noteが続かない。習慣はいかにして崩れるか。
noteを全く書かなくなってしまった。
結構習慣になっていたのに、存在を忘れるくらいのものになってしまっている。
お盆休みは全ての習慣を崩す
習慣が崩れたのはお盆休みだ。
仕事が休みになるとスープジャーで昼飯を作ることもなくなり、noteを触ることもなくなった。
長距離休みというやつは、いつもの習慣とは全く違ったリズムで時が流れるので、習慣を続けるトリガーが発動しない。
その時の刻みの中で、無意識のうちに新たな習慣に染まっていく。
お盆休み以前の習慣は、新しい別の習慣に塗り替えられてしまったのだ。
もう11月ですけれど、大丈夫ですか?
お盆休みって、いつの話をしてるんだと言われそうだ。
もう11月だ。
崩れた習慣はこれほどに尾を引いて、もとに戻すことは難しい。
家を買うシリーズを書こうとも思っていたけれど、いろいろあり過ぎて、書いていいことなのかという問題にもぶつかった。
何より書くテンションに持っていけなかった。
まぁ、今回の経験は書くことによって誰かの役には立つとは思うのでいつかは書こうと思うけれど、今はリアルタイム過ぎて、感情が邪魔をして書けない。
それでもnoteを触る理由
しばらく離れていたnoteに、思い出したようにこうして触ってみている。
寝転びながら、スマホのアプリで書いている。
隣では息子が宿題をしている。
こうしてnoteを触るのは、やっぱり表現したいなと思うからなんだろうな。
誰かが発する情報を見るだけだと、退屈してくる。
どんなものでも、駄文であっても作る方が楽しいんだと思う。
書いたってたいしてに読まれないし、スキをもらえるわけじゃない。
評価されたくて書いているわけでもない。
でも評価がないのも寂しい。
世の全ての作品にはそんな切なさが含まれているのかもしれないね。
常に何かを作っていたい
別にnoteじゃなくてもいいんだけれど、常に何かを作っていたいなと思う。
何かを作っているときは、それに向かって夢中でいられる。
何かを作って発表する。
これが一番の娯楽なのかもしれない。
その発表の場の一つとしてこのnoteがあるんだな。
ありがたやありがたや。
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