他人の悪口を聞かされると怒りだす人

人の悪口は言わないようにしましょう、というのは子どもの頃から親からも先生からも聞かされて、誰でも分かっていることのはずである。けれども「悪口」の独特の浄化作用には抗いがたいものがあって、「本人には絶対に聞かれない場所」で「絶対に秘密を漏らすことのない人たちとであれば少しぐらいは言ってもいいような」気がしてしまう。

しかし、自分の悪口を言われているわけではないのに、全く関係ない他人のことであっても、悪口を聞かされると怒り出す人がいる。

私は基本的に、他人の悪口は完全に他人事だと思っているので、自分や自分の身内ではない人の悪口を聞かされても、嫌な気分にはならない。

自分がそんな風なので、他人の悪口を聞かされて怒っている人の心理は、想像してみるしかない。

こんな仮説を立ててみたがどうだろう。

1. 他人の悪口を聞かされると不機嫌になるもしくは怒り出す人は、想像力がたくましいため、聞いているうちに自分のことを言われているような気になってくる。

2. あるいは、もっとネガティヴな人になると、「暗に比喩的に自分のことを非難しているのではないか」と捉えてしまい、敢えて確かめることもしないので真偽のほどは分からずモヤモヤする。

3. もしくは、ただ単純に「悪口」という言葉の持つ負のエネルギーが嫌だ。

もっとあるかもしれないが、おおざっぱに分けると大体このうちのどれかではないだろうか。

これは個人的な実感なのだが、嘘を日頃からよくついている人は、他人の発言を嘘ではないかと疑いの目を向けやすい。自分がしていることは、人もしているだろうと考えるからだ。

これと同じで、面と向かって文句を言わず、第三者の悪口を装って当人に思いをぶつけるというやり方を普段からしている人は、他人からも同じことをされているのではと疑うのではないか。

私は実は、悪口を言うのも聞くのも嫌いではなく、どんなに変な人のことも絶対に悪く言わない人のことを以前は「偽善者」あるいは「信用ならない人」だと思っていた。また、悪口のターゲットの人とは全く関係ない場所では、悪口を言っても被害者はいないと思っていた。

しかし、悪口というのは、言われる人と言う人だけでなく、全く関係ない第三者にまで「自分のことではないか」という気にさせてしまう可能性があるということに、最近になってようやく気づいた。だから「言いたい気持ち」には蓋をして、極力言わないという選択をする方が、やはり賢明なのではないかと思うようになったのである。

実家の母がいつも言っている「人の悪口は言わないほうがいい」というのは、やはり本当だったのだなと思う。

私の好きなエッセイスト、酒井順子さんの『たのしい・わるくち』というタイトルの本が前から異常に気になって仕方がない私が言うのもどうか、とは多少思うけれど。

#エッセイ #コラム


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