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\言語化のチカラを底上げしよう!/【言語を自在に横断する方法】コア学サロン2022年4月

こちらは毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。

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言語化とは「具体と抽象」を行き来すること

今回はコア学研究所初めてのテーマ「言語化」を特集したいと思います。言語化が好きな方もいらっしゃるし、言葉がぱっと出てこないとか、言葉に詰まる感じがあって諦めちゃうとか、言いたいことを表現してるけどちょっと空回りしているような感じがするとか、ぱちっと当てはまる感じがしなくて総合的に言語化が好きじゃない、あるいは苦手意識がある方は結構多いと思うんですね。

だけど、やっぱり自分の言葉に自信を持てるとか、自分から放たれる表現に確信だったり自信だったり愛を感じたり、自分がとにかくそれを好きだと思えるのはすごく重要なことだと思うので、自分の言葉を好きになっていく1ヵ月と思って一緒に取り組んでいきましょう。

まず最初に考えたいポイントは何かというと、言語化って簡単に言っちゃうけど、そもそも何をしていることが言語化に当たるのか、皆さんが言語化しようとしてる時、脳みその中で何をしているのだろうかということをちょっと想像してみてほしいんです。これがわかると、あっなるほど、意外とうまくできるかもって思える方がいるかもしれないので、ちょっと想像してみてください。

実はこんな本があります。「具体と抽象」という本です。字も大きいしすごく読みやすいし、ぜひ皆さん手に取ってみてください。具体と抽象に関する素晴らしい本です。私のバイブルとも言えるような本なのでおすすめです。

細谷 功「具体と抽象」

「具体と抽象」に関して先に結論をいうと、私たちが言語化をしてる時、あるいはしようとしている時は、この具体と抽象を行き来するっていう行為をやっているんですね。言語化というのは、具体と抽象を行き来する行為にもなります。

いま私が話をしていることも、ある意味言語化です。私は一時間の講義の中で具体的な話をしたり、抽象的な話をしたり、具体的な話をしたり、抽象的な話をしたりといったように、言葉を使って行き来しているんです。

だから、私の話を聞いて、皆さんも実は私の言葉に合わせて具体と抽象を行き来しているということなんですね。この本の中の図を借りて「具体と抽象」ってそもそも何なのかということをお話ししていきます。

三角形の上が抽象で下が具体です。具体の方が丸が小さくなってるでしょう?抽象だとひとつのかたまりになってますよね。いろんな細かい要素がひとかたまりになったものが抽象です。

例えば、バナナは具体か抽象かって言ったらどっちでもないんだけど、バナナよりも抽象的なものは何かっていうと果物なんですね。バナナとリンゴとオレンジみたいな具体があって、それをひとかたまりでいうと、果物ですっていうのが抽象化と呼ばれます。

逆に抽象化が具体化されるというのは、ひとかたまりになっているものが分解されて、例えばワンホールのケーキが細かくカットされて、バラバラになったひとつひとつが見えてくる、これを具体化と言うんですね。

抽象化というのはバラバラになったものの共通点を見出してひとくくりにすること。ひとくくりで一言で表すとか、ひとつとして見ていくのが抽象化です。抽象的なものを具体化していくというのはどういうことかって言ったら、すごく大きくひと塊になったものが細分化されていくということです。抽象化と具体化を行き来することで、私達はコミュニケーションを取り合って、自分の伝えたいイメージを伝えてるわけです。

言語化が苦手な人の特徴

ここまでは何となく分かると思いますが、ここからがポイントです。言語化が苦手だなって思う人のひとつ特徴として、相手にうまく伝わっていない気がするとか、自分の言葉はピントが合ってないのかもとか、自分は言葉選びが上手じゃないかもっていうものがあります。

相手にうまく伝わらなくて相手が思ったような反応をしなかったり、相手がうまく受け取ってくれなくて、自分の言葉選びが間違ってるのかもって思っちゃうことありませんか?その時、何が起きてるかというと、抽象レベルあるいは具体レベルのどこかに居すぎている可能性があるんですね。移動が少ないと伝わりづらいっていう現象が起こるんです。

