【連載小説】冬の朝顔⑥
ばたばたした4月はあっという間に去り、新緑眩しい5月になった。
そして、待ちに待った(誰も待っていない)体育祭のメインイベントの一つ、部活対抗リレーの時がやってきた。
軽音楽部はいつもあまり成績が良くないことから、今年も比較的スタートは早い方だった。
「吹奏楽部って体育系じゃないよね?」
スタートが遅い吹奏楽部に春香が首を傾げた。
「あぁ、あそこはね、部員が200名超えてるから、それなりに足の速いやつがいるんだ」
「そうそう。しかも、マーチングなんかで激しい動きをしながら、音を乱さず吹かなきゃいけないだろ? だから、朝練なんか、体育系並みの筋トレやってるよ」
「え? そうなんだ(汗)」
話に聞くだけでは、そんなに盛り上がるものなのかなぁと結花たちは思っていたけれど、いざ始まってみるとそれはとても面白かった。
体育系でも比較的スタートが早いのが剣道部や弓道部。
長い袴が邪魔になってそれはそれは走りにくそうだ。
有利な所はバトン代わりの竹刀が少し長いことくらいかもしれない。
各部、バトンの代わりにその部を代表するようなものを使う。
家庭科部はフライパン、華道部は花瓶といった感じだ。
バレー部やバスケット部はボールを抱えて走る。
大きなボールを抱えては、かなり走りにくそうだが、10メートル以内になれば次の走者にボールを投げて渡しても良いことになっている。
「で、軽音楽部はまさかギター抱えて走るの?」
春香が不安そうに尋ねる。
当日まで知らないというのも春香らしい。
「さすがにそれはないよ。ハンデが大き過ぎ。それよりも転倒して大けがしたら大変だからね。吹奏楽部も高い楽器は使わないよ。ティンパニーのバチ。我々は、マイクがバトン代わり」
そう言って大輔は、第一走者の春香にマイクを渡した。
いざ、リレーが始まってみると、それは異常なほどの歓声に包まれ始めた。
最初にスタートした着物姿の茶道部は走るというより競歩のようで、可哀想だった。
男子から大きな声援を受けたのは、何故かメイド姿の家政部だった。
一生懸命走る気はなく、観客席に愛想をふりまきながら走っている。
他にも地下アイドルのような衣装で登場した女子ダンス部も大きな声援を受けた。
男子水泳部は殆ど裸。プールで見るとあまり感じないが、グラウンドで見るとそれはやはり少し異常に感じる。
科学部は白衣を着て、白いドライアイスの煙を吐くフラスコを持って走っている。
走者ごとに衣装の変わる演劇部も見ていて楽しい。
比較的早い段階でスタートした春香だったが、途中で後からスタートした合唱部に抜かれてしまった。
「ごめなさーい」
春香は何故か謝りながらマイクを大輔に渡した。
大輔もあまり走りは得意ではなく、現状位置をキープするのがやっとだった。
続いて龍一が走ったが、このあたりになると後からスタートした足の速いグループがどんどん追い上げて来ていて、かなり順位が入れ替わり始めた。
龍一は二人を抜いたものの、4人に抜かれてしまい、また順を落とした。
マイクは葉月に渡された。
優勝候補の陸上部、野球部、サッカー部などがぐんぐん追い上げて来てすぐ葉月の後ろまで迫って来ていた。
葉月は何とか順位を落とさず、正純に引き継いだ。
正純は、スタート直前まで全くやる気のない顔をしていたが、いざマイクを受け取るとその長身を生かした走りで、6人を抜き返した。
「行けぇーっ! 正純っ! 行けぇー!」
先に走り終わっていた春香は意外な正純の走りに興奮して叫びまくった。
「もう一人抜いたらチューしてやるぅっ!」
春香の声援にどっと笑いが来た。
正純が不機嫌な顔でチラッと春香の方を見たが、しかし、野球部とサッカー部には抜かれてしまった。
そして、陸上部と殆ど同時にマイクを最終走者の結花に渡した。
そこからの結花の走りに、グラウンドの観客の声援は最大に盛り上がった。
陸上部と殆ど同時にスタートしてから全く引き離されることなくついていったからだ。
2人はデッドヒートを繰り返しながら、野球部を抜き返し、さらに前を走っていた吹奏楽部に迫った。
ゴールまでの距離から、おそらく先頭を行くサッカー部には追いつけそうにない。
しかし、観客の視線はサッカー部よりも陸上部とタメを張って走る結花の方に集中した。
最後のコーナーにかかったところで吹奏楽部に追いついた。
しかし、コーナーで抜くのは難しい。
2人はコーナーを抜けたところで一気に勝負に出た。
と、その瞬間、2人は接触して転倒しそうになった。
結花は何とか持ちこたえ、そのまま2位でゴールした。
続いて吹奏楽部、そして野球部と卓球部、転倒した陸上部は6位に終わった。
陸上部の走者は、足首を痛めたのか、片脚を引きずるようにしてふらつきながらのゴールだった。
「キャーっ!正純も結花も凄いっっ!」
ゴール脇で待ち構えていた春香が結花に飛びついて来た。
正純が「チューはどうした?」と突っ込むと、
「抜かれそうになったからヤだぁー!」
