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喋れなくなったひよぽんと

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ひよぽんが退院してきてからの気持ちを書いています
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痛みが強いとき

今日のひよぽんはとても右腕が痛いようで 「いでぇ~ いでぇ~」と言い通し とても痛がっているのに知らん顔も出来ないし といって何かできることもないし いや 温めてみたり痛み止め飲んでみたりそういうのは手伝ったけど それで痛みが取れたりはしなくて こういうときどうしたらいいんだろう 押し黙るひよぽんに倣って 黙って座って何にもできない1日でした

喋れなくたって理解は出来る

ひよぽんが受けている訪問リハビリで ミラーセラピーなるものが始まりました 麻痺している右腕の痛みが強く それに対して効果があるかも?ということのようです ただ 突然始まったそれは ひよぽんにとって意味不明なものでした その場に私も居合わせましたが 特に説明されず始まったのです ミラーセラピーは 動く左手を鏡写しで右手に見立てて それを見ながらあたかも右手が動いているように 脳に錯覚させるというもの 鏡に写った腕を見なければ効果が全くない でも 理学療法士さんはその理論

ひよぽんのお誕生日

ひよぽんと昭和天皇は誕生日が同じです 今年の4月29日は私はお仕事だったので 前日の28日にお祝いしました ケーキは要らないということだったので ドーム状に盛られたローストビーフを用意して そこにロウソクを立ててハピバースデーしました 57歳 5と7の形のロウソクで年齢をあらわして ひよぽんはフーっと息をかけて炎を消しました なのに 「何歳(になったの)?」と・・・ 57歳だよ! 「えー、そんなにー?」 何歳だと思ってたの? 「にじゅうー・・・ご!」 それはないよひよ

もう、いやだ

ひよぽんは機嫌のいいときが少ないです ここのところは麻痺側の痛みが強くて 便通もうまく行かなくて 喋る感じもいつも怒鳴られてるかのよう 「もう、嫌なんでしょ?」 今まで何度となく聞いたひよぽんの台詞 今日は黙って頷きました こんな いつもどこかが不調のひよぽんと一緒にいるのは嫌 口を開けば「痛い」か「うんち」 半分体が動かなくても 思うように喋れなくても 痛いとかそういうことがなくて健やかならまだ 「もう嫌だ」って言っちゃいけないと思ってた 言ってもこの暮らしを続けなき

こんなからだに誰がした

ひよぽんが 脳梗塞で救急搬送されたときのことを話して というので 渋々その話をしました 発症後すぐ病院に到着したものの 医師の見立てでは初発ではなく 積極的治療は出血してしまう恐れがあるので あまりおすすめしませんと ほら ひよぽんは勝ち誇ったように言います ボクは そのまま死んでもいいから その治療を受けたかった このからだで生き残らせたのはお前だろ そうだよ そうだけど こんな障害が残るなんて想像出来なかった でもひよぽんにとっては 望まぬ生き方をさせられているだ

「好き」かどうか

ひよぽんが冷蔵庫を開けて 中の何かについて話していました 失語症の影響で ひよぽんは「こう?」と訊き返したとき 間違っていても「そうそう」ということがあったり 合っていても「違う」ということがあります 今回も、訊き返しても「違う」という でも多分この理解であってる 冷蔵庫からは冷気が出てくる 私はつい「電気代もったいないよ」と 冷蔵庫のドアを閉めてしまった ひよぽんは絶句して私を見たあと うなだれて去って行ってしまいました そしてふて寝 2時間くらいして起きてきた

おしゃれさん

ひよぽんは衣服などに埃がついたりするのをとても嫌がります もう、直後に脱ぐ服だとしても「きたない」と言ってそれを取ろうとします 埃とか 毛玉とか 皮膚病で(?)落ちた角質とか もう脱いで洗濯するのに 取っても取らなくても一緒じゃない? こういうこだわりが強く出るのもまた 高次脳機能障害 取るのは私だし、無意味だなあと思ってるから ついつい取り方も雑になります ひよぽんのことを「おしゃれさんだよね」と言ってくれる介護士さんがいます 服は特別おしゃれじゃない 帽子をかぶっ

100%わかってほしいなんて贅沢

言葉の大半を失ったひよぽんは言います 「これだけ言いたいことがあるのに ちょっぴりしか言えない」 ジェスチャーを見る限り 10分の1くらいしか言えないみたい 伝わるのはそこから更に少ない でも、ひよぽんの話はわかりづらい 「結論だけ言って」 とわたしもつい言ってしまう その考えに至る過程まで到底聞き出せない どうしてそうなのか そうなったのか ひよぽんにとってはそれが重要 でもこっちにはそれを聞き出す時間も忍耐もないの とりあえずどうしたらいいか それを重ねて学習する

おしりの痛み

車椅子に長く座ると「おしり痛い」というひよぽん おしりのお肉が本当少なくなった 8月にコロナになったとき 10日くらいろくに食べなくて痩せて それからおしりのお肉は戻らない 体の右側が麻痺してるから あんまり立って歩くことがないし 歩いても大股とか腿を上げるとか そういう歩き方しないし どうやったらおしりのお肉を増やせるの? 体重は戻ったのに

楽しい暮らし 大切な暮らし

脳梗塞になったひよぽんとの今の暮らしは 正直言って楽しくない でも 楽しくなくても大切ではある 不思議だけど だから続けられる

わたしのじかん

ひよぽんは毎週土曜日にデイケアに行きます 私は車で送り迎え 送って行って、その足で仕事へ 仕事が終わったらその足で迎えに行く でも この間の土曜日は仕事が休みだった だから、ひよぽんがデイケア施設にいる間はわたしのじかん 月に1日しかないわたしのじかん この間の土曜日はひよぽんは具合が悪く 送って行って早々に迎えに来てと呼び出されました 具合が悪いんだからしょうがないけど わたしのじかんはたった2時間半 もうちょっと欲しかったなあ

あれから2年

ある意味、記念日の今日 2年間再発なし そのおめでたい日に 私は久し振りの頭痛 ひよぽんは相変わらずお腹が不調 ちょっとしんどい、そういうと ひよぽんはボクの方がシンドいみたいに言う それはそうかもしれない でも だからといって私がしんどくなくなる訳じゃない それとこれとは別なの 早々にひよぽんは寝てしまいました 私も早く寝よう お祝いはナシです

記憶の蓋

8日は、ひよぽんが脳梗塞で搬送されてから丸2年です 2年間再発しなかったので「何かお祝いする?」とひよぽんに訊いたけどどうでもいいって でもそれから暫くして 搬送されたときのことをひよぽんは訊いてきました 最初は今みたいに喋れなくて ジェスチャーも出来なかったのよ でもひよぽんの興味はそこじゃなくて 最初に入ったSCUのことでした 「あんまりその時のこと思い出したくないんだけど」 記憶に蓋をしていたから 搬送された時にひよぽんは「ごめんね」って言った ベッドで看護師さん

私はママじゃない

先日の喧嘩は酷かったです 過去最大級に酷い喧嘩をしました きっかけは 些細なことだったのに ふたりとも冷静になってから、ひよぽんは言いました 「悪いところがあったら言って、直す」 悪いところかどうか判らないけど、じゃあ、 私は「お前」って呼ばれるのは嫌い 「ママ」って呼ばれるのも嫌い 私はひよぽんのママじゃない ひよぽんは私のこと「ぶやん」って呼んでたの でも、呼べないんでしょう?言えないんでしょう? だからしょうがないと思ってる 「判らないよ、やってみないと」ひよぽんは