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【雪国リトリート】新潟県魚沼市須原で感じたこと、考えたこと。そして、持ち帰ってきたこと。


先月11月、21日から23日にかけて「雪国リトリート in 魚沼市須原モニターツアー」に参加しました。感じたことや考えたことを、ここに残したいと思います。



雪国リトリートとは?


「雪国リトリート」って聞いたことあるようで、初めて聞いたフレーズでした。耳馴染みがいいですね。

新潟県、群馬県、長野県の県境を共有する7つの市町村が一緒になって地域活性化を目指して創設されたのが(一社)雪国観光圏で、その雪国観光圏がブランディングを推し進めているのが「雪国リトリート」のようです。

7つの市町村を挙げてみると、魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町、津南町、みなかみ町、栄町、となるほど「雪国」ですね。

ちなみに「リトリート」は、端的に表現してみると「日常から離れ、自分と向き合う」ことでしょうか。もっと思い切って端的にすると「日常から離れる」だけでもいい。日常から離れることで、普段使わない感覚や感性が刺激されて、おのずと「自分と向き合うこと」になる。

とすると、「つまり、雪国リトリートって、雪国でするリトリートなのね」と字面だけで分かったつもりでいると、実はもう少し考えを深めたい何かがありました。

2泊3日のプログラムでは、ひたすら私たち参加者の感覚や感性を揺さぶる「仕掛け」がありました。その仕掛けは特別に用意された何かではなく、「雪国」にとってはごくごく日常の何かでした。

3日目の終盤で気づかされたことがありました。

日常と離れた雪国で、普段使わない感覚や感性を揺さぶられた私たち参加者が発した、何気ない感想の言葉や行為が、雪国が地元である方々、主催者の方や地元でプログラムに協力してくださった方々を揺さぶっているのだということでした。

この「揺さぶり」が地域の活性化を促し、地域創生に繋がる、と考えられたのが「雪国リトリート」なんですね。

「雪国リトリート」のコンセプトは、「地域を再生し、私を再生する」であると伺いました。参加者の「リトリート」と共に、「雪国」こそが主体になっていて、雪国の「地域創生」が真の目的なんだと感じました。

こう考えると、実に素晴らしいプログラムに参加したなあ、というのが率直な思いです。

もちろん私自身も「リトリート」をして、自分と向き合って、新しい気づきを得て、日常にかえりました。でも、私たちが「雪国」に何か「揺さぶり」をかけ、何かしらの「貢献」ができたのではないかと考えると、また格別の思いがあります。

「take」だけではなく「give」の喜びも味わうことができるということですよね。今風に表現すると、「Win-Win(ウィン ウィン)」の関係性を感じられました。

偶然にも参加者みなさんの中で話題になった、かの有名な『おおきな木』によって考えさせられる思想とも通じる何かがあるなあ、と感慨深く思ったりもしました。


というわけで、「雪国リトリート」には実際、どんな「仕掛け」があって、どんな「揺さぶり」があったのか、写真と共に振り返ってみます。いち参加者が雪国リトリートを通して、そして終えた後の日々を通して、感じたこと、考えたことです。
 



「おいしい」リトリート


正直にお伝えするのは恥ずかしい気がするのですが、2泊3日の期間中に一番心に湧いてきた、または口に出した言葉は「おいしい」でした。いや、本当に。

iphone の photo ストレージを開くと、景色の写真よりごはんの写真が溢れる3日間でした。おかずも撮ったけど、「ごはん」単独の写真も多い。白米の白さが眩しい。

iphoneがごはんの写真で埋まる


2日目にふと「リトリートって何だっけ?」って思う瞬間がありました。

普段はもう滅多にしないごはんのお代わりをして、食べながら「おいしい、おいしい」と言い合って、苦しいくらいお腹いっぱいになって、そして幸せな気分になって。

実のところ、普段の食生活で若干食べ過ぎを感じていた私は、このリトリートの2泊3日が、食生活の軽い改善またはデトックスをする期間になるかと期待して臨んだのでした。

リトリートって、少しストイックなイメージがつきまといませんか。

食事においては、薬膳とか、ビーガン食とか、断食とか。生活スタイルにおいては、朝活とか、瞑想とか、座禅とか、ヨガとか。そして、心身ともにリフレッシュするというイメージ。

