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真田のまちで刀を見る【源清麿】

「清麿の刀がすごく良い」と聞いてやってきたのは、
長野県上田市で開催されている『刀剣と甲冑 サムライアイテム 上田藩の風格』(~9/3)。


こちらの展示は上田市立博物館と上田市立美術館の2会場同時開催です。最近刀旅がしたくてうずうずしていたところだったので、急遽空いた日に予定をねじ込み行ってきました!

真田ゆかりのまち、上田

真田と言えば、大阪夏の陣で家康を追い詰めた戦国武将・真田幸村が有名ですよね。上田はその真田家が城を構えた土地です。

駅に降りると、街には真田の家紋が至るところに!
上田駅にはどどんと家紋が取り付けられていて、まさに街のシンボルになっていることが分かります。

上田駅
駅の構内にある鎧

駅前には今回の展示の幕も。大々的に宣伝されていて、期待感が高まります。

美術館への道は、駅を背にして左側です。それでは早速向かいましょう!

上田市立美術館

駅から10分ほど歩くと、半円型の建物が見えてきます。この建物が、上田市立美術館。実はこちらの美術館は、サントミューゼという芸術センターの中にある施設なんです。サントミューゼでは音楽や舞台、アトリエなど様々な催しが行われているそう。

上田市立美術館(サントミューゼ)
中庭

建物の周りは山が連なっていて、開放的な景色! この日は晴れていたので、空と山のコントラストが最高でした。

美術館は建物の一番端にあります。ミュージアムショップでチケットを購入して、二階の展示室へ向かいます。

展示室入り口にあった鎧
よく見ると真田家の家紋が!


写真撮影・SNS投稿は一部を除いてokなので、写真つきでお話していきます。


刀 無銘 六連銭金象嵌 / 脇指 無銘 六連銭金象嵌

唯一、大小揃えとして展示されていたこちらの刀。よく見ると茎に真田家の家紋が入れられています。

刀・脇指ともに矢沢家に伝来したそう。 え?真田家じゃないの?って、思いますよね。
矢沢家と真田家の関係の鍵は、矢沢頼綱という人物。矢沢頼綱は、真田幸隆(幸村の祖父)の弟です。三男だった頼綱は矢沢家に養子に出されたということらしいです。なので、もともとは真田の人間なのですね。

この金象嵌が一体いつつけられたものなのかは分かりません。でも、真田家の家紋が彫られた刀が矢沢家に伝来した、ということにとても興味が湧きます。これは矢沢頼綱が彫らせたものなのか、元々象嵌されていたものを譲り受けたのか、それとも後世に彫られたのか……。色々想像が膨らみますが、いずれにせよ、矢沢家と真田家の関係を刀が物語っているようでとても良いですよね。

ちなみに刃文は、刀が緩やかなのたれ、脇指が乱刃(互の目?)。刀のほうが静かな作風なのに対して、脇指は動きのある刃文なので、見ていて楽しい二口でした。


刀 無銘 長谷部(国指定重要文化財)

こちらは真田家が幕末期に所持していたとされる刀。
作者とされる長谷部国重は「正宗十哲」のひとりとされています。正宗十哲とは、刀匠正宗の弟子の中でも特に優れた十名のこと。他に、貞宗や郷義弘などが名を連ねています。
私が長谷部国重の作を見たのはたぶんこの日が初めて! いつか九州に行って『へし切り長谷部』も見てみたいなぁ。

幅広めで長さもあるので、すごく迫力がありました。南北朝らしい風格です。

刃文は物打ちあたりが大きく動き、横手手前で落ち着く感じです。物打ちあたりの刃文は少し屈んで見た方が良いかと思います。角度を少し変えて見ると、刃取り(刃文を見えやすくするために研磨した部分のこと)の中から本来の刃文がぐんっと浮かび上がってきます。そうすると「こういう刃文だったのか!」という驚きがあるので、おすすめです。(^^)

刀 無銘 伝真田信之所用

こちらは真田信之(幸村の兄)が持っていたと伝わる刀。長巻と呼ばれる大きな刀を短く直したものです。そのなごりで、ハバキ元の幅よりも物打ちあたりの幅のほうが広くなっていますね。

