根本の大浄化

ここ最近、昔の最大限辛かった事を思い出しては号泣するということが続いてた。

顎の矯正をして、頭が今思えば脳機能障害みたいになって、勉強も最下位、好きなダンスも覚えらなくなり後ろで踊らされるように。
人の気持ちもよくわからなくなって親しい友人とも疎遠になり、それから、人間関係での幸せを感じられなくなった。

このままじゃ自立もできないと思ったから、親に言ったけど病院も連れて行ってもらえず、話も取り合ってもらえず、自分のことを大切に思ってくれてないと思えて、それが体調以上にショックだった。

家にいても親が信頼できず、どう接していいかわからなくなって、居心地が悪くなり、心が休まる場所がなくなったのが辛かった。

自分だけでどうにかしなきゃと、なんでも無理やり頑張ってこなした。
人間関係も築けなくなって、形だけうまくやってるようにみせるのを頑張ってた。本当に疲れた。
親戚付き合いも形だけうまく繕って、悪く見えないようにするのに必死で、それから幸せな時間を過ごすことは無くなった。

何のために生きてるのかわからない時間が23年。

誰にも理解されない辛さをずっと抱えながら。
みんな充実した青春を送って、結婚して子どもができて、幸せを創ってる時に,私は自分にとって何が幸せか感じるセンサーも壊れてたからどっちに進んでいいかもわからなかった。
過去の幸せな思い出も、感情が湧かないからどんなふうに幸せだったか思い出せない。心の支えになる思い出が実質上無くなった辛さ。この辛さはたぶん誰にもわからない。これって説明できないし、周りにしたら何不自由なく与えてきて、幸せに過ごしてきて、なんで私が辛そうでうまく人生作れないか理解できないだろうな。

それにこんなに与えてもらって、幸せになれなくて申し訳ない気持ちもある。でもそんなのもたぶん言ってもわかってもらえない。じゃあ頑張れになるだけ。

去年入塾した、インスタ起業塾の塾長さんとの出会いまで、もうこのセンサーが壊れた不完全な私が私だとして生きてくしかないと思ってた。

それが、この出会いを皮切りに、23年ぶりに恋心みたいなのがブワッと急に湧いてきて、使えなかった脳が少しずつ使えるようになって、ごちゃごちゃの感情のジェットコースターを味わうことになった。

1年ほどかけて、戸惑いながらも自分の感覚を取り戻し、過去の記憶もやっと自分の記憶として感情と共に思い出せるようになっていった。

こんな日が来るとはもう思ってなかった。

2人の祖父母の最後の時も、私にしてくれたこと、かけてくれた愛情を思い出せなくて、ちゃんと想いと共に供養できなかったと悲しかったのを思い出す。

それが昨日、祖母の家を取り壊すというので、その前に久々に家に入ったのだけど、
その時、本当に幸せだった小さい頃の空気、思い出を感情と共に思い出せて、本当に心からの感謝と涙が溢れて止まらなかった。

私、この気持ちに自分の人生を賭けてお返しがしたかったんだ。ただそれがしたかった。それが私のしたいこと。って思った。

何がしたいかずっとわからなかったけど、それがただ私がしたかったことだって思った。

愛情の循環がしたい

母親やおばさんも本当に可愛がってくれたのに、顎の矯正して頭が使えなくなってから、その循環が自分の意思に反してできなくなった。

それを説明できる頭ではなかったし、何なら矯正との因果関係を証明できなかったから、自分の自我として受け入れて、それが私と思われて、そこからは生きるしかなかった。

母親やおばさんにも理解されてなくて、私が悪いみたいに言われたりして、すごく可愛がってくれた人だから、悲しくて悲しくて涙が止まらない。

でも元々とっても大事にしてくれ、愛情で関わってくれたのに、私の予期せぬ、理解されないトラブルに苛まれたせいで、その愛情を循環させられなかった。

誰が悪いわけでもないはずなのに、私が悪いって思われることばかりで否定されて、本当に辛かった。

でも、今回おばあちゃんの家に久々に行って、お盆や正月、行事の時に一緒に食事して使った食器、みんなの笑顔や笑い声が聞こえてきそうな家具や懐かしい置物…

去年までは、何も思い出せない自分だったけど、最後に昨日行った時、小さい頃無条件に愛されて、心から楽しいって思えた時間を過ごした空気感を思い出せて、私の傷だらけで麻痺してた心が、一気にいっぱいに満たされるのを感じた。

本来の自分に戻ったら、おばちゃんが、おじちゃんが、おじいちゃん、おばあちゃんが、私のためにたくさんいろんなことをしてくれたシーンがやっと、思いだせて(自分の中にあったんだと気づけて)、
これからも生きていけそうと23年ぶりに、心から無理せず思えた。

おじいちゃん、おばあちゃん、
本当にありがとう。

おじさん、おばさん、両親、
私にたくさんしてくれたことを覚えてるだけに、受け入れられなかったり、理解できないこともあったんだろうな。

今の頭なら、心なら理解できる。

私はそれを思い出せない自分で生きるしかなかったんだってわかって欲しかった。悪気があったわけじゃない。本当に本当に誤解されて辛い時間は長すぎた。

友人関係でもそう。仲が良かった友達、与えてもらった愛情に応えることができなくて、自分から身を引いたり疎遠になったり。多感な時期に本当に辛かった。

愛情を機能的に受け取れない状況って。いつまでも満たされない心で生きるために必死で過ごした23年。それが普通になってて、おかしくなってた。

愛情たっぷりにしてもらったことがあれば、その人は安心して生きてけるんだろうな。それがないと本当に生きるのが辛いし怖い。脳の機能障害の状況を経験して、身をもって体験した。

それと、どんな辛い時にも本気で助けてくれる人がいることにも、生きる希望を見出せた。

まずはたくさん与えてもらってた愛情をたくさん感じたい。
そこから今までわからなかった、どう生きたいかは見えてきそう。

与えられた愛情を大切に溢れさせたい。祖父母以外は、まだみんな生きててくれてる、ありがとう。


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