確かに今回の「雪国リトリート」では、上に羅列したようなイメージに関してのアピールは一切ありませんでした。むしろ、郷土料理作りの体験や、新米コシヒカリのぬか窯炊き体験など、美味しそうなごはんに出会えそうな気配がありました。

でも、こんなふうに「ごはんがおいしかった」という印象が強く残ることになるなんて、本当に思いもよりませんでした。

お宿のお食事

1日目のお夕飯
2日目の朝食
2日目のお夕飯
3日目の朝食


今回の宿泊先としてお世話になったのは、民宿の浦新さんでした。そちらで頂いたお食事の写真を並べてみました。圧巻です。


写真には入りきらなかったおかずの品も何品かありました。食後にくだもののデザートもいただきました。毎食、ごはんをお茶碗にしっかり2杯いただきました。白いごはんがおいしくて、そしておかずもどれもおいしくて、お代わりせずにはいられなかった。

高級な食材が使われているとか、珍しいお料理ばかりだとか、有名なシェフがいらしたとか、そういうわけではありませんでした。

でも、ごはんは炊き立てで、お味噌汁もあつあつ具沢山で、おかずの品は新鮮なお野菜を使っているのが感じられ、なによりもお宿の方の心がこもっているのがしみじみ分かるお食事でした。

東京に戻ってしばらく経ってからも、お宿のお食事を時折思い出します。「ごはん、おいしかったなあ」と。


ぬか窯炊きの体験

宿のお食事も印象的でしたが、リトリートのプログラムに仕込まれていた「ぬか窯で炊いた新米コシヒカリをいただく」のも興味深い体験でした。こんな体験は例えば子どもたちや外国人の方がするといいんじゃないかな、なんて思っていましたが、私たち大人にとっても新鮮で学びのある楽しい体験でした。

ぬか窯と炊き立てごはん


上の左側の写真の「ぬか窯」(お釜が乗っている下の部分)がとっても優秀でした。薪ではなく、もみ殻を燃料にして、お米を炊くんです。ぬか窯の中にもみ殻を入れて火をつけ、お釜を乗せて、あとは待つだけ。電気炊飯器のスイッチを押したのと同じように、あとは待つだけでごはんが炊き上がります。ぬか窯の側面にある蓋には、「最新式」「萬能型」とあるのですが、本当にその通り。

40分程で完璧な炊き上がりでした。お釜の蓋をあけた瞬間にもわっと白い湯気があふれ、真っ白できらきらしたごはんが見えました。

電気炊飯器ではなく、お釜や飯盒で、薪で炊いたごはんを食べたことのある人は多くいると思います。そのおいしさを知っている人も多くいると思います。私もそのひとりで、実はこの「ぬか窯炊き」のプログラムは自分にとって既知の体験であると考えていたのですが、全く新しい体験でした。

燃料が薪ではなくもみ殻であるというのは、お米を包んでいた殻で炊くわけなので、とっても効率的。さらに、薪のように火加減の調整をしなくてもいいというのは、とっても革新的。ぬか窯の蓋に、最新式だったり萬能型だったりの言葉を刻みたくなるのがよく分かります。

そしてもちろん、炊き上がったごはんもおいしい。

ぬか窯の仕組みや工程やその成果に、感心したり、感動したりする体験でした。一緒に立ち合った地元の方々も初めての体験だと仰っていたので、今やなかなかない貴重な機会でもあったのですね。




自然と生きる


私は祖父母の代から、東京生まれ、東京育ち、東京で暮らすという、まあ、「都会っ子」です。そして、都会が故郷であるという出自のためか、いわゆる田舎に憧れがありました。

今年初めまで就いていた仕事がかなり多忙だったことから、「自然の中でリトリートしたい」という思いも長らく持っていました。そんな中、今回の雪国リトリートに参加する機会を得たことは、待ち望んでいた、願いが叶う機会でした。

