾いたり、爆音で音楽を聴いたり、ひたすらテレビを見たり、手当たり次第いろいろやっていますが今のところ、例のギュウっとしたものは取れていません。

私の実の母はお陰様で、元気です。

義理の母なのに、こんなに辛いなんて…  私は義母の娘になれていたんだなぁ…  ちゃんと義母から愛されて、私はその愛をキャッチ出来ていたんだなぁ… こんな言葉にも出来ない気持ちになるんだなぁ…

と、俯瞰している自分もいます。



この気持ちは、きっと時間でしか癒されないんだな…




四十九日経つ頃には、この苦しさは薄れているのか、はたまたさらなる喪失感に襲われているのかは分かりませんが、この先また、まだ自分が知らない気持ちに直面するかもしれないと思うとすこし怖いです。

でもその時は、義母が残してくれた言葉を思い出すことにします。


『家を守ってね。家族いつも笑顔で、子供たちをしっかり育てる事だけを考えて。』



私が嫁いだこの家は田舎の本家で、義母は代々継がれたものを守る気持ちが強い人でした。

だからきっとその事を言われるのかと思ってましたが、意外にも義母が残した言葉は、生きていく事で最も重要な、『家庭円満』を意味する事でした。




「あったかそうなセーター着とるね」

「あんたの手の方が冷たいがね」

「私に言っておきたいことはない?」

「あんたはどうか分からんけど、私は今まで一度もあんたの事を嫌いとか思わずに来れたでね。」

「もうそんなに泣かんとおき。」

「うちのことは全部、あんたに今、渡したでね!任せたよ!」

「家を守ってね。家族いつも笑顔で、子供たちをしっかり育てる事だけを考えて。」

「あんたは真面目で考えすぎてまうで、私はあんまり頼りなかったかもしれんけど、私みたいにパーっと明るいお母さんになってね。」


最後に許された面会の時に義母がくれた言葉たち。

酸素を入れてもまだ苦しいにも関わらず、必死に話してくれました。

泣いている私の話も聞いてくれました。

忘れたくないからここに残しておきます。

そしてまた哀しみに暮れた時はこれを見て目を覚まします。

お義母さんがくれたギフトを無駄にしないように、私、頑張ります。だから、見守っていて下さい。

お義母さん、本当に今まで、ありがとうございました。


どうしてもこれに触れないと前に進めないと思ったので、この場を借りてすこし気持ちの整理をさせて頂きました。

さぁ、焦らずまた、ぼちぼち頑張ろう。

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