この刀で好きだなぁと思ったのは、肌!
おそらく板目肌と柾目肌が混ざっている鍛え肌ではないかと思います。刀の丁度真ん中あたりを見ると、柾目肌がのびやかに現われていて、とても気持ちいいんです。それがまるで川の流れのように思えて、とても爽やかな気持ちになりました。すると、ハバキ元近くに現われている板目肌もなんだか気泡のように見えてきて……。刀全体がひとつの風景を写しているかのように感じました。とても素敵な刀です。


脇差 なんばんがね しし貞宗のうつし 本多飛騨守所持内越前国康継

今回の展示のポスターにも載っている脇指(美術館の表記では『脇差』)。

この脇指は大阪夏の陣で焼けた『獅子貞宗』の写しです。それを作ったのがこの人、越前康継。
康継は、私が徳川ミュージアムへ行った日のブログにも登場している刀工です。私はその時に、越前康継が焼けた刀の再刃や写しを作ったことを学んだので、今回名前を見て「お!」と思いました。本当に沢山の名刀を後世に残してくれた人なのですね。さすが家康に「康」の字をもらっているだけあります。すごい人です。

この刀は樋(地鉄に彫られた溝のこと)の彫刻が印象的ですね。やっぱり彫刻があると、その刀の世界観が変わります。
彫刻があることによって、そこに込められた意味や願い、宗教性がより分かりやすく現われます。だからこそ人間性が感じられて、心が惹きつけられるのかもしれません。
ひとつ気になったのは、この彫刻の彫り方。龍が絡まっていない部分(茎側の彫刻)は立体的に描かれているのに対して、龍の部分は平面的に表現されています。立体と平面が混ぜ合わさっている彫りはあまり見たことが無かった気がするので、珍しいなぁと思いました。


刀 銘 水心子正秀 出硎閃々光芒如花 二腰両腕一割若瓜

すーごく良かった……!!今回の展示品のなかで一番好きな刀です。

地鉄が本当に綺麗。ちょっと自信は無いのですが、おそらく地沸が一面に出ているのではないかと思います。地沸といえば『日向正宗』を思い出しますが、なんとなく肌の感じが似ているような気がしました。
とにかく、この刀は肌が美しくて……いくら見ても時間が足りなかったです。(この刀のために美術館に再入場したくらい。笑)

銘に刻まれた『出硎閃々光芒如花 二腰両腕一割若瓜』は、「研ぎだせば閃々たる光芒 花のごとく 二腰両腕瓜のごとく一割す」という意味だそう。……自信が満ちあふれていますね! わざわざ茎に刻むくらいですから、本人にとって相当満足した出来だったのでしょう。もちろん、その言葉がふさわしい素晴らしい出来映えです。

この刀を筆頭に、展示品は新々刀がずらりと並びます。「新々刀の祖」と呼ばれる水心子の刀が先頭を率いているのは、胸にぐっとくるものがあります。

刀 銘 出羽國大慶庄司直胤(花押)文化十三年仲秋 應枩代藩恩田民矩需作之

水心子正秀の弟子のひとり、大慶直胤。

こちらの刀も肌が見所です。地鉄に縦縞模様が現われているのが分かるでしょうか。(写真にギリギリ映っています…!)
こんな肌模様は見たことが無かったのですごく驚きました。私の予想としては、杢目肌の年輪部分が大きすぎて部分的にしか見えていないため縦縞模様になっているのではないか?と思います。年輪の上と下を隠すと、少し曲がったストライプになるの伝わりますかね……? この刀の縦縞模様はそういうことなのではないかなぁ。あくまで予想!です!!(違っていたら恥ずかしー……!^_^;)

話を戻しまして、肌全体を見ると、
(ハバキ元から)板目 / 縦縞 / 杢目 / 板目 / 縦縞 / 板目 / 無地 / 板目という風に色んな肌模様が並んでいるんです。これが見ていてとっても楽しい! 複数の模様が現われている場合、刀工はそれを敢えて狙って作るのでしょうか。一口で色んな肌を楽しむのも良いですね。

そしてこの刀は拵もすごく素敵です。

鞘に施された螺鈿と真田家の家紋
目貫
縁(ふち)


