頭が忘れても体が覚えている
※アニメ「忘却バッテリー」のネタバレあり
アマプラでアニメ「忘却バッテリー」を見ました。
TikTokを眺めていたら公式アカウントがショート動画を出していて、仕事を休んだ日になんとなく思い出してアマプラで視聴。時間があったのもあってその日のうちに9話まで見て、ついさっき12話全て見ました。
最近至る所で名前を聞くミセスが作った主題歌があまりにも爽やかだった。
ギターイントロのところが、球児とか野球の試合によく似合う晴れた空と白い雲の組み合わせを彷彿とさせてとてもいいな…となりました。
高校生ゆえの全力さと葛藤に心が動かされて、かつ自分の過去を思い出すような作品でした。
普段青春アニメを見ないのもあってか、スポーツがメインと言っても、そこに焦点が全て当たることなく構成されているのもとても見やすかったです。葉流火の唯我独尊具合と要のおとぼけ、山田の柔軟な性格がとてもいい味を出しておりました。
頭から無くそうとしても体が覚えている
投稿者は11話が心に来ました。
部の頭脳派・千早瞬平のモノローグがメイン。かつてのチームメイトが所属する高校との練習試合の最中、己の過去を振り返った上でバッターボックスに立つ回です。
この千早のモノローグが、多少自分の過去と重なって心に来ました。
そもそも、私はアニメや映画のモノローグ、小説の自語りの地の文が好きです。
過去を振り返るために尺の多くを一人に使いに使って、そこから現代に戻って心情とストーリーに変化を与えるという流れがあまりにも綺麗で…
映像素材を作るところから始めるアニメだからこそできる時間の使い方、かつスポーツという時間が一瞬で過ぎるコンテンツで使われているのを見るたび、贅沢な使い方だと思います。
「忘却バッテリー」は、無欠と彼らを前にして破壊的な絶望を味わって野球を辞めた人間が偶然出会い、ひょんなことからまた野球をする青春譚です。
私は彼らほどの努力も青春もありませんでしたが、絶望も諦観も嫉妬も、また諦めきれない心も理解できるくらいには人間ができていると思っています。そして「何か」を諦める時、諦めた理由は大体「何かを取り巻くものと自分」であって「何かそのもの」ではない、というのを再認識しました。
実際、自分も努力や夢を諦めた理由がこれに当てはまります。
中学の頃はバスケ、高校の頃は演劇を部活でやって、大学では映画の脚本を書いてました。でも引退、卒業後にやめました。
でもやめても癖は意外と抜けないものです。私は中学までやってたバスケのおかげか返事をする時に声が変な高さになるし、演劇部時代にやってた役の裏設定を作る癖が大学の時も抜けてませんでしたし、今でもたまに脚本を描きたくなってそれなりの設定を考えたりします。
バスケはプロの試合を追うくらいには見てますし、演劇や映画もたまにみるし、自分で言葉を並べるのは嫌いではありません。
バスケも演劇も映画も、それ自体は嫌いではないんです。
嫌いになれなかったが故にたまに苦しくなって、己を恨めしく思う時もありますが、本当に頭から忘れてしまったら自分が自分でなくなる気もしているのです。
だから「興味ない」あるいは「嫌い」と言って無理やり切り離すしかない。
「忘却バッテリー」はそれを思い出させてくれました。
野球なんて掠りもしていない人生ですが、見てよかったなと思える作品でした。
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