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いいお母さんになるんだ、と決めて生きてきたわたしについての考察
「いいお母さんになる」と、決めて生きてきた。
この「いいお母さんになりたい」については、
憧れの「いいお母さん像」がある場合と
反面教師的にいいお母さん像を目指す場合とあると思うんだけど、
わたしの場合はどちらかというと(っていうかかなり)後者で、
その「いいお母さんになる!」を漠然と、
でもしっかりと、強く握りしめて生きてきたって思ってる。
*
勉強とか仕事とか目の前のことには頑張ってきた。
でも、自分のキャリアとか役職とかにはそれほど興味をもてなかったし、(人のキャリアを応援する仕事をしてたのに)、
今思えば、仕事について自分の将来を描くことができていなかったんだなぁ。
というより、いいお母さんになる、ということに執着しすぎて、それ以外は描くことができなかったのかもしれない。
とはいっても、
わたしなりに仕事は頑張っていたから、
子どもが産まれて育休をとり、復帰のタイミングになって保育園に入れない→仕事を退職するってなったときには残念にも思ったけれど
あのとき正直ほっとしたんだった。
これでいいお母さんへの道に専念できる、って。
もちろん、仕事を辞める=いいお母さんへの道ではないってことはわかってたし、仕事をしているとかしていないとか、「いいお母さん」には全然関係ないって本当に思ってた。
なのに、自分のことで考えると、いいお母さんになるという目標とセットで、専業主婦であるお母さんをイメージしていたように思う。
当時就いていたキャリア支援の仕事では、子育てしながらも仕事を頑張るママさんたちを応援したいって本気で思ってたのにね、
矛盾してる。
(そして実際そのとき仕事をやめて、専業主婦のお母さんになってみたら、全然いいお母さんにはなれなくて自分に失望するということがわたしには起きたんだけど)
そういえば、高校生のときも(わたしは女子高)、
なにかの授業でディベートをすることになったのか
・子どもが産まれても仕事をする派
・専業主婦で子育てに専念する派
にわかれたことがあったんだけど、
あのときわたしは迷わず後者に属した。
それって確か35人とかいるクラスで2.3人だったな。
わたしあのころから「いいお母さんになりたい=専業主婦」をなぜかイメージしてたんだなぁと思い出した。
ということについて、
なんでだったんだろう、ってずっと考えてたんだけど。
書きながら、気づいてしまった。
わたしがずっと目指してきた いいお母さん って
もしかしてわたしの母の顔をしてるんじゃない?ってことに。
うわ!わたし的にはなかなかに衝撃的な気づき。
いや、だってわたし、母みたいにならない、って決めて生きてきたんですよ。小さいころからなんど思ったかしれない。
どうしてこんなこというの?
どうしてそんなにいつも顔をしかめているの?
私のことなんて、私の気持ちなんて、
全然考えてくれなくて、自分のことばっかり、って。
母みたいなお母さんにはならないし、そんな人生にも絶対しない。
わたしは絶対、いいお母さんになるんだ。
って呪文みたいに心で唱えてた。
でも、そう思って目指した「いいお母さんになる!」の向こうに、
自分が母に求めていた「お母さん」をみてたんじゃないの?
わたしをみてほしかった。
わたしの話を聴いてほしかった。
できれば褒めてもほしかったし、
ぎゅってしてほしかった。
何より、
母に笑っていてほしかった。
わたしはそんな小さかった自分の声を抱えたまま、
「いいお母さんになる」って決めた。
その小さかった私は、ほかの誰でもない、わたしの母にそれを求めてたわけで。
だから、わたしは当時の母と、同じような環境・属性である、
「仕事をしているわけでなく家にいる専業主婦のお母さん」としての『いいお母さん』を描いていたんじゃない?
ということは、なろうとしていたのは、
【いいお母さん=こうあってほしかった母】
つまり、
わたしの目指していた いいお母さんは、
こうはならないって決めた母の顔をしているのだ。
ということは、わたし
母と違う人生を生きようとしながら、
母の人生と自分の人生を無意識にも重ねようとしていたんじゃない?
という気づき。
なんだか、
ややこしくしてたんだな。
わたしがなりたかったのは、
わたしが求めていたのは
ちゃんと子どもをみて、話を聴いて、
そっかそっか、って笑ってぎゅってする。
笑顔が多い、幸せなおかあさん。
ただそれだけだったのにね。
それをあの頃、
10代とか20代のころにわかってたら、
「いいお母さんになる」をあいまいなままにせずに
向き合い、掘り下げることができていたなら
もっと早く、
『いいお母さんになる』を握りしめつつも、他にも自分の好きなこと、やりたいことを目指したり描けたりできてたんじゃないかなって思う。
だって、それは同時に目指せるものなんだから。
と同時に、
こどもはどうしたって親の影響を大きく受けるってことを改めて思い知る。
こどもは、親の生き方や在り方を通して、よくも悪くも自分の人生をつくっていこうとするんだなってことを。
娘たちは、母であるわたしを通して、
どんな世界を、未来をみるのだろう。
母であるわたしが
娘の人生を無意識にも縛ってしまわないように
娘たちが自分の人生を生きられるように、
娘たち自身の人生を描けるように、
わたしはわたしの人生を幸せに生きないとね、って思ってる。
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