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優先席

数日前に友人とFacebookでコメントのやり取りしていたら、妊婦にバスや電車で座席を譲る取り組みが首都圏で試験的に行われるという話題になった。

それをきっかけに、私が妊婦だった時(およそ8年前の話)に経験したエピソードを思い出した。

私は妊娠後期まで会社勤めをしていて、通勤の際、駅までの往復にバスを使っていた。ある時、お腹もかなり大きかったので、揺れるバスの中でバランスを取りながら奥の席まで移動するのはかなり辛くて、仕方なくバスの乗車口近くの優先席に座らせてもらっていた。カバンには妊婦マークを下げていた。

私は座席に座って本を読みながらヘッドホンで音楽を聴いていたので最初、「その人」に話しかけられているのに気づかなかった。

敬老パスを持った「その女性」が次第に声を大きくして「都合が悪いからって音楽聴いてるふりして無視するって、嫌よねえ」と言った(ように聞こえた)のでようやく気づいて、イヤホンを外して「何かおっしゃいましたか」と聞くと、その人は敬老パスを印籠のようにかざしながら

何かおっしゃいましたか、じゃないでしょうあなた。そこ、優先席ですよ」と言った。

一瞬「私、妊婦ですけどここ、座ってちゃいけませんか」とか何とか言い返そうと、頭の中では色々と思ったが、結局口から出てきたのは

「申し訳ありません、移動します」だった。

そしてその敬老パスおばさんは、「自分用の席がやっと空いた」という顔でやれやれ、といった感じでその優先席に座った。

バスの入り口近くにある優先席は、老人や妊婦に確かに親切な作りだ。しかし、別段座席がフカフカだとか、何か特別な仕様になっているというわけではない。ただ、入り口から近いだけである。

その時、バスの中は他にも座席は結構たくさん空いていた。私も、その女性も、優先席にこだわらなくても他に座る席はあったのだ。

私は席を移動してからも不快な気持ちが消えず、「私は妊婦だから優先席に座っていたのだ」ということをどうしても伝えたくて、最後にバスを降りるとき、大きなお腹をわざと大げさにさすりながらその人の横を通り過ぎた。

振り返ってまでその人の顔を見ることはしなかったので、どんな顔をしていたか分からないがただ、「ああそうだったのか」と思ってもらいたかったのである。

もし、あの時「私は妊婦なので座らせていただいていたのですがいけなかったですか」と伝えていたらどうなっていただろうとふと考える。

あの人の若かった時代には妊婦マークなどというものはなかっただろうと思うので、そもそも妊婦に席を譲るという発想がないのだろう。

老人と妊婦が同時に立っていたら、座らせてもらえるのは今も昔も間違いなく老人の方だろうと思う。

しかし、時代は変わったのだし、あの時他に席は空いていたし、「私、妊婦なんです」と言ってみても良かったのかもしれない。

きっとあの人は「若いモンが優先席なんかに座りやがってけしからん」と思っただけに違いないのである。

今となっては「たられば」の話に結論は出ないが、あの時意地を張らずに「平気な顔して座っていた理由」を伝えるために、「妊婦なんですよ」と言っても良かったのだろうと思うが、実際に自分が妊婦の時にはなかなか言えないものである。

本当に、なかなか言えないものなのだ。

「妊婦マーク」をカバンに下げるのは賛否あるが、私は当時、「もしもバスや電車内で気分が悪くなったりした時には、その場でしゃがみ込むなどの行為を容認してもらいたい」という気持ちで付けていた。

だから「席を譲って欲しい」というつもりで付けてはいなかったし、実際、譲ってくれる人もほとんどいなかったが、時々「どうぞ」と譲ってくれる人には感激し、深々と頭を下げてお礼を述べてから座らせてもらっていた。

本来、優先席というのは「どうぞ、よかったら座ってください」という善意で譲り渡す座席のことであり、誰かが「そこ、アタシの席よ、他の人は座らないで」と言って所有を主張するものではないと思う。

いずれは私も「敬老」の対象になる日も来ると思うが、その時になって若い人の善意を、自分の権利と勘違いして主張するような老人にはなりたくないものだと思っている。

そして、次に交通機関で妊婦マークの女性がいたら、思い切って声をかけて席を譲ろうという気持ちを、改めて思い出している。

#エッセイ #コラム

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