ところが、最終日にふと頭をよぎったのは「思ったより、自然の中のリトリートじゃなかった・・・?」という疑問の言葉でした。

今回訪れた魚沼市須原は、もちろん東京に比べれば、山々に囲まれた自然豊かな地です。晴れると太陽のあたたかさを感じ、青空を眩しく感じ、夜には満天の星空を眺めることができます。気温や天気の条件が整うと、神秘的な雲海が町を覆います。

とはいえ、例えば「雪国リトリート」という表現から連想するような「一面の雪景色」を見ることは、季節柄ありませんでしたし、例えば山の中に入って鬱蒼とした木々に囲まれるというような時間もありませんでした。

でも、疑問の言葉の後にすぐ浮かんだのは、「いやいや、普段よりずっと自然が身近だった。生活と自然に境界線がなかった」という気づきでした。

「自然と生きる」ことを垣間見ることのできた、まさに自然の中のリトリートでした。

朝の景色

雲海に覆われる町
雲海がすぐそこにあるよう
山から日が昇る


2日目の朝は町を覆う雲海を見ることができました。

前日の夜に「気温や明日の天気予報からすると、朝は雲海が出そう」という地元の方ならではの予想を伺いましたが、それが見事に的中しました。

早朝5時過ぎに部屋の冷え込みで目を覚ましました。部屋の窓は遮光カーテンなどではなく障子だったので、外が薄ぼんやり明るくなってきているのが分かりました。障子を開けてみると、町を覆う雲海が見えました。

宿の窓から見える町のとても神秘的な姿に、この景色が日常にあることに感動しました。

そして、その翌朝である3日目の朝は、また違う光景が待っていました。

燃えるような朝焼け
夕焼けみたいだけど朝です
時間と共に薄まっていく
山の向こうに朝日がある


どのような条件が整うと、空がこのように染まるのでしょうか。雲の広がり具合でしょうか。見事な朝焼けを見ることができました。

山の向こうから町を襲うように広がっていた朝焼けが、だんだん薄まり、小さくなり、山の向こうに隠れていくような感じで消えていきました。

朝焼けが消えていくと、山の向こうから日が差してきました。日が昇るにつれて、空が青くなり、気温が上がっていくのが分かりました。お日様の力を感じました。



宿の朝食は7時でした。2日目も3日目も早朝5時台から起きていたので、朝食の前に宿の周りを軽く散歩しました。日中もそうでしたが、早朝も人通りはほぼ無く、とても静かでした。

散歩中に2日続けて、宿の近くにあった何でもない木の写真を撮りました。それが、上の2組の写真です。左側が雲海が出た2日目の朝、右側が朝焼けが出た3日目の朝です。違いが見えますか?

自然の定点観測写真は面白いですね。2日間とも「天気良く晴れた」という同じ印象だったのに、こうして並べてみると空の表情が全く違いました。

思えば、朝焼けは東京でも見ることができるはずですし、朝の散歩や自然の定点観察だって同様です。リトリートの朝の時間に感じた感動は、田舎ではなく都会でも味わうことができるはず。

