妖しいお告げ
妖しいことはすきですか?
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社会人3年目もおちついてきた頃、ノー残業DAYで日が沈む前にオフィスを抜け出し、JR有楽町駅の高架下を歩いていた。
仕事も慣れてきたし、初めての新人教育係もうまくいっていて、職場の人間関係も良好。週末はNPOでプロボノしながら、プライベートも悩みなく、家族は無病息災で、すべてがうまくいっている。
それでも、わたしは、これっぽっちも人生に満足していなかった。むしろ、今の自分の生活、肩書き、性格、趣味、見た目・・全てがいや。いい歳しながら、いやいや園状態だったのである。
このままじゃいけない。かりそめの戯曲を演じ続けている。自分の人生の本番はまだ始まってない。今は入念なリハーサルと準備で時間稼ぎをしているだけ。まるで、本当にやりたい遊びをするための交換条件で、学校の宿題をこなしているような感じ。そんなことをブツクサ文句言いながら、日々を過ごす。でも、日常を不満に思うのにも、そろそろ疲れてきた頃だった。
JR有楽町駅をぬけたとき、何かがプツッときれて、思わず立ち止まった。外界への意識が遮断されて、いきなり深い内観状態になった。
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突然、意識の中で、はっきりと、ある言葉が、きこえたような気がした。というより、その言葉がアイディアとして、ずっとそこにあったのに気づいた。
「神との個人的な関係を築きなさい」
・・・とうとうイカれてしまったのだろうか。仕事のし過ぎか、お酒の飲み過ぎか。たぶん両方だな。いや、でもちょっとこれはさすがに狂っている。いや、おかしいのは昔からか。たまに、天然って言われるし。
いや、百歩譲って、仮にわたしが天然でも、このフレーズはやばいだろう。そもそも私は今もこれからも無宗教だし、人格としての神を信じていないし、これからもそのままでいる予定。そして他人から妙に尊敬されまくったり、好かれすぎるのも、そんなに得意でない。自然のめぐりを尊重する、素朴な農学部女子(?)なのだ。しかもふと思いついただけの言葉に、なんでこんなに衝撃を受けているんだろう。
そういえば、ついさっきまでは、投資先の決算資料やOIOI(マルイ)の新作秋冬コレクションで頭がいっぱいの普通なOLだったはずなのに。いつのまにか何かがプツッときれて、意識が遮断され、ただの思いつき以上のインパクトのある言葉をささやかれてしまった。わたしらしくない、こんなこと思いつくなんて。
こんなこと・・・どんなこと?
妖しいこと、だ。
だいたい神っぽいワードが入っている時点で、もう妖しい。そうだ、妖しい、大いに妖しい、妖しすぎる。
・・でもよく考えれば、わたしは昔から妖しいもの、不思議なものが、好きだったかもしれない。妖しい、目に見えないものって、なんでかこう魅力的なんだな。たとえば、空気、思考、夢、信仰、宗教、神話、心、治癒、医術、たましい、生命、死・・・(こうゆうのを、私の言葉では「神秘的な(と感じる)もの」と表現している)。誰がなんというと、私は神秘的なものがバカみたいに好きなのだ。
そこでハッとする。さっきの言葉は、きっとこうゆうことだ。
「神(⇒私にとって、神秘的、神聖だと感じられるもの)との個人的な関係を築きなさい」
妖しさが、3%くらい減った気がする。さっきより、しっくりくるぞ。
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この言葉(概念?)を通じて、”お前が妖しいことを好きなのはもうバレている、だからもう抵抗するのはやめなさい”って、自分の無意識が言っているような気がした。
怪しい神秘的なことが好きな自分を認めること。いやいや怪しくないですよ〜と言い張れるように頑張るんじゃなくて、怪しいと認めた上で怪しいなりに探求することを決意した。
誰かに何かを言われるのが怖いなら、まずはこっそり「個人的に」やればいいだけの話だ。成果や周りの反応はおいといて、気がむくままに、本や論文を読んで、人に会いにいけばよい。Facebookには適当にパンケーキの写真でもあげて、親や友人には新聞にのった自分の案件とかおみせして、こっそりこちらの探求をしとけばいいのだ。
この覚悟をしてから、無我夢中で飛び回るようになった。
誰にも言わず、ヴィパッサナー瞑想をしたり
コナン・ドイルがたてたSAGB(英国spiritual協会)で講師をされていた方にお会いしにいったり
予備校で臨床心理学と基礎心理学を学んだり
ブラジルのシャーマンに会いに行ったり
これだと思うカウンセラーや霊媒に弟子入りしたり
ホリスティックなお医者さんの勉強会に参加させてもらったり、母校で瞑想研究をされている方にお話を聞いたり
自分で思考実験をしてみたり
(ネタばかり増えて、noteを書く手が追いついてない笑)。
そしたら、今まで自分では「やばい、妖しい・・」と身を引いていた日陰の分野には、その分野なりの世界があって、わたしがもともといた世界ともいろいろなところで通じていることがわかった。そして、自分と近い興味をもつ人が、結構いたことにも気づいてきた。
それでも、(多くの人にとって)目に見えないものの世界は、どこまでいっても妖しいのだと思う。それが精神医学や臨床心理学のようにアカデミックに確立されているものであっても、やはり、それ自身が目に見えないという点で、妖しさを完全に振り払うことはできないんじゃないかな。
そういった妖しさ、妖しいと思われることもすべて引き受けた上で、やはり私は、神秘的なものがすきである。
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「神との個人的な関係を築きなさい」
この言葉は、(相変わらずやばい響きだが・・)時の流れとともに新しい意味を醸し出すようになってきた。
はじめてきいた時は、「好きなこと(神秘的なだと感じるもの)を好きなように探求しなさい、ひっそりと(個人的に)」と解釈した。そこでわたしは、たくさんの秘めごとを開始し、アクティブに探求を深めていった。
最近はまた新しい意味合いを帯びてきている。今はまだ渦中にいるので、すっきり端的にまとめられない(まとめたくない)が、現時点では「人にはその人にしか立ち入れない神殿のような空間がある」「他人の神殿を尊重する」「自分の神殿に目を配りととのえる」ということかもしれない。
今までは、人に説明しやすく、いいねと言われやすい道を、人生のリハーサルとして進んできた。けれど、今は自分の中の個人的でちょっと神聖な声に従って、日々ちょっと妖しい道を歩いている。
たまに「わたしこの先どうなっていくんだろう・・!」と日々ドキドキするけれど、立派さや正しさよりも「あんな生き方もあるんだね〜」って感じられる人生のが、自分らしくて好みなのである。
自分は自分としてしか生きられない。だからこそ、自分でいさせてくれる周りに感謝しつつ、妖しい日々を思う存分楽しんで、何らかの形で最大限還元して生きていこうと思う。
thank you as always for coming here!:)