ままならなさによって空いた穴を埋めてもらうことを、逃避とは呼びたくない。【宇佐見りん『推し、燃ゆ』】
推しという存在は、代り映えしない日常にちょっとした潤いを与えてくれる。
SNSの更新に飛びつき、情報解禁に沸き、写真や動画に癒されて、インタビューに心奪われる。「今日も生きていてくれてありがとう」とわけのわからない満たされた気持ちになり、スマホを閉じて現実へ立ち向かう。
私はわりと簡単に推しが増えるタイプなので、そのときそのときで熱を上げる対象は変わってきたのだけれど、でももう長いこと、私はそうやって生きている気がする。
いや、「ちょっとした潤い」なんて気軽なトーンで言って