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【棺桶でガッツポーズ取れるか?】丸田喬仁

こんにちは!
初めまして、丸田喬仁(まるたたかひと)です。

急に変な話をしますが、

あなたは、
もし今自分が死んだとして
棺桶の中でガッツポーズを取れますか?

もし答えがNOなら
この文章を是非読んでいってください。

答えをYESにするためのヒントが見つかると思います。

「棺桶でガッツポーズ」
この言葉と出会ってから、
僕の人生が急加速しました。

ちょっと長くなりますが、少々