私の日常である東京に戻っても、たまには、早起きをして外に出てみようと思いました。


ずらりと並ぶ白菜
大根も整列


朝の景色でもうひとつ印象的だったのは、寒いお外に並べられた野菜たちでした。一晩中そこにいたのか、霜が降りていました。

こうしておくと、うまみや甘みが凝縮するのでしょうね。宿で頂いたお野菜がおいしい理由がひとつここにあるのかな、と思いました。


白菜には霜が降りていました



水流と苔に囲まれた町

水流と苔


「リトリート」の効用のひとつには、きっと「癒し」があると思います。雪国リトリートでも、「癒されるなあ」と感じる時間がありました。

リトリートのプログラムに仕掛けられた「癒し」も、きっとあったのだと思いますが、今回の雪国リトリートの舞台であった須原には、大きな癒しの要素が存在していました。

それが、水流と苔です。


力強い水音がする


須原には水流が欠かせない存在となっています。農業用水として。そして、雪を溶かすための水として。

あちこちに勢いよく流れる水流があります。ザァーザァーとか、ゴォーとか、力強い水音が絶えず耳に入ってきます。

1日目の深夜にふと目が覚めたとき、外から聞こえる水音に「あ、雨だ」と思ったほどです。窓の外を見てそれが勘違いだったと気づきました。

古い家の傍には、大きくきれいに整備された池があり、水を綺麗にしてくれる鯉が泳いでいます。近づくと、チョロチョロチョロチョロと涼しい水音が聞こえてきます。


よく見ると黒い鯉が
こちらは鮮やかな鯉


リトリート初日に須原の地域を散策したときに、須原の地域と水との関係について地元ガイドの方にお話を伺いました。

そもそも水は人間にとって欠かせないものですが、須原ではもっともっと「水と生活が密着している」と感じました。

そして、絶えず耳に入ってくる水音に、私は癒しを感じていました。ふと、水音の存在に気づくたびに、心洗われるとか、清められるとか、そんなイメージが浮かんでいました。

地元の方々が「水音」について、どう感じていらっしゃるのか分かりません。でも、町を囲む水音はきっとそこに住む人々に癒しを与えていると考えたいです。



そして、苔の存在にも魅かれるものがありました。

気づけばそこかしこが、苔で覆われていました。苔の緻密な世界が、遠目から見ても、近くから見ても、とても美しいなと感じます。

水流に囲まれた町だからなのか、なんなのか、理由は確かめる機会がありませんでしたが。恐らくは、図らずも時を経ていつのまに、といったところでしょうが、苔が須原に溶け込んでいるのを感じました。




星空が近い

1日目の夜に「星空を見に行きましょう」という提案がありました。もともとはプログラムになかったことですが、嬉しい提案でした。

宿のお夕飯を、それこそ本当にお腹いっぱい幸せに頂いた後で、外への散策はちょっとした腹ごなしにちょうどいいと思いました。

日中は日差しのお陰で暖かかったものの、日が暮れてからの外は気温がぐんと下がって、持ってきた防寒グッズを全て身につけても冷えるくらいでした。もこもこ着ぶくれた格好で、夜の散策に出かけました。

宿の近くでも、空を見上げるといくつもの星が見えましたが、少し歩いて、周りに民家の無い、広くひらけた、冬のスキーシーズン用の駐車場に辿り着いて空を見上げると、それは見事な星空を眺めることができました。

私たち以外誰もいない駐車場で、誰からともなく仰向けに寝っ転がって、星空を浴びるように眺めました。少し子どもに戻ったみたいで、楽しかった。

綺麗な半月が出ていた夜で、月の明かりの強さにも驚きました。新月の夜であれば、もっともっと星々がたくさん現れるとのこと。

星空が近い生活を送っているんだな、と感じる時間でもありました。この感動が身近にあるんだな、と。

東京でも星を見ることは、まあ、できます。でも、恐らくは世界一の人工の光に溢れた都市でもあるので、そんな東京で満天の星空を見るには、電力を失うか、プラネタリウムに行くしかありません。

「星空を見に行きましょう」と気軽に提案してくださったことは、星空が近い生活をされているんだなと感じました。今後の雪国リトリートでも、星空を見るプログラムが入るといいなあ。


寝っ転がって星空を見上げた駐車場


雪の中で暮らす

雪国リトリートのプログラムの中に、「雪囲い」という聞きなれない言葉がありました。2日目のメインイベントのひとつです。雪国の冬の準備のお手伝いをするとのことでした。

私は当初、畑か田んぼにおける農作業を手伝うのかと想像していましたが、雪囲いは、家などの建物の冬の準備でした。

冬の間、この地域の積雪は 2メートルに及ぶそうです。

そのため、雪に埋もれるような 1階部分の窓を板で塞いだり、玄関口の周りを雪除けになるような囲いを立てたり、雪から建物を守る備えをします。雪のない季節には外に置いていたベンチやテーブルなども、建物中に避難させます。

地元の方が作業を教えてくださりながら、10名弱の大人たちで作業に取り掛かりました。人手のいる作業です。毎年、雪が降る前に雪囲いを行い、そして季節が巡って春が来たら、また元に戻す作業をすることになります。


公共の建物も冬支度



私たちが雪囲いの作業のお手伝いをしたのは、「絵本の家 ゆきぼうし」の建物でした。作業の間は写真を撮ることを思いつかなかったので、雪囲いのイメージは代替えに上の写真をご覧ください。


