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リリーと書き初め

「書き初めって知ってる?」

僕がそうリリーに尋ねると、彼女は知らないと言った。

***

リリーは数ヶ月前から、僕の一人暮らしのアパートに転がり込んできた。

彼女は自分のことを語ろうとしない。国籍は不明。職業ももちろん不明。僕が仕事に行っている間、家で何をしているのかはわからない。

でも、彼女の扱う日本語は、流暢とまではいかないけれど、僕と会話する上では全く不自由しない。

リリーは白が好きらしい。よく、真っ白なワンピースを着ているのだ。彼女にはみすぼらしいところがどこにもない。堂々としていて、とても明るい。そして、僕は彼女のそういうところがとても好きだった。

***

年越しは、僕の部屋で、紅白歌合戦を見ながら過ごした。リリーはテレビを見ながら、不思議そうな顔を浮かべた。

「この人たちは、なんで戦っているの?」

「紅組と白組で勝負してるんだよ」

「なんで」

「ずっとそうしてきたから」

「変なの」

リリーの疑問はもっともだと思った。僕たちに戦う理由はどこにもない。どちらかが負けるくらいなら、そんな勝負はやらないほうがマシだ。

「どうせ勝負するなら、私は白に勝ってほしい」

「どうせ白が勝つよ」

「そうなの?」

「白は最強だから」

「知ってる」

***

新年になって数日経ったある日、なんとなく書き初めをしてみようと思い立った。リリーに、何か日本的なことを体験して欲しかった、というのも理由としては大きかった。

書き初め用紙と筆ペンを買ってきた。すごく簡易的な、書き初めだ。

「これに、今年の抱負を書くんだ」

「ホーフ?」

「そう、抱負」

と言いつつ、『抱負』ってなんて言い換えるんだろう、とスマホで検索しながら、応えた。

「今年やりたいこと。そういう風に、心の中で決意したことを書くんだ」

まず、僕が見本を見せた。

『お金を稼ぐ』

「おお〜」

リリーが声をあげ、小さな拍手を送ってくれる。

「しょうもないホーフ」

「うるさいな。リリーもやってみて」

僕は彼女に筆ペンを渡した。リリーは、筆ペンをたどたどしく使いながら、ゆっくりと、けれど力強く文字を書いた。

『空をとびたい』

リリーが書いた文字を、眩しそうに見つめている僕がいた。そんな無邪気な希望を、僕も持ってみたかった。

「リリーは空を飛びたいの?」

「うん、とっても」

「きっと、飛べるよ」

***

翌日、僕が会社から家に帰ってくると、リリーがいなくなっていた。リビングのテーブルの上に、筆ペンで書かれた小さな紙を見つけた。

『ありがとう』

それはリリーの文字だった。

***

近所で、飛び降り自殺をした外国人がいた、と話題になっていた。身元が分からず、警察が困っているらしい。

僕は、「彼女が飛んだのだ」と直感したけれど、めんどくさいのは嫌だったので、特に何も言わずに黙っていた。

そうして、僕のお正月は過ぎていった。

***

春、暖かくなってくると、徐々に街にも緑が増えていった。

そんなある日、僕の家のバルコニーに、白いハトがやってきた。

その真っ白い姿は、リリーを想起させるような見事なものだった。

「お前、やっぱり飛んだんだな…」

しばらく、そのハトと見つめ合うと、そいつは少し笑顔になったかのような、不思議な表情を浮かべてから、パタパタと飛び立っていった。

僕は、その白いハトに、個人的にリリーという名前を付けた。

リリーと名付けられたそいつは、今でも時々、僕のアパートのバルコニーにやってきて、幸せそうに日向ぼっこをしている。

読んでいただきありがとうございました。また、サポートをくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。心から嬉しいです。今後の執筆活動のために使わせていただきます。