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ケアが必要な洗顔はやりすぎなんじゃないか。

一時期は洗顔料を使って顔を洗い、その後は化粧水と乳液をつけるということをやっていたが、今は洗顔のみ。

洗顔料どころか化粧水もつけない。化粧水や保湿剤の類をつけるのは基本的に髭剃りの後だけ。

洗顔料はここ20年以上使っていないが、化粧水までやめたのは今年に入ってから。

化粧水の使用を止めた理由

それは「肌はトマトと同じで甘やかさない方がいいのでは」という仮説を持ったから。

「トマトと同じ」というのは、水をなるべく与えないトマトは自力で水分を吸収するよう成長するため甘いトマトになる、というもの。

肌に化粧水や乳液などで養分を与えすぎると、自力で潤いを保つ機能が弱くなるのでは、と考えるに至った。

洗顔料を使う理由を止めた理由

手を洗うときに石鹸を使うのは手についた汚れや雑菌を減らすためだが、顔と手を同じように扱う必要があるのか疑問に思った。

メイクをしたり泥だらけな顔ならともかく、日常生活で洗顔料を使わないと落ちないほど顔が汚れることはまずない。

汗をかいたときでさえ、顔の汚れは水だけで十分洗い流せると考えている。ちなみにわたしは汗を相当にかいた日でもシャンプーもここ10年ほど使っていない。

水だけの洗顔で匂いが残るなら別だが、誰に聞いてもそんなことはない。

であれば、洗顔料を使うのは肌がつっぱりその後のケアが必要になる分、余計なことをしているのではないか。もっというと肌に必要以上の負荷をかけているのではないかと思うようになった。

肌は荒れたか

水だけの洗顔でも匂いは残らない。ではニキビが増えたり肌荒れが増えたか、というとそんなことはない。むしろとても良好な状態である。

洗顔後、入浴後のケアの手間が省けた上に肌の状態もいい。

実感として余計なケアは不要と確信していたが、最近読んだ「美容常識の9割はウソ」でさらにその思いは強まった。

肌への意識が高いほど何かやらないといけないという不安や、何かやっているという安心感から、あれこれとやりがちになることは理解できる。わたしもかつてはそちら側だったし。

しかし今は実感と客観的な(しかも科学的に証明された)情報により「何もしない」肌ケアを「積極的に」行っている。

「何もしないをする」みたいなコピーが以前にあった気がするが、わたしの今の肌ケアも同様に、面倒だからしないとか、うっかり忘れてしまったという消極的な「何もしない」ではない。

上記の書籍もわたしの行動を後押ししてくれたが、「汚れてない肌に必要以上に手間をかける必要はない」と気づいたことが大きかった。

もちろんわたしのやり方が全員に当てはまるわけではないだろうし、わたし個人の体験団に過ぎないというのはその通り。

ただ、(特に男性は)ほんとにそこまで洗う&顔につける必要があるのかを考えてもいいんじゃないかと思う。

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