相手は自分のことをびっくりするほど気にしていない。
これから読もうとしている本の中に「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」がある。
概要を見る限り、「嫌な人のことを考えていても相手はこちらを気にしていないし、自分が嫌な気分になるだけ。だから別のことに意識を向けよう。」という内容じゃないかと推測している。
まさにこれは最近わたしが頭に置いていることで、その概念を「パフェとか食ってる」という表現に落とし込んだ著者(編集者)には敬服する。
他人は変えられない。一方で自分の意識や行動は決められる、というのは最近のわたしの座右の名である。
嫌なやつのことは考えるだけ時間の無駄であると意識するようになってからほんとうに楽になった。
「嫌なことを考える」という選択をしていることが他でもなく自分であることに気づいてから、本来集中すべきことに意識を向けられるようになったし精神的にもものすごく健康である。
「やられたらやり返す」は有意義なようで虚しい部分もあり、完全に否定できるものではないと思うがなるべく避けたい考え方だ。
例えば浮気されたとする。
悔しいから自分も浮気をし返す。というのは愚の骨頂で、まさにそのとき相手はパフェでも食ってるだろう。
相手のことを抜きにして、その行動(浮気の仕返し)は自分は幸せにするかを考えてみると、その行動が正しいかどうかが分かり易い。
嫌なやつのことは忘れる。考えない。
「相手の気持ちを考えない」ことはときに自分を助けてくれる。嫌なやつの気持ちなんてどうでもいいのだ。そんなやつに自分の大切な時間と、思考を占拠させる必要はない。
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