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隣の青すぎる芝よりも桜

インターネットによって、僕らは24時間、世界中の人々と繋がれるようになった。

それは画期的なことだった。

しかし、弊害もあった。

SNSなど過度に繋がりすぎた世界において、僕らは他人の生活を常に把握できるようになってしまった。

そして、あらゆる人間、自分の隣の芝が、青く見えるようになった。

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ここで気に留めておきたいのは、インターネットにあがる日常は必ずしも「リアル」ではないということ。

あなたがインスタグラムに写真をアップするときと同じように、あなたがフェイスブックに重要な報告をするときと同じように、人々はSNSを使っている。

当たり前のように、みんな、着飾っている。

そこにいるのは、普段ではなく、「外向け」の自分である。

すなわち、隣の青く見える芝は、青く見せているだけの芝なのであり、実際に青いわけではない。

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しかし実は、これだけだと、認識が異なってしまう。

あなたの憧れや嫉妬は、正しいケースも存在する。

つまり、本当に「芝が青い」ケースも存在する、ということだ。

例えば、自分の生活水準よりかなり上の生活をしている、芸能人のプライベートを知ったり。

例えば、自分では到底行けないエリート企業に勤めている人のリアルを知ったり。

そういうのは、本当に青い芝なのかもしれない。

僕たちは、この現状に対して、どう向き合っていけばいいのだろうか?

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まず、自分が青い芝だと感じる彼らには、彼らなりの「青い芝」があるということを知っておきたい。

人間の欲望は底を知らない。

どれだけ高水準の生活をしたとしても、さらにその上を望んでしまう悲しい生き物だ。

華やかな生活をしている(ように見える)芸能人だって、彼らなりに、憧れや嫉妬を抱えている。

そして、もしかしたらその嫉妬は、一般庶民に向けられているのかもしれない。

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次に必要なのは、芝を見るのではなく、もっと顔を上げて、木を見るということ。

木を見る、はもちろん比喩だ。

インターネットという表面的な世界から飛び出して、現実の持つ力強さを感じること。

それが大事なのだと思う。

顔を上げると、新しい気づきがあるだろう。

あなたの芝の上も、木があって、春には桜が満開だったりするのではないだろうか。

そういう発見は、視野を広く持つことで、初めて可能になる。

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そういえば前にも、「嫉妬」に関する記事を書いた。

人間の欲望には、限界がない。

周りに惑わされるのではなく、自分の人生を前進させるために、大切な時間は使っていきたいものだ。

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