「雪囲い」のことは、この雪国リトリートに参加するまで知りませんでした。ぼんやりと農作業の一環とか、または例えば茅葺の家のような古い伝統日本家屋において行う、伝統行事に近い何かだと思っていました。決してそうではなく、雪の中で暮らす人々の日常的なことなんですね。

比較的新しい建物は、1階部分はコンクリート造りで駐車場や倉庫スペースになっており、2階から上階が住居になっていました。雪が降ると埋もれてしまう 1階部分を守るための、また活用するための工夫なんですね。




地元の人々


今回のリトリートの間に、須原にお住まいのいわゆる「地元の人々」と触れ合う機会が何度もありました。「地域を再生する」というコンセプトを抱えるリトリートであったので、「地元の人々と触れ合う機会」は大事な要素のひとつだったのだと思います。

振り返ってみて感じるのは、須原にお住いの方々は「地元の人々」とひとくくりできないような、それぞれのプロセスや物語をお持ちだったということでした。

どの方々にも、お会いできて、お話できて、良かったなと思いました。そして、どうか地元の方々も、私たちリトリートの参加者との触れ合う機会を良いもの、と受け取ってくださっているといいなと願っています。


おかあさん

その機能性と炊き上がりに感動した「ぬか窯炊き」のごはんは、2日目のお昼ご飯で地元の方々といただきました。お昼ご飯を一緒にいただくだけではなく、支度から片付けまで、リトリートの参加者と地元の方々で一緒にやりましょうというプログラムでした。

みなさん、団塊の世代かほんの僅か上の年代の方々だったと思います。ご近所にお住いの奥さまたちでした。奥さまというか、もっと近しくおばさん、おばちゃんと呼びたくなる雰囲気。ご一緒した時間の間は、みんなして「おかあさん」とお呼びしていました。

「リトリートに参加するために遠方から来た初対面の人」である私たちを、とても自然にあたたかく受け入れてくださったことが印象的でした。ありがたい。

そして、今思い出されるのは、おかあさんたちのあまりに自然な姿です。普通というか、特別ではないというか。

例えば、お昼ご飯のつけ合わせに用意された白菜の浅漬けが、業務スーパーの浅漬けの素を使っていたこと。とてもおいしかったのです。さすが地元の方が用意されるものは違う、と感動したのです。でも、おかあさんから発されたネタ晴らしのようなひとこと「業スーの!」で大笑い。

例えば、ひとりのおかあさんがとても綺麗にネイルされていたこと。爪も長めに整えられていたこと。ネイルの色も指輪も鮮やかで、ついついそのおかあさんの手に見入ってしまいました。

もうね、日本全国どこにでもいらっしゃいます。こんなおばさん、おばちゃん方。東京のような都会にも、どこかの田舎にも。

でも、今回のようなリトリートのプログラムに協力するという機会に遭遇する方はそう多くはないはず。「地域を再生する」ということをどのくらい意識されていたのか、いなかったのか分からないけれど。

私たちリトリートの参加者に、とても自然であたたかい時間を提供してくださったおかあさん方に感謝です。


移住してきた人々

須原で出会った方々のなかには、どこかよその地から移住されてきた方々もいらっしゃいました。「地元の方々」イコール「もうずっとここにいる」というような曖昧なイメージを持っていましたが、そうではありませんでした。

雪囲いの作業にあたり、私たちに作業を教えて一緒に取り組んでくださった方々も、数年前に移住されてきた方々でした。詳しくお話を聞くことはなかったのですが、きっと、移住してきて、雪囲いを経験され、馴染んで、そして今回のように私たちに教えるようになる、というプロセスの途中で、いつのまにか「地元の人々」の雰囲気を纏ったんだなと感じました。

移住されてきた方々のみが持っているプロセスがあります。「自らの意思で選んでここにいる」ということです。もしかしたら止むに止まれぬ事情がおありだったのかもしれませんが、でも今回お会いした方々は少なくとも、嬉しそうに誇らしそうに「移住してきたんです」と仰っていました。

