世界は自分が得た情報で決まってしまう。
友人、知人の華やかなインスタを見て落ち込む人がいるらしい。
それについてはインスタは生活のいいとこどりだから他人と比べる必要はない、みたいなことを言われたりする。
私はインスタは見る専門だし、フォローするのは主にファッション系のインフルエンサーの人たちやブランドだったりで、友人、知人は1人もフォローしていない。
facebookもやらないので、冒頭にあるような「他人(特に友人)と比べて落ち込む」機会は必然的に少なくなる。
インスタに限らず、自分が見ている世界は当然ながら世の中全体のごくごく一部であることは意識しないといけないと感じている。
それは他人との比較を避けるためだけではなく、世の中の常識やトレンド、考え方などは常に多様性に溢れていると言うことを忘れないためでもある。
そんなこと考えた、私が最近よく観ているYouTube。
高価格のファッションアイテムを紹介するチャンネル、コンテンツを多く観るうちに、「3万円とか4万円のパンツを履くこと」がふつうであるような感覚が出てきた。
私はかなりのユニクロ愛用者なので、パンツの多くは3,000円ほど。
YouTubeでいくつかのコンテンツを観るだけでパンツの「普通の」価格が十倍になりかけている。
心理学的にも人は自分の嗜好にあった情報を優先的に処理する傾向があるらしく(確証バイアス)、驚くほどかんたんに「自分の世界/自分が見える世界」ができあがってしまう。
ただ、こうやって自分の世界を作ることは使いようによってはメリットにもなる。
例えば、理想の自分が「高級アイテムに身を包む成功者」であれば、そう言う情報に囲まれることで自己イメージ(錯覚だとしても)を構成しやすい。
引き寄せの法則ではないが、理想の自分が何者が常にイメージすることは悪いことではないと思う。
自分にプラスの影響があるなら問題ないが、冒頭のインスタのように、自分にマイナスに働くのはまずい。
マイナス効果を避けることはもちろん、プラスに働く効果もあるとしても、自分がいま見ている世界は世界の全てではないと意識して情報に触れないと自分を見失ってしまうかもしれない、と自戒を込めて書いておきます。
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