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枠の中に描いた未来と、白紙に描く未来

定期的にnoteを書けるようになってから、
色々な方のnoteを読ませていただくようになった。


いろいろな方面で活躍する方がいて、

その道を歩みだすタイミングも経緯も人それぞれで、

その人生のエピソードにふれては
すごいなぁと勇気づけられたり、
刺激をいただくことも多い。


今日もある方の人生の転換期をつづった記事を
読ませていただいて、


「わたしたちは ほんとうに、
いつからでもはじめられるんだな」


と心の中でつぶやき、

前よりずっと、
自然に、ほんとうに、自分ごととして、
そう思えている自分に気づいた。

年齢とか経験とか関係なくて、

やりたいと思ったことを
いつからだってはじめられる。
はじめていい。

自分のそんな未来も
前よりずっと信じられている
ということに、少し嬉しくなった。



というのも、
前のわたしは無意識にも
自分で設定した枠の中で未来をみてしまっていた。


信頼する方とのやりとりの中でもらった

「未来は白紙なんです」という言葉に
はっとして、

“自分がほんとうにはそう思えてなかった”
ということに気づき、衝撃を受けたのは
今年に入ってからの話だ。


『未来はどうなるかなんて
誰にもわからない』
ということはもちろんわかっていた。

『未来は切り拓いていくものだよね』
ということも頭ではわかっていたつもり。


コーチとしてクライアントの未来も応援してきたし、わたし自身も、もがきながらも前を向いているつもりでいた。


でも、わたしの未来は、
白紙ではなかったのだ。


わたしは無意識にも

今の自分の感覚で
今の自分の設定で
今の自分の価値観で

枠をつくり、その中で必死に前を向こうとしていたということに気づいた。

それに気づいた瞬間から、
ものすごく息苦しく感じたのを思い出す。


あれから約1年、

これまでより深く
自分と向き合い続けてきた期間を経て、

あのとき息苦しく感じた世界は
前よりずっと開けたように思えるし、

あのとき感じられなかった希望があるようにも思えてる。



とはいえ、

その枠は完全にはとりはらえていなくて
未来を思うときに時おり出現する。



たとえば、

何かをはじめたいと思うときには
「今からできる?」という自分の声がする。


もっと若いときのわたしの感覚で、
今の年齢の自分を憂うのだ。


20代や30代のあのころのわたしの感覚では、今の年齢のわたしは人生後半戦w、

何かを確立したあとであってほしいと
願っていたし、
そうでなければそこまでだ、というようにも思ってた。


でも、50代のわたしは思うはずだ。
40代なんてまだまだ若いわよ、って。


40代のわたしからみたら、
30代なんてなんでもできるよね、うらやましーとハンカチをくわえたくなるけれど笑、30代のときはそのときなりに、20代のときと比べて将来の選択肢が狭まったように思えて行き詰まりを感じてたしね。



そういうものなのだ。


つまり、今からでも遅すぎることはない。

そう、よく聞くあれだ。

これからの人生、今日が一番若い、というあれ笑
ほんとそれなのだ。


とにかく、
たぶんなんでもできるから年齢とかで足踏みするなんて無意味!という話で、

そう思えるときもあるけれど、

そうはいってもまたゆらぐから、
きっとまだ、ゆらぐから。


そのたび自分と対話して、
取り戻していくんだよね、きっと。



そうやって、
少しずつ、小さくても「やれた」を増やして、
「やれる」を確信にして、
あのときイメージすらできなかった

『まさかわたしがこうなっているなんて!』

の未来にたどりつけるのかもしれない^^



そんな2022年にしたいなと思う年末の午後。

今日も寒かったですねー。
あしたからは掃除しようと思います!

***
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