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眠気に勝てないと嘆く勿れ

眠気に支配される人生なのかもしれない。 

中学くらいまでは、朝目覚ましが鳴って止めて、数分すると母親が起こしに来る、みたいな日々の記憶がうっすらあるし(その頃から二度寝常習犯だったわけだ)、高校くらいから授業は眠気との闘いだったし(視聴覚室で歴史物の映画を見る世界史の授業では、見たい気持ちはすごくあったのだけど暗いせいもあり意に反してほぼ寝ていた)、大学のときは意に反してどころか意志を持って寝ている授業もあったし、バイトの休憩中は休憩室で座って寝てたし、電車のなかでは今思えばあの頃私のとなりに座った人すべてに謝りたくなるくらいしなだれかかって寝ていたし、座れないときも吊革につかまって立ったまま寝ていた。サロンモデルで美容室に行くことが多かったのだけど、たいてい最初と最後以外寝ていた。当時付き合っていた人に呼ばれていたあだ名が「ナルコレプシー」をもじったような名で、ぴったりだねと二人でひとしきり笑った。

そんな私が今、「お布団の誘惑に勝てない」「早起きできない」「夜は寝てるだけで結局自分の時間が持てない」と嘆いているのは、思えば至極当然なのである。

数年前に書くことを始めたとき、私は今よりもたぶん、内的なエネルギーが溜まっていた。やりどころのない感情で爆発しそうで、でも子育てで手一杯で日々の繰り返しを変えることは出来ず、鬱屈していた。
だからこそ睡眠時間を削って書けていたんだと今になって思う。
夫にも友人にも、小説を書いていることは誰にも言わず、夜中にアラームをかけてムクリと起き上がり、夜な夜なPCに向かった。自分を保つ方法はそれしかなかったから。というよりそれが、回り道に回り道を重ねて辿り着いた、人に迷惑をかけずなんとか感情を爆発させる自分なりの唯一の方法だったんだと思う。
だからある意味、あの頃はやむにやまれず書いていたんだけれど、今は少し様子が違う。
少しずつ外で仕事をするようになり、書くことが日常のひとつになり、ささやかながらそれでお金をもらうこともできるようになった。読んでくれる人もいて、励まし合えたりもする。
外に出られるようになったことで、つまり誰かに自分を認めてもらえるようになったことで、あのトゲトゲした鬱屈は少しだけ、丸くなった。

あのどうしようもない負のエネルギーのおかげで夜中にキーボードを叩くことができていたのだとしたら、今、その時間が取れないと言って嘆くのは、本末転倒なようでもあるし、「欲しがり過ぎ」なのかもしれない。もしくは、そろそろ原動力を別のところに持たないといけないのかも。切実だったからこそ無理もできたけれど、本来の私は「睡眠至上主義者」である。その自分のままでもやりたいことをやれるように、自分の生活をチューニングしていく時期に来ているのかもしれない。歳も取っていくわけだし。まあ言うだけなら簡単で、それを実際にやるのが本当に難しいのだけれど。

「本当にやりたいならできるはず」「起きられないのはやる気がないからだ」「あの頃はできていたのに」そんな風に思って落ち込んでいたけれど、本当に続けていきたいなら自分の特性を飼い慣らしながらやれる方法を見つけなきゃいけない。

睡眠に支配される人生、ではなく、睡眠と手を取り合って生きていく人生。書いてみたらすごいバカみたいなこと言ってるなって思ったけど、これが真理なんだから仕方がない。私のなかの眠気をちゃんと認めて仲良くやろう。書くことも、仕事も、家庭も、眠気も。眠気も、て。並べるな。やっぱりアホかな。いや、アホじゃないな、人間の三大欲求のひとつなわけだから、これこそ切実じゃん。まあそんなわけで、これからはすぐ寝てしまう自分を、あんまり嫌いにならないように生活したいなと、そんなことを思う二度寝した土曜の朝だった。

#エッセイ


子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!