「悪魔」と呼ばれていた頃

そういえば先日参加した会に懐かしい人がいた。
私が20代前半、最も病んでいた時期に友達の友達として知り合った男性なのだが、すごく短い期間で私のことを好いてくれて「君を救いたい」とまで言っていた人。私はその重さと自己愛に耐えきれず、カットオフした。それ以降はなんなら思い出すことすらなかったのだが、久しぶりに顔を見た。直接は話さなかったし、私は当時とは外見も名字も違うのであちらも気づいていたかはわからない。

境界性パーソナリティ障害を患っている人は「悪魔」だとネット上で表現されているのをよく見かける。依存対象(いわゆるターゲット、タゲってやつだ)と距離を縮めるのが上手く、短期間で相手の心を掌握しいらなくなったら脱価値化。私も心当たりしかなく、そうやって脱価値化した異性がおかしくなっていく様も何度か見た。「こんなに君が好きなのに」「今までの時間はなんだったんだ」そんなことを言ってくる人はすでに共依存状態になっている。

心境はこうだ。

君を救えるのは僕だけだ。

私はこのナルシズムが大嫌いだった。
でも心地よかった。この言葉を引き出すまでの過程が気持ちよくて仕方なかった。二律背反、私のコンディションが悪いと途端に重く感じ、「わかった気になるな」と言わんばかりに連絡を取らなくなる。必要とされるとわかればもういらないのだ。そのうちに他のタゲを探し、術中にハマる手応えを感じると、それまでのタゲはもう用がない。

悪魔と言われても仕方ない。

すぐに空っぽになる心を満たすので必死だった、これは言い訳だけど。

何年かぶりに見かけたその人には心の中で「あのときはごめんなさい」と言いながら、「でもこれからも関わりませんように」とも願った。

その頃から見れば人間関係はとても落ち着いた。
主人はタゲではない。
私は主人が必要で、大事で、なくてはならない。主人もまた私を大切に思ってくれている。おそらく同程度の熱量で。それが伝わるから安心する。主人がいてくれるなら、もう他には興味ない。これでようやく私は私と向き合えている。

弱ってる人を見ると救いたくなる方は要注意。

そして境界性パーソナリティ障害及び形容しがたいチャームを持つB群の方は、刺されない程度に人間関係を築いてほしい。

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