そんな「移住してきた人々」のお話も伺いたいなと思いました。彼らはリトリート参加者である私たちだけでなく、もともとずっとそこにおられる地元の人々にも、それとは知らず日常的に「揺さぶり」をかけている存在なのではないかと思うからです。

そして、そもそもは移住してきた人々がそれぞれ移住を決意するまでのプロセスにおいて、地元の人々から「揺さぶり」をかけられてきたに違いないからです。そう考えるとやはり、みなさんのお話を伺いたいなと思いました。



地元を伝える人々

私は上でもお伝えしたように、生まれも、育ちも、在住も東京です。

引っ越し経験は、誕生から幼稚園卒園まで、小学校入学から35歳まで、35歳から現在まで、シンプルに3か所です。特に2か所目と3か所目は隣接した区なので、物心がしっかりついた小学校以降は同じ地域に住んでいることになります。

20歳台後半はカナダに3年程滞在していたのですが、まあそれはそれとして、私のこれまでの人生のほぼ全てが東京の同じ地域に住んでいるのです。

そんな私に「地元の人として、お住まいのところを紹介して」と言われても、「そう言われましても、うーん、分かりません」と答えてしまう気がします。いや、本当に今住んでいる地域の歴史とか、他にはない特徴とか、自慢にしたいこととか、なかなか浮かびません。

それは、今の住まいの地域が何も持たないのではなく、私が単に不勉強なだけです。なんらかの自覚、みたいなものを持って生きていないからですね。

雪国リトリートでは、そういうプログラムが仕掛けられていただけあって、地元の方々が須原のことをよくお話してくださいました。

須原の地域の自然と町の成り立ちとか、その姿を見たら手を振ろうという条例がある只見線とか、かつては東京から夜行列車で多くの人が押し寄せたという只見スキー場とか、江戸時代前より町の発展に力を尽くした目黒家が遺した目黒邸とか、そして、今回の雪国リトリートのいち拠点として使わせてい頂いた「絵本の家 ゆきぼうし」とか。

リトリートの運営の方をはじめ、地元ガイドの方(お宿の浦新のご主人でもありました)、目黒邸の方からは、それぞれのお話の内容と、そしてそのお話っぷりがとても印象に残りました。

好きとか嫌いとかそういう言葉では言い表せない、でも、地元を思う強い気持ちが伝わってきました。


民宿 浦新さん





自分と向き合う仕掛け


ここで、あらためて「リトリートって何だっけ?」と振り返ってみたいと思います。「雪国リトリート」から日常へ持ち帰ってきたものは「ごはん、おいしかったなあ」だけでは、もちろんありませんでした。

リトリートとは、
語源の退去・撤退・隠れ家などから派生したことばで、
日常から離れて心身をリセットし癒す時間・過ごし方のことを言います。

Tomaru https://tomaru.org/


リトリートの運営や養成をされていて、雪国リトリートにも大きく関わっていらっしゃる Tomaru さんの言葉を借りてみました。こうして見ると「自分と向き合う」って入っていないんだ、という発見がありました。

でも、雪国リトリートには、間違いなく「自分と向き合う」仕掛けがありました。


役割をおろす、問いをもつ

1日目にリトリートの運営の方と参加者が初めに一堂に会したときに、雪国リトリート参加中の過ごし方についてお話がありました。

  • 今の自分の「役割をおろす」こと

  • 「問いをもって」過ごすこと

「役割をおろす」とは、例えば、仕事の肩書とか、家庭での役割とか、周りの人からの評価とか、自分についているラベルやレッテルを剥がして、素の自分になるということですね。

このような誰しもが持つ、役割、肩書、ラベルのことを考えるとき、私はいつも谷川俊太郎さんの『わたし』という絵本を思い浮かべます。

わたしは山口みち子、5才。お兄ちゃんからみると“妹"でも、犬からみると、“人間"。わたしはひとりなのに呼び名はいっぱい。社会関係を楽しく描きます。

Amazonの商品説明より



たった 5才なのに、「わたしはひとりなのに呼び名はいっぱい」という言葉に、軽い衝撃を受けます。そして、大人になるにつれて、その呼び名には「責任」とか「負担」とかがくっついてくる。(『わたし』はあくまで 5才のみち子の日常なので、ほほえましく話が進みます。)

