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『いいお母さん』を目指すことを手放してからのこと

高校に入ってはじめての定期テストに
もうほんと、やばい、、
とげんなりしている長女(高1)と

慣れない部活と運動会の練習とで
日々お疲れの次女(中1)、

今日も朝からバタバタな娘ふたりを
いってらっしゃい、と送り出して

ほっと一息、コーヒーを飲みながら、

「子育てを前より楽しめるようになったのは、
“いいお母さん”になろうと思わなくなってからだったな」と、ふと考えていた。


わたしは娘たちが小さかったころ、
いや子どもが産まれる前からずっと、

「いいお母さんになりたい」
を、強く握りしめて生きてきていたのですが、


今思えば、かつて目指していた
その、「いいお母さん」というのは

すごくあいまいで、

あいまいがゆえに、
自分も、そして娘たちのことも、
苦しくしてしまっていたんだよね、と
振り返ってる。

そもそも、

わたしがなりたかったのは
娘たちにとっての「いいお母さん」
だったはずのなのに、

あいまいなままに、
世の中で一般的に言われる
「いいお母さん」になろうとして
(そうでなければいけない、と)
必死になっていた気がするし、

そうしていたから

ぶれるし、
情報に流されるし、
人と比べちゃったりもするし
で、不安になってた。


その不安からのイライラとモヤモヤから、
結局のところ全然「いいお母さん」ではない
自分に失望したし、

娘たちにも罪悪感でいっぱいだったのが
あのころのわたし。


じゃあ、
いいお母さんになろうと思っていない今は
どう思っているのか、と改めて考えた。


 娘たちといい関係性でいたいと思ってる。

 娘たちを応援できる人でありたいと思っている。

 安心してもらえる存在でありたいと思ってる。

 何より大切に思っている、ということが
 伝わる関わりがしたいと思ってる。


と、こんなふうに
思ってはいるものの!

簡単じゃないから
コミュニケーションを学び続けているし、

あー やってしまった、と
いう声掛けをしてしまっては
反省することもしばしばなのですが。

それでも、

そんな自分ののびしろ含め、
娘たちとの子育ての日々を
楽しめるようになったのは


「こうあるべき」の呪縛から
少しずつ抜け出すことができたからで


そうできるようになったのは、

 ちっとも完ぺきじゃない自分、

 というか、寧ろだめだめな自分

を、受け入れることができるようになってきてからだろうな。


「あーわたしってこう思ってるんだ。

 こう思って、こう言っちゃうんだ」

みたいに自分を客観的に、
ときに興味深くみたりしながら知ることで、


娘たちとの関わりについても

じゃあどうするか、を
一呼吸おいて考えられることが
増えてきたようにおもう。


今日振り返っていて思ったのだけれど、

そもそも、

「いいお母さん」になるっていっても

”いいお母さんかどうか”は
自分が決めることではないわけで、、

それなのに、
それを目指そうとしていたこと自体が
無理があった、というか、
ひとりよがりな話で、、

あのころのわたしも一生けん命ではあったし
必死だったけれど、


むすめたちが小さかったあの頃も

「母」である自分がどうあるか、より、

 娘 と 自分 の 関係性を
どうしたいか、

それを考えられたらよかったよね。

そりゃそうだよね、な話でありながら
あのころのわたしには
それがみえていなかったから。


これもマザーズコーチング
に出会えて気づけた視点のひとつ。


もっと早く出会えたらよかったけど、
あのときがそのタイミングだったのかな、
とも思ってる。




だれかにとってのそのタイミングに
お届けすることができたらとても幸せです。

マザーズコーチングスクール
6月のご受講、募集します。

よかったらぜひ^^



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