鞘は螺鈿(貝を彫刻してはめ込む技法)が施されていてきらきらと輝いています。よく見ると真田の家紋もありますね。
目貫はよく柄巻きで隠れてしまいがちですが、こちらはしっかりと目貫が見えるようになっていて良いですね!
ひとつひとつがもちろん素晴らしいのですが、全体の合わせ方がまた素敵。とても好みのコーディネートでした。


短刀 銘 正雄 嘉永三年八月

こちらの作者は山浦直雄。(銘は「正雄」や「壽昌」など)
こちらも水心子の弟子のひとりであり、同じく弟子の「清麿」の兄。兄弟ともに水心子の弟子になります。

この短刀には樋が彫られていますが、ちょっと変わった形です。茎側では一本の樋が、ハバキ上あたりで二手に分かれています。私はこういった形の樋を初めて見たので大興奮してしまいました。こういう形もあるんですね!

刃文には砂流しと呼ばれる模様があり、ふんわりとした優しい印象を受けました。サイズ感は小さめですが、刃文に動きと幅があるのでとても目をひく脇指です。


刀 銘 源清麿 嘉永二年八月日(長野県宝)

水心子の弟子であり、山浦直雄の弟の源清麿(本名は山浦環)。彼は当時「正宗の再来」とまで評された名工です。
また、水心子正秀・源清麿・大慶直胤の三人は「江戸三作」と呼ばれ、新々刀の刀工の中でも名工とされている存在でもあります。

この刀は刃取りの中の刃文が割とくっきりと見えるため、地鉄から刃文にかけてグラデーションのように見えて綺麗です。飛び焼きや砂流しも現われていて、見所が……多い!! 映りもよく見えます。

砂流しは清麿の特徴のようです。今回展示されていた清麿の他の刀にも砂流しがありました。


脇差 銘 河村三郎寿隆 金井氏因好作之

こちらの刀は綾杉肌と呼ばれる、山のように大きく波打った鍛え肌です。(ぜひ写真つきで紹介したいところなのですが、残念ながら上手く撮ることが出来ず断念……。変わりに綾杉肌が説明されているリンクを貼っておきます。)

綾杉肌といえば月山派の代名詞的なものですから、月山以外でこの肌模様を見るのは非常に稀な気がします。

綾杉肌の山の部分と刃文の位置がぴったり合っていて、すっきりとまとまった印象になっていました。


脇差 銘 宮入昭平作 昭和丗五年春(来國次写し)

現代刀の展示室に入ってすぐ、独立ケースで展示されていた脇差です。この脇差が本当に本当に綺麗で……。言葉がいらないくらいの美しさに、ただただ立ち尽くすことしか出来ませんでした。それくらいの存在感があります。
私のカメラではその魅力が全く写せていなくて悔しいですが、本当に胸を打たれた刀でした。

美術館や博物館では古い刀を見る機会のほうが多いのですが、現代刀も本当に素晴らしいです。現代刀を見て「これが日本人のこころだ」と思わされました。


さて、上田市立美術館のレポートはここまで!お昼休憩をして、今度は上田市立博物館へ向かいます。

施設内のカフェでお昼休憩♪



真田の城「上田城」

櫓門

さて、冒頭でもお話したように、上田は真田家が城を構えた土地。
上田城の初代城主は真田昌幸(幸村の父)。大阪夏の陣の後は仙石家、次いで松平家が城主となりました。

城内には真田神社があり、歴代上田城主が祀られています。が、真田神社というだけあって、やはり真田家が大々的にフィーチャーされていますね! 境内には真田幸村の像や、真田井戸と呼ばれる抜け穴があり、敷地面積は広くないものの見所が詰まっています。

真田神社
真田幸村の銅像

実はこの神社、元々は松平神社という名前だったそう。しかしのちに、上田の礎を築いた真田家・仙石家も共に祀るのがよいとする論が発展。そうして現在の真田神社ができたということらしいです。

真田神社のすぐ隣にある櫓は有料で見学が出来ます。今回の『刀剣と甲冑』の美術館・博物館合同チケットを持っていれば追加料金なしで見られるので、ぜひ行ってみてください。