私は1時間の講義の中で、皆さんに抽象的な話をするために具体と抽象を行ったり来たりさせて、ようやく自分の伝えたいことを伝えるという仕事をしてるんですね。

だから、「例えば」の話をする時って、具体化していつも下がってるんですよ。そうやって細かい話をしていきます。こういう人のケースはこうで、こういう場合の時はこうで、こういう場合の時はこう、みたいに。

それと、「つまり」を使って一言でまとめていきます。これとこれとこれをひとまとめにして言うと、「つまり」こういうことですって話をして、また抽象度の高いところに上がります。でも、「例えば」と「つまり・要するに」の行き来があまりにも少ないと、伝わりにくいんです。

抽象レベルと具体レベルと、皆さんはどっちに居やすいですか?「要するに」がなさ過ぎるか、「例えば」がなさ過ぎるか、どっちかに分類してみてください。言語化に苦手意識があるっていう方は、自分はどっちが多いかなとか想像して思い返してみるとわかりやすいです。

こうやって捉えてみると、自分が普段言葉を話す時とか伝える時とか、いま具体の話をしたいのか、抽象の話をしたいのかによって、選ぶ言葉も内容も、話す内容も変わってくるはずなんです。

何でかって言うと、抽象にいる時の言葉の使い方と、具体にいる時の言葉の使い方って全然違うので、行ったり来たりするのが大事なんだけど、具体的な話は十分終わったのに、まだ具体の話をしようって何かを探しているかもしれません。

あるいは、もう十分抽象度の高いところに居続けて言葉を紡いでいるから、具体に下りていかなきゃいけないんだけど、それをしないままずっと抽象の言葉を探すから、話すことが出てこないんですね。抽象と具体を行き来することが大事です。どっちかに偏り過ぎると、言葉が出てこなくなったり、ピンとくる言葉を探すことが難しくなったりします。

「例えば」と「要するに」

抽象について、おしゃべりをすればするほど具体が見えてくる。具体が見えてきたら、今度は下りて具体を話す。具体を話していればいるほど、具体がひと固まりになってまとめられるから、「要するに」ができます。

「要するに」を話せば話すほど、「例えば」が出てくるし、「例えば」をちゃんと話せば話すほど、「要するに」が出てくるっていうサイクルがあるんですね。なので、抽象と具体を行き来するレッスンも大事なんですけど、ぼんやりとしたものをちゃんと見て触れて感じて見ていくと、具体が自然と見えてきて、分割、細分化できるようになります。

細分化できたら、細かいところを1個1個離していきます。例えば〇〇とか、例えば□□とか、例えば△△とか、この「例えば」の隣にはいろんな「例えば」があります。「例えば」の横同士をちゃんと自分の感覚で拾ってあげて言語化してあげると、今度はおおきなかたまりが見えてきます。面白いです。

具体が抽象を作って→抽象がまた具体を作って→具体がまた抽象を作って…というサイクルになってるんですね。ただ、緊張とかちょっと力みが入ってると、このサイクルがどこかで止まってしまいます。

止まってしまって、どっちかに居過ぎてしまう。これが言語化が行き詰まって言葉が見つからなくなってしまう現象につながっていると私は考えます。まず自分がどの抽象度で意識で捉えているのかということを観察するとすごくいいですね。

「例えば」が少ないなとか、「要するに」が少ないなとか、そういうのがわかるってことは、普段から意識をすれば自分がいまどっちのエリアにいて、どっちに向かって言語化していけばいいかわかるはずなんですね。

それなのに、同じ抽象度でずっと話をしていたり、同じ具体度でずっと話をしていると、単純に球数が足りなくなってきます。つまり、自分が話せる内容とか話したい内容が出てこなくなるんですけど、「例えば」の話をして、「要するに」の話をして、具体と抽象を行き来してると言葉が尽きないんです。言葉が自分からあふれてくるから、尽きないの。これを楽しむことが重要かなと思います。

抽象タイプか?具体タイプか?