「役割をおろす」とは、呼び名もとい役割から離れ、その役割にくっついたモノも忘れ、リトリートの間は本来の自分に戻って過ごしましょう、という「仕掛け」です。

そして、「問いをもつ」ように促されました。

「問いをもつ」ってなんだろうって思いますよね。「役割をおろす」ことは、普段の生活でも無意識的に行っている方はきっといらっしゃると思います。簡単に「仕事とプライベートを分ける」とか。

でも、日常のなかで「問いをもつ」ってなかなか無いです。どんな「問い」がいいんだろう。

そこでヒントのように出されたのが「自分は何者か?」という問いでした。役割をおろして本来の自分に戻ったうえで、さあ「自分は何者か?」という問いをもって自分と向き合うんですね。

「役割をおろし」「問いをもって」過ごすことは、日常生活を特に忙しく過ごしている方にとっては、なかなか実行するのが難しい仕掛けであり、さらにいざトライしてみるとなかなかインパクトのある仕掛けであると思います。


ノートと共に過ごす

今回の雪国リトリートで、私が個人的に一番素敵だと思った仕掛けは、白いノートを頂いたことでした。

白いノート


白いノートと色鉛筆を渡され、それぞれ自由に、描いて、書いて、使っていいと説明されました。アウトプットのツールとして渡されたんですね。

参加者それぞれが、本当に自由に、書いて、書いて、使っていました。

色鉛筆があったので、色を付けた絵を描いていらっしゃる方が多いように感じました。表紙も中身も真っ白なノートだったのですが、カラフルに埋まっていくのを見ました。

私はどちらかというと字を書く方なので、思いつくことをつらつらと書きこんでいました。上の写真を見ると、「夕食」「おなかいっぱい」「さといものみそ汁」と読めますね。やはり、おいしいごはんのことは書かずにいられませんでした。

雪国リトリート2泊3日の間に、感じたこと、考えたこと、印象に残ったこと、そのほか何でも「あ、書こう」と思ったときにノートを開きました。その日のプログラムが終わって、宿の部屋でひとりになってからもノートを開きました。

今そのノートをパラパラめくってみると、残された単語や文章のひとつひとつから、リトリートの時間が思い出されます。「ああ、そうだったなあ」とか、「ああ、ごはん、おいしかったなあ」とか。「あれ、これはなんだっけ?」という言葉も残されていたりします。面白いですね。

ジャーナリングとか、書く瞑想とか、アウトプットの薦めはよく聞きますが、日常的に取り入れるのは実はハードルが高かったりします。でも、こうして日常から離れたリトリートの間にアウトプットするのは、抵抗なく集中してすんなり取り組めました。

そして、とてもいいお土産になりました。


ソロタイムでひとりきりになる

予め頂いていた【行程内容】に、こう記載がありました。

「3日目 お宿周辺の気に入った場所でソロタイム → 3日間の振り返り」

「ソロタイム」は「ひとりきりになる時間」です。

リトリートはそもそも複数名の参加者がいることで、「自分と向き合う」ことにとてもいい効果があると思います。参加者同士の対話がいい刺激になるからです。

1日目に集合してから3日目の朝食まで、夜に部屋で休む時間を除いては、基本的にいわゆる「団体行動」でした。地元の方々と過ごす時間もありましたし。

それが、3日目には、参加者それぞれがひとりきりで自由に過ごす時間が設けられます。この時間は、例えば団体ツアー旅行であるような「自由時間」とは趣が違います。行動自体は自由ですが、心や思考はそれまでのリトリートの時間を振り返り、自分と向き合うよう仕向ける時間です。

お宿周辺の気に入った場所でソロタイムを過ごしましょうと説明されて、私は 1日目の夜に星空を見た、あの広くひらけた駐車場に行くことにしました。まずは、あそこでまた空を見上げようと思ったからです。


