北の刀を見に行こう!雪降るまちで刀を見てきた話【兼定・新藤五国光】
こんにちは。
ようやく今年最初の投稿です。私は年始からバタバタと仕事に明け暮れ、休日は刀を見に行くという休みのない日々を過ごしております(笑)
さて、今回訪れたのは福島県立博物館の『美しき刃たち』(~4/4)。
実は私の今年の目標の一つは「北の刀を見に行くこと」だったんです。そう思っていた矢先に、JR東日本の『旅せよ平日!キュン♡パス』(2024年2/14~3/14限定で利用出来る一日乗り放題切符)なるものが発表されまして「これは行くしかない!!!」と弾丸会津旅を決行したのであります……!
福島県立博物館『美しき刃たち』
『美しき刃たち』というタイトルでの企画展は今年で5年目になるのだそう。今回は地元・会津の刀匠の刀をメインにした展示のようです。
それでは早速、個人的に印象に残った刀についてお話していきたいと思います。
短刀 銘 兼定作
こちらは関兼定による室町時代の短刀。存在感のある刃文が目を引く一口です。
盛り上がった山の部分が平らに幅広になっている互の目の刃文が、リズミカルでポップな印象に感じられます。こういう丸みがある刃文って、個人的にはかわいく思えて好きです(^^)
ハバキの上あたりで刃文が落ち着くところも、この刀全体の雰囲気がほどよく引き締まるポイントかと思います。
さて、「兼定」とは美濃(現在の岐阜県)の関という地で活躍した刀工集団のことです。
なぜその地で刀の生産が盛んになったのかと言うと、理由は大きく2つ。ひとつは、西側と東側を結ぶ交通の要所であったこと。もうひとつは、戦国時代に様々な大名が美濃の周辺で戦を繰り返していたということです。これにより、関の刀工たちは大名からの注文を大量に受けていたと考えられています。
戦国時代に作られた関の刀は「末関物(すえせきもの)」と呼ばれ、その双璧をなすのが「兼定」と「兼元」という刀工になります。(今回は兼元の話は割愛させていただきます)
歴代兼定の中でも特に有名なのが、通称「之定(ノサダ)」と呼ばれる2代目兼定。銘が「之定」と切られているため、区別してそう呼ばれています。之定は刀工としては異例で、和泉守を受領し地方官に任命されたそうです。これは当時ものすごいことだったようですね。
ちなみに、之定と孫六兼元は兄弟の契りを交わしたと言われています。末関の双璧といわれた二人は、固い友情で結ばれていたのかもしれません。
そののち4代目兼定が会津に拠点を移したことで、会津の刀工としての歴史がスタートしました。これ以後、兼定の刀は会津藩士や、その統治下にあった新選組に使用されたそう。さぁ、ここでピンとくる方もいるんじゃないでしょうか? そう、和泉守兼定といえば土方歳三ですね。土方歳三が使用したという刀・和泉守兼定。その繋がりは、ここ会津にあったのです。
刀 銘 会津刀匠和泉守兼定
ということで、お次は土方歳三が所持したという11代兼定の刀です。(展示されている刀は土方歳三が所持したものではないですが、同じ刀工が打った刀となります。)
肌はきめ細かくて吸い込まれそう。よく見るとうねうねした模様が見えます。刃文は直刃でいかにも正当派。そういえば、土方歳三資料館で見た和泉守兼定も、こういうスッとした「清く正しくすがすがしく!」見たいな刀だったなぁ……と思いを馳せました。
そしてそして、銘がかっこいいのです。見てください!
見ているこちらの背がスッと伸びるような、凜々しく真っ直ぐな文字に11代兼定という人物の息吹が感じられますね。
刀 銘 会津臣元興 (裏:弘化四年八月)
角元興は会津の刀工であり、新々刀の祖と呼ばれる水心子正秀の弟子の一人です。
この刀は鍛え肌がとーーっても細かいので、まるで無地のように見える「無地肌」かと思われます。無地肌とは、強度のある刀を作るために何度も何度も鍛錬をすることで肌目が見えなくなるもの。鍛刀技術が発達した新々刀に多いと言われています。
この刀の地鉄は「つるつる」とか「つやつや」という表現がよく似合います(単調な感想ですみません……笑)でも、刃文側の肌をよーく見ると杢目のようなうずまき模様が現われている部分もあるので見逃せませんね!
そして、この刀の見所はもう一つ。「沸」です!