ちなみに私は言語化が得意といえば得意ですが、長嶋監督タイプみたいになところもあって、すごい調子がいいと、つまり自分を制御をしたり、自分を観察したりしないと、私はものすごく抽象度の高い言葉しか話さない人間になります。

私はどっちかって言うと、抽象の方にいやすいタイプで、「例えば」が少ないタイプなので、抽象にいすぎてるなって気付いたら、とにかく「例えば」って言って、具体の話をする癖をつけたんですよ。

これは後天的なので、仕事とかセッションとか講座とかじゃなくて、オフ会とか飲み会とかプライベートで話をしたことがある人は、私がとんでもなく擬音や抽象的な表現しか言わないってことを知ってるかと思います。

バン!とかドン!とかベーン!とかよく言うんだけど、具体のかけらもないわけですよ。ベーンってなに?って思うでしょう?私は気を抜いたらそれぐらいすぐに抽象のところにいちゃうの。自分の意識とか言葉のチョイスが。つまり、自分自身の根本の性質として、物事をひとかたまりでみるとか、ひとつひとつ違う唯一無二の個体の共通点を拾う習性があるんです。抽象タイプというのは、そういうタイプです。

もう一度、自分は抽象タイプか、具体タイプか観察してみてください。抽象タイプというのは、見た目は違うものでも何か必ず共通点があるという前提で、共通点を探してひとまとめで見ようとする性質のことです。具体というのは、ひとかたまりのようで実は全部違うという前提で、分解して細かく見ようとする性質です。

だから、自分のタイプと正反対のトレーニングをすることで、総合的に言語化が上手になるっていう感じです。私はめっちゃ抽象タイプだけど、仕事に役に立っているところはすごくあります。でも具体タイプは具体タイプですごく素晴らしくて、全然違う世界観にいるんですね。

自分のタイプを知ることで、「例えば」を鍛えるのか、「要するに」を鍛えるのか、自分はどっちを鍛えて意識的になってみればいいのか、そういう自分のアプローチを見つけるといいですね。実際は、具体も抽象もどっちもあるので、言葉を話すとか、言葉を選ぶ時の自分のタイプとか癖をまずは見てみてください。

どちらかわからないタイプは、訓練して両方できるようになっちゃったか、行き来が上手になったかだと思います。元々どちらかが強いっていうのはあると思いますので、もともとはどっちだったかなって探してみるといいかな。

言語化して伝えることの価値

自分は抽象に偏り過ぎてるなとか、具体に偏り過ぎてるな、だから言葉選びが途中で困るんだな、言葉に詰まるんだなっていう根本の原因が具体と抽象を行き来していないことだとわかった人は、それをレッスンしてください。

みんな両方持ってます。だから、ある程度具体と抽象を行き来しながら言葉を選ぶことができれば、つまり「要するに」と「例えば」の行き来ができるのであれば、あなたは言語化ができてますよ、下手ではありませんってことをまず言いたいの。

それでも、言語化が上手ではないと思う人がまだいます。実際はちゃんと伝わっているし、言葉選びもちゃんとできているし、言語化も上手なのに、本人が苦手意識を持っている方がいます。この理論で言うと、言語化ができているのに、自分はちゃんとできてるとは思えないという方に向けて、次の話をしていきます。

どういう話かというと、そもそも言いたいことがあるのかがわからないというパターンです。これは言語化以前の話ですが、言葉って何かのエネルギーとかフィーリングに付くお洋服みたいなものなんです。だから、自分が感じてることを伝えようと思わないと、言葉は必要ありません。日記とかブログとかは自分のために書くこともありますが、結局は自分の感覚や感情を言葉にして表に出すことなので、伝えることが前提です。

伝えたいっていう思いがないと言語化をする意欲は湧きませんよね。そうすると単純な話、自分のフィーリングや言葉という感覚に適切な言葉を見つけてあげようという能動性をあまり感じなくなります。だから、そもそも言語化をして伝えるということ自体にどれほど価値を感じているか、それも実は言葉にすごく違いをもたらします。

言葉にして伝えることにどれくらいの価値を感じているか。あるいは言葉にして伝えることと、言葉にしないで伝えることの違いがあるとして、それを自分がどのように捉えているか、後半はそこのチェックをしていきたいと思います。

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