ソロタイムを過ごした駐車場



お宿周辺は広く「須原公園」と呼ばれていて、その公園の自然の中に身を置くこともできました。また、「絵本の家 ゆきぼうし」もソロタイムで使っていい場所として挙げられていて、そこで好きな絵本に囲まれて時間を過ごすこともできました。

でも、私は駐車場を選びました。

今の季節には一台も駐車されている車はありませんでしたが、季節が変わり雪が降ると、只見スキー場を利用する方の車で埋まるという、地元の方々の話が印象的だったからかもしれません。

1日目の夜に「星空を見に行きましょう」とこの駐車場を訪れて、寝っ転がって星空を見上げた時間が、思いのほか心に残っていたからかもしれません。

あるいは、私にとっては、だだっ広いコンクリートの広場が、土や草や苔の地面より、落ち着いたからかもしれません。

結局、都会っ子だったんだ、私。コンクリートの地面の方が馴染みがあって落ち着くんだなと思いながら、また寝っ転がって空を見上げました。

駐車場から見上げた空
駐車場から見えるスキー場



これまでの私は確かに、「自然の中でリトリートしたい」という思いを抱えていたはずなのに、面白いなあと思いました。

この雪国リトリートで、須原の「自然と生きる」姿に感動して、地元の人々と触れ合う機会を得て、そしてスキー場の駐車場でソロタイムを過ごして、コンクリートの地面に寝っ転がって、「都会っ子だったんだ、私」と思ったのでした。

それは、「自分は何者か?」という問いの答えでした。

「都会っ子」の意味云々はともかく、私は自分のことを「都会で生まれ育った人」だったと実感したのでした。自分の出自について、客観的にかつ主観的に気づかされたということです。

駐車場から見た景色


ソロタイムは 2時間程あったかと思います。

駐車場から宿に戻るまでに、須原公園の中を散策し、目黒邸に立ち寄って、囲炉裏にくべられた火をしばし眺めました。


須原公園内の水門橋


目黒邸
囲炉裏の火


ソロタイムを終えて、宿に戻り、再びリトリートの運営の方と参加者が一堂に会して、対話をする時間がありました。

それぞれのソロタイムで起こったことを共有し合うことで、自分の気づきが深まったり、新しい気づきが生まれたりしました。「都会っ子だったんだ、私」という自分の気づきが明確な言葉になったのも、この対話の時間でした。




雪国リトリートを終えて


さて、今、2023年12月14日の 23時半を回るところです。ああ、今日中にこの note を書き上げてしまいたい!!!

雪国リトリートは、先月11月の21日から23日の2泊3日でしたので、もうすぐ一ヶ月が経とうかという時間が過ぎました。あっという間でした。新潟から東京に戻って割とすぐに、3泊4日の京都旅行があったり、フリーランスとして開業届を提出したり、また別のリトリートに参加したり、私には少し大きな出来事が続いていました。

でも、ずっとその間、雪国リトリートのことを書き残したいという気持ちが付きまとっていました。やれやれ、今夜ここまで辿り着いて心底ほっとしています。何かこう「まとめ」のようなことを書かなきゃいけない気がしないでもないのですが、もうね、13000字に及んでいるんです。もう十分ですよね。

白いノートの最後の方に書き残した私の言葉は、「私は東京人」でした。

まさか、こんな言葉を書き残すことになろうとは、この白いノートを頂いたときには想像しなかったです。リトリートで、こんな言葉を持って帰ってくることになろうとは、思いもよらなかったです。全く。

ここまでこの note を書き進めてみて、「雪国リトリート」の「仕掛け」とその「揺さぶり」に、なんというか感動というか、感心というか、敬意に近い気持ちが湧きました。

「都会っ子だったんだ、私」という気づきは、今後、もっと向き合って深掘りしていきたいと思っています。私にとっての「雪国リトリート」は続いています。終えてはいないんだな、という新しい気づきが、今ここにあります。




最後に、今回の「雪国リトリート in 魚沼市須原モニターツアー」に参加する機会を与えてくださった方々、運営の方々、参加者として一緒に時間を過ごした方々、そして須原の地元の方々に感謝の気持ちをお伝えしたいです。

魚沼市須原の「雪国リトリート」が、近い将来、広く多く色々な方に体験していただける日を楽しみにしています。


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