と、正純に向かってべーっと舌を出した。
「凄いわね、軽音楽部始まって以来じゃない?」
葉月が大輔に笑いかけると、大輔も、
「来年はハンデがきつくなるなぁ」
と嬉しそうに笑った。
龍一は、きらきらと光りながら結花の白い首筋を流れ落ちる汗を、とても綺麗だと思った。
「何をそんなに見惚れてるの?」
葉月に突っ込まれて、龍一は自分が結花を見つめていたことにに気付いた。
慌てて目を反らした。
結花は、久しぶりの全力疾走にとても心地良い疲れを感じていた。
こんなに気持ちよく走ったのはもういつのことだったろう。
いつの間にか、走る自分が走らされる自分に変わってきていた。
世間から注目されるにつれて、勝手に作られていく筋書きに嫌気がさし、走ることがすでに苦痛になっていた中学時代。
走ることと走らされることと、こんなにも大きな違いがあるんだと、結花は改めて感じた。
いつもこんなふうに走れたらどんなに素敵だろう……
結花の瞳に涙が滲んだ。
「もうーっ、泣くほど嬉しかったの?」
春香は無邪気に笑いかけた。
「へへ////」
結花は誤魔化すように照れ笑いして見せた。
********
春香の隣の席の男子。
ちょっとぬけてるけど憎めない。
クラスが始まって隣同士になってから、春香にとっては何となく気になる男子だった。
体育祭が終わってから何だか元気がない。
失恋でもしたのかな?
六時間目、春香の大嫌いな数学の授業中だった。
先生が、「今やった問題、ノートを隣同士交換して採点したら、提出!」と声を上げた。
よーし
今日は特別に私が元気をあげよう!
春香は隣の男子とノートを交換すると、正解に丸をつけずに、代わりにみんなハートマークにした
あっ!
いっこ間違えてる…
ここはスペードでいいや
春香がノートを返すと、彼は一瞬驚いた顔をして、春香を見つめかえしてきた。
春香がニコッと笑いかえすと、彼は少し紅くなった。
私に
惚れたな…(^^)
春香はそんなことを思いながら、返してもらった自分のノートを見て、自分も真っ赤っかになった。
どひゃー (;^ω^)
○が1個しかない…
その表情を隣の彼がいい意味で勘違いしたことに春香は気づかなかった。
春香は中学の頃、正純のことが好きだった。
しかし、正純には他に好きな人がいた。
てっきり、彼女と同じ高校に行ったと思っていたのに、まさか同じ高校になるなんて。
心の整理はもうとっくに出来ていたから、春香はむしろまた同じようにバンドを組んで活動できることの方が嬉しかった。
高校に入学して、早速気になる男子にも巡り会えたし。
隣の席の男子は、部活対抗リレーで正純をぎりぎりで抜き去ることが出来なかった陸上部の第五走者だった。
彼が最近、元気がなかったのは、実はあの時の応援で春香が正純に、
「もう一人抜いたらチューしてやるぅっ!」
という言葉がショックだったからだ。
もちろん、春香はそんなことは知る由もなかった。
******
部活対抗リレーで結花とゴールを争った走者が、足首を捻挫したことによって近々行われる陸上大会に出られなくなってしまった。
彼女はその代役として結花を推した。
女子陸上部としては、元々結花を陸上部に引き入れたいと思っていたので、その提案に賛成した。
部活対抗リレーで楽しそうに走った結花が、大会に出ることによって、また走る気になってくれるのではと期待したのだ。
早速、怪我で出場できなくなった選手が結花のもとにやってきた。
そして出場する予定だった短距離に自分の代わりに出場して欲しいとお願いした。
「私、もう練習からずいぶん離れてるし…」
「今回だけでいいの。お願い」
「でも……」
結花の中に、中学時代の辛い思い出が蘇ってきた。
「ほんとに、ほんとに今回だけだから」
足を労わるように立ち上がり、頭を下げる彼女を見ていると、わざとではないにしろ接触して彼女を転倒させてしまった自分にも責任があるように感じ、結花ははっきりと断ることが出来なかった。
結局、彼女に粘られて渋々承諾させられてしまった。
自分が出られなくなったにもかかわらず、結花が承諾するとまるで自分の怪我が治ったかのように喜ぶ姿を見て、結花はもう断れないなと感じた。
「1回きりなんでしょ?」
帰りのバス停で一緒になった昴が話しかけると、結花はもう一回大きなため息をついた。
その時
「あの…。」
後ろから呼びかける男性の声に振り向くと、
「これ、読んでください」
と、昴に手紙らしきものを渡して、その男の子はそそくさと去って行った。
あまりの突然のことに、昴は考える間もなく差し出された手紙を受け取ってしまった。
「どうしよう…。これ」
昴がやや放心状態で結花に問いかける。
「あの制服、近くの中学だよ」
「そ、そういえばそうだね(汗)」
「今時、手紙?」
「そ、そだね。っていうか、IDとか知ってるはずないもん」
「あはは、それはそうだ。ふーん、ねぇねぇ、何が書いてあるのかな?」
結花が冷やかすように促すと、意外にも昴は、その場で開き始めた。
え?