上田市立博物館

真田神社から櫓門をくぐり進むと、上田市立博物館があります。
こちらは甲冑の展示がメインで刀はそれほど多くはありませんが、解説が詳しくて面白かったです。
写真撮影はOKと書かれているもののみ可能。……が、ガラスがかなり反射してしまい自分がはっきりと映り込んでしまうため、きれいに撮影するのはちょっと難しいかもしれません。(^^;)
ということで、これ以降は写真なしでお話していきます。


刀 銘 源清麿 嘉永二年八月日(長野県宝)

入ってすぐのところに配置されていた刀。大きくて、堂々とした空気感をもっていてとてもかっこいいです。
美術館でも思いましたが、清麿の刀は刃文がとても良いですね。刃文の形状がゆるやかなものであることと、砂流しといった働きが赴きを感じさせてくれるからでしょうか。見ていて心が穏やかになります。

実は、この刀と全く同じ銘を持つ刀が美術館にもありました。美術館にあったほうは樋が二筋通っているので「二筋樋清麿」と呼ばれているそう。どちらも長野県宝に指定されている刀です。

私が今回清麿の刀をいくつか見て感じたのは、すごく堂々とした雰囲気を持つ刀だなぁということ。かなり主観的な感想なんですが、なんか……存在感がすごくあるなって思いました。身幅もそれなりにあって、鋒も小さすぎず大きすぎず、刃文の動きもある。刃中の働きも盛んで、見ていて楽しいところが多いかったです。
でもそれは、古刀の持つ「堂々とした佇まい」とはやはり何か違うような気がします。そう思う理由を考えてみたら、”姿”が要因かなと。新々刀だと磨り上げられていなかったり、研ぎによる減りもそれほど無いので、本来の姿をだいたい保っています。それがなんかこう良い意味で”若々しい”というか……。その若々しさと清麿の伸びやかな刃文や綺麗な肌が相まって「堂々とした雰囲気・存在感」に繋がっているような気がします。……うーん、言葉で説明するのは難しい!笑 
でも今回の展示で、どうしても古い刀に惹かれてしまいがちな私でも「新々刀ってめっちゃかっこいい!」と思えてとても楽しかったです。


刀 銘 殺活應機 赤松小三郎所佩

赤松小三郎という人物が所持していたこの刀、写真に残っているそうです。

「赤松小三郎」と検索すると出てくる肖像写真。このとき持っている刀が、『刀 銘 殺活應機 赤松小三郎所佩』だそう。
この刀は赤松小三郎の特注らしく、先端部分が両刃造りになっていたり、鐔が西洋のサーベルのような形をしていたりと少し変わった刀です。

私はあまり存じ上げなかったのですが、この赤松小三郎という方は幕末の上田藩で活躍した学者さんだそうです。上田藩や薩摩藩、京都で英国式兵法を教え、幕府からも声が掛かるほど引っ張りだこだったらしいですが、幕末の混乱の中若くして暗殺されてしまいました。
この刀がサーベルのような形状をしているのは、赤松小三郎が西洋の文化をよく知っていたからかもしれません。そう思うと、なんて「その人らしい」刀なんでしょうか。


おわりに

やはり刀旅はいいものですね。普段行かないところへ行って、知らない景色を見て、刀に出会う。今の私にとって、こんなに楽しい旅はありません。これからも旅が出来るように、色々頑張らないと……!笑

今回は新々刀にたくさん出会いましたが、私の中の新しい扉が確実に開いた気がします。古刀もいいけど、新々刀も良い!そして現代刀も良い!それぞれの時代に、それぞれの特徴があって、みんな違う良さがある。
今まで新々刀を軽視していたというわけでは全くないですが、どうしても古刀に魅力を感じてしまうことが多かったのです。なので、今回改めて新々刀に向き合い、その魅力に気がつくことができて良かったです。

そして上田のまちもとても良い所でした!真田愛に溢れていて、素敵なところです。新幹線も止まりますしね(^^)←重要

美術館のほうは結構空いていたので、興味がある方はぜひ。というか、見ないと勿体ないです……!!

ぜひ、真田ゆかりの地で刀剣巡りをしてみてくださいね。

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