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桜写真のあれこれ

 筆者が、日本で暮らしたい理由のひとつとして桜がある。木にいっぱいの花が咲き、それが日本中どこに行っても、見ることができる。春はやはり最も好きな季節だ。

 だが、かといって筆者が桜の写真を撮りまくるかというと、そうでもない。桜は、あらゆるプロカメラマンがあらゆる方法で撮影しており、どう撮っても二番煎じどころか三番煎じでも足りないくらいの、既視感のある退屈な写真になってしまう。美しさで競うには、技術も労力も機材も足りない。

 そんなこんなでイマイチやる気がでない桜写真だが、何だかんだ言うものの、目に入れば撮らないわけにはいかないのが、この季節。結局撮ることになる。せっかく撮るのだから、今年はなぜ「桜」を撮るのかという原点に立ち返り、桜の特徴、美しさ、をあれこれ考えながら撮ってみた。面白いものもあったのでご紹介したい。ところどころに見える筆者のうぬぼれは、自己肯定感が高い証として許してほしい。

定番 人+桜

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 これは桜を見に公園に来た人と、桜の風景写真だ。蛇行と緩やかな坂が作る、桜のうねりを撮ろうとした一枚。手前の男女と、自転車が印象的なので主役とし、奥の並木を少しボケさせて奥行きをもたせる。歩く人が小さくなっていくのもポイントのつもりだ。

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 花見客だ。落ち着いた老夫婦と、鳩がのどかな雰囲気を出してくれる。太陽のありがたみが分かる一枚。陽が出てコントラストが付けば少しは華やかになっただろう。きれいではないが、実際の色味自体はこんなものだ。

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 かくれんぼの鬼のように顔を両手で覆う少女と桜並木。桜撮影で四苦八苦する枝がそれほど気にならず、要素がシンプルで少女のポーズの良さを邪魔しない。上下の黒いボケは、覗きこんでいる感じを出したかった。おそらく、無い方が良かっただろう。

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 ド定番。桜を撮る人と、花が良く見える。寄らないと花という感じがでないので、手前に桜を置いてピントを合わせ、奥の人をボケさせて雰囲気を出す。ついでにプライバシーにも配慮できる便利な撮り方だ。なのでかなり多用される。普通は見上げる花を下に持ってくるなど、定番の中にも独自性を出そうともがいている。

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 斜めにしたのは桜が波のように人に迫っているような迫力を出したかったから。冊のカーブや、通行人が見上げ、自転車が少し傾いているので、斜めにしてもそれほど違和感が出ていないと思う。改めて見るとやはり手前の桜ボケはわざとらしい。

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 桜の下でうたたねしているように見える人。春の、のどかさや、夕焼けに染まる桜が良い。花が少な目でボリューム感に欠ける。

意外と見ない桜単体写真 やはり桜は花だろう

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 正直、これまでで一番好きな桜写真がこれだ。密集する花、花の形、淡い色味、という桜の特徴をおさえている。生き物の首のようにあらゆる方向を向く花の躍動感、花に集中できるシンプルさ。何より、彩度を上げすぎたり、光をあふれさせたりする、手垢の付いた「きれい」の価値観に縛られない姿勢が良い。これを、駄目だと言う人とは一生分かり合える気がしない。

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 オーソドックスなものも撮っておこうと思い撮った一枚。桜の色を目立たせたいので緑と空の青を入れた。葉の緑はきれいなので、葉桜が良くないとするような風潮には反対する。オーソドックスではあるが、花びらの質感も出ていて、色味、花の向きなどバランスが取れている。

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 陽が傾き、夕焼けで少しあやしげに色が変わる桜。影が入りコントラストが付いてダイナミックだ。桜の色はほぼ白なので、やはり黒と対比したほうが見栄えは良くなる気がする。

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 先ほどと同じ桜を別角度で直後に撮ったもの。多少レタッチによる差もあるが、露出や視点次第でこれほど変わる。先ほどが艶やかなら、これは穏やか、な印象。筆者は艶やか、が好みだ。

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 桜の良さとは何か、と考えたとき、あふれるほどの花の量だとしたら、写真もそれで埋め尽くすせば良いのではないか、と導き出した結果がこれだ。枝がそれほど目立たず、画面の隅々まで桜で埋め尽くされ、背景には青空。きれいな桜写真としては一応成立しているのではないだろうか。

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 先ほどのベスト桜と負けず劣らずの一枚。植木の上に落ちた花が、街灯に照らされている。やはり花はその一輪に集中できることが基本ではないだろうか。群れから離れ、落ちてしまっても凛とする様は美しい。

番外編

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 日常に溶け込んでおり、どこにでもある庶民的な花、というのも桜の良さだろうと考え、団地、駐車場に一本咲き誇る桜を撮ってみた。桜の数を競い、壮大な風景で大げさにみせる昨今の桜写真に水を差してくれる素朴さだ。無論、筆者好みだ。

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 風で舞う花びらだ。駐車場のアスファルトの質感、逆光によるコントラストがマッチした。撮影はマニュアルフォーカスで、カメラを地面に置いてタイミングよく連射した。枝から舞い落ちる桜を見栄え良く撮るのは至難の技だが、これは花びらが大量にある場所で、風が強ければさほど難しくはない。ただ、この写真も光の当たり方で何とか綺麗に見えるが、舞っているというより浮いているので良し悪しの判断が難しい。挑戦する価値はあったと思う。

あとがき

 「そもそも桜の風景写真なんて、ただの白い塊ではないか」

 世間にあふれる桜写真に対して、難癖を考えた結果導き出された文句だ。実際撮ってみると本当にそう思う。何に美しさを感じていたのだろう。ただ、白い植物が物珍しいだけなのではなかろうか。

 そんなとき、桜の一輪に寄ってみると、小ぶりでシンプルながらも花びらはハート型という独自性のある花だと思い出す。色も控えめで、素朴さがある。これが幾百幾千と塊となる木が、ずらっと並んでいるのだから、綺麗に決まっているのだ、と思い直した。

 真面目に勉強しているわけでもないので、これまで語ったことには間違いが含まれているかもしれない。記憶にとどめる際も、参考程度にしてほしい。桜の見ごろは過ぎつつある。家やホテルに2週間も缶詰となって見損ねた人、撮り損ねた人もいるだろう。焦れるだろうが、また来年がある。今年は花見客もおらず、桜の木のダメージも少ないのではないだろうか。それなら来年は、今年よりも綺麗だろう。その時まで、どうか健康で。

(文・写真 有賀光太)

 


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