川又、一撃、一番星、23

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、中日ドラゴンズで背番号23を着用した左バッターについて、記します。

私と同学年になる、遠藤一星
中央大学卒業後、東京ガスに入社。04年間硬式野球部でプレーしたのち、2014年のドラフト7位で中日ドラゴンズが指名します。
東京ガスのショートとして当時の落合博満GMが着目したようです。

おもしろいことに、同時にリストアップしたHondaの阿部寿樹も2015年のドラフトで中日ドラゴンズが指名し、遠藤と阿部はプロ野球でチームメイトになりました。

ルーキーイヤーの2015年から出場。2016年は開幕戦で3番ショートのポジションを勝ち取ります。
この3番ショート遠藤4番ファーストビシエドの並びは、私としてはとてもうれしかったものです。

ただ、ショート守備は不安定なものでした。結果、2016年のショートは堂上直倫がシーズン最多出場となり、加えてドラフト02位で京田陽太を獲得。遠藤は外野コンバートされます。

2017年~18年は出場数を減らしますが、2019年に与田監督に代わると控え外野手として1軍出場が増えます。
2021年シーズンも外野手争いは激しいですが、ぜひレギュラーつかみに行く気概で臨んでほしいと思いますし、そうであると信じたいです。

左打ちの外野手で背番号23…中日はこの人抜きでは語れません。遠藤の前任者はピッチャーの鈴木義広でしたが、鈴木入団前の2004年までは、以前のnoteにも登場した外野手の関川浩一でした。

2000年以降は年々活躍度合いが減り、2003年は少々盛り返すも落合監督初年度の2004年はすっかり出番がなくなってしまいました。
その結果東北楽天ゴールデンイーグルスに無償トレードされることとなるのですが、1999年の大活躍は今でも忘れません。
打率.330、4本塁打、60打点、20盗塁。巨人との首位攻防戦でサヨナラタイムリーヒットを放った(1999年08月17日)こともありました。

優勝に大貢献した野手の代表格としての印象派が強い。2020年シーズンに当てはめると大島洋平のような位置づけです。

そして、この動画をご覧ください。04:10ほどで関川がバッターボックスに立ちますが、実況の平川健太郎が解説の川又米利に話題を振ります。

関川、川又ともに東京都調布市出身。リトルリーグの同じチームに所属していたのです!!

川又は1997年に引退しますが、1983年からずっと中日の23番を着用していました。遠藤、関川は右投げですが川又は左投げのため、外野の他ファーストもやります。晩年は代打の切り札の位置づけだったこともありました。
応援歌の人気もあり、引退後にチャンステーマに使われたこともありました。私の目覚まし時計メロディでした。

もっと年配の方は川又の名前をよく挙げるでしょう。私はやはり1999年のヒーローだった関川と言いたいですし、同学年の遠藤にも彼らを上回る活躍を期待したい。

遠藤が発言したかどうかは不確かですが、先輩たちの思いもその23の数字に込められていると信じていますし、やはり同郷 東京都の先輩となるとことさらかと思います。遠藤一星も左打ちの外野手、東京都出身(新宿区)で背番号23なのです。

ありがとうございました。

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