私は沸出来の刀が大好きなので、思わずテンションが上がってしまいました(^^)
なぜ沸出来なのかというと、角元興は相州伝も学んでいたからなんです。
相州伝とは鎌倉幕府の誕生がきっかけで繁栄した刀剣大産地のひとつ。そして何と言っても、あの有名な「正宗」が完成させた流派です。そんな相州伝がもつ特徴のひとつが「沸」なのです。
なので、相州伝を学んだ角元興の刀が沸出来になるのは必然なんですね。
こちらの写真↓を拡大すると、白い部分に粒のような模様があるのが分かると思うので、ぜひ見てみてくださいね(^^)
短刀 無銘 (伝 新藤五)
お次は、新藤五国光の作と伝わる短刀。写真からもあふれ出るこの気品!伝わりますでしょうかっ!? はぁ、なんて上品で、静かで、美しいのか……。思わず溜息が漏れてしまうほどです。
ピンと真っ直ぐに描かれた刃文と、澄んだ地鉄。シンプルでありながらも、全くつまらなさを感じない作風です。それってすごいことじゃないですか?
私はとにかく地鉄の美しさに惹かれました。板目の模様が見えますが、そこまで主張が強くないから上品に思えるのでしょうか。例えるなら、水面に光りが反射してきらきらしている感じです。……って、この例えいつかのnoteにも書いた気がします(笑) たぶん、私は地鉄を水面に例えるクセがあるんだろうな。。(^^;) まぁ、そんな話は置いておいて。よく刀剣の説明文で見かける「肌が澄んでいる」という表現は、この刀を見るとよく分かります。おすすめです。
新藤五国光という人物は、鎌倉時代後期に相模国(神奈川県)で活動し、相州伝の礎を築いたと言われている名工。先程、相州伝を完成させたのは正宗とお話しましたよね。この二人はどういう繋がりかというと、
新藤五国光
↓ 作刀技術を伝授
行光(国光の子と考えられている人物)
↓ 師として教える
正宗
ということのようです。ですから、新藤五国光が相州伝の基礎を作ったと言われているのですね。
ところが、相州伝は五箇伝の中でも最も難しい技術と言われ、後継者が続かなかったようです。そのため鎌倉幕府の衰退とともに相州伝の刀工はかなり減少してしまったということです。
(くわしくはこちら、おなじみの刀剣ワールドさんのサイトをご覧ください。)
まとめ
今回は会津にゆかりのある刀工をメインにした展示とのことで、普段はあまり観る機会がない刀たちを見ることができて非常に面白かったです。展示室はコンパクトですが、展示の仕方が良くとても見やすいので帰る頃には満足感でいっぱいでした。
また、刀剣以外にも会津の歴史や文化を知ることの出来る展示が充実していますのでゆっくり楽しめます。特に、震災を扱った展示室は絶対に見て欲しいです。日本人として忘れてはならない、知らないままではならないことがそこにはありました。博物館へ足を運ぶ方は、ぜひ観てみてくださいね。
博物館周辺の話
博物館以外の場所も少しだけ紹介します!
①鶴ヶ城
会津藩のシンボル・鶴ヶ城。戦国時代には様々な武将がこの城を治めました。城内は展示室になっており、鶴ヶ城の歴史を学ぶことが出来ます。面白かった!
ちなみに最上階は展望台になっており、会津の眺めを一望することができます。私の時は、展望台に登ったタイミングで大吹雪……(笑)真っ白すぎて何にも見えなかったのも、ある意味思い出です!
また、敷地内には千家ゆかりのお茶室もあり、お庭を眺めながら抹茶とお茶菓子を楽しむことが出来ます♪
②喜多方ラーメン
寒い日はやっぱりラーメンでしょう!ということで食べてきました!
去年から「ひとりラーメン」が出来るようになったわたくし、この冬はラーメンばかり食べています(笑)そんなわけで楽しみにしていた、本場の喜多方ラーメン。思ったよりあっさり系のお味で、ぺろりと食べられました(^^)
③かすてあん
鶴ヶ城のすぐそばに店を構える老舗『會津葵』さん。お店の外観がいかにも歴史があります!という雰囲気を放っていたので、すごく気になりまして。えいや!っと入ってみました。
そしたら中もすごく素敵。お話によると古い蔵をお店として使っているのだそう。そしてお店の方の接客もとっても良かったので、このお店に入ってみて良かったな~と思いました(^^)
……と、いうことで銘菓かすてあんをお土産に買って帰りました!カステラ生地の中にあんこが入っており、上品なお味でした♪ カフェもあるみたいなので、次回会津へ行った時は是非行きたいと思います。
おわりに
今回の会津旅は、雪が降ったりやんだりのなかなかハードなお天気でしたが、旅先ではそれすらも楽しめるのが不思議なところ。やはり初めての地で目にする光景はどんなものでも新鮮で、面白い!
東京じゃ滅多に見ることの無い銀世界を見ることが出来て、良い思い出になりました(^^)
今年はまだまだ楽しみな展示が控えているので、たくさん見に行きたい!と意気込んでおります。
それでは。
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