結花は自分で突っ込んでおきながら、今更いいよとも言えず、昴のするがままに任せた。
『一目惚れしました。付き合ってください』
「//////」
「ストレートだね///」
手紙なんて回りくどいことする割には、まっすぐな告白だった。
「い…、いきなり言われてもね(汗)、正直困るよ…」
昴は苦笑いしながら、手紙を鞄に収めた。
「でも、なんかいいねそういうの。私にはまったくないから」
と結花は寂しそうに笑った。
「結花もその気になればいくらだってモテるのに」と笑い返した。
昴は結花とは長い友だちだったが、結花のその笑顔に隠された苦悩に気付くことはなかった。
それは昴が冷たいとか鈍感だとかいう話ではなく、他人より秀でた能力ゆえに自分の意思とは全く違う注目を浴びた者にしか分からない孤独だった。
*****
代役とは言っても、陸上部の代表として出るからには、いいかげんなことは出来ない。
リレーでいい走りをしたためか、部内はもうこの種目は取ったも同然といった雰囲気が漂っていた。
そんなに簡単なものじゃないことは結花が一番よく知っていた。
どんなに潜在能力が高いと言っても、スタートの号砲が鳴る瞬間までは分からない。
その瞬間に、自分の一番最高の状態に持って行くことが難しいのだ。
精神状態も含めて、そういった体の状態を作り上げていかなければならない。
結花は事情を話して、軽音楽部の練習は陸上の大会が終わるまで休ませてもらうことにした。
スパイクは履き馴れたものを持っていたから問題なかった。
時間的に余裕はない。
短距離はスタートの一瞬で決まってしまうことも多い。
全ての調整を完璧に仕上げるには無理があった。
結花はスタートダッシュの勘を取り戻すことだけに集中した。
そして、大会当日。
結花はそこで中学時代のライバル、石川由美と顔を合わせた。
由美は結花を見ても無表情のままだった。
競技前の精神を集中させる方法は選手それぞれだ。
お互いがお互いを無視してもそれはよくあることだ。
競技場は中学時代のライバル決戦に沸いた。
何社か新聞記者も来ているようだった。
予想通り、結花も由美も決勝に残った。
そして、二人の一騎打ちは……
僅差で結花は負け、由美が優勝した。
ゴールで息が整うと、結花は
「負けたわ。優勝おめでとう」
笑顔で右手を差し出した。
その瞬間!
結花は頬に強い痛みを感じた。
周囲の時間が一瞬止まる。
握手の代わりにライバルから平手打ちを受けた結花。
その理由は結花が一番分かっていた。
「サイテー!何しにここに来たの?」
結花を睨みつける由美の瞳から涙が溢れた。
「こんな侮辱、許さない!」
そう吐き捨てて、由美は去って行った。
平手打ちを受けてうつむきがちに横を向いたままの結花は、何も言い返せなかった。
由美の言いたいことは全て分かっていた。
由美が本調子でなかったことも気付いていた。
本来の結花の実力なら、僅差どころか確実に勝っていたレースだったからだ。
由美は正純から結花が陸上をやめたと聞いていた。
最初は信じられなかったが、今日の走りを見る限りそれは本当だった。
結花の練習不足は明らかだった。
そんないい加減な気持ちで、自分と走った結花が許せなかった。
勝った気がしない。
いや、むしろ大切な場所を汚されたような気がして悔し涙が止まらなかった。
***
次の日
いくつかのスポーツ紙に記事が掲載されていた。
頂上決戦再び!
女王対決!
持ち上げる記事もあったが、どちらかといえば厳しい内容の方が多かった。
中学の女王も高校では平凡な記録。
走れないカモシカ
足をなくしたカモシカ
予想はしていたが、散々な書かれようだった。
勝った由美を称賛する記事は少なく、不甲斐ない結花を非難する記事だけが目立った。
陸上部のメンバーは、結花が急な代役で実力が発揮できないことはある程度予想していた。
ただ、結花がもう一度走る気になってくれさえすれば良かった。
しかし、今回のことは全くの逆効果だった。
後味の悪さだけが残った。
こうやって不特定多数の人が見る写真に乗るのもイヤ!
結花はもうこんな役、二度と引き受けないようにしようという思いでいっぱいだった。
そして陸上部へは、きっぱりと陸上はやらないことを伝えた。
惜しむ声も多かったが、陸上部からの勧誘の話はそれ以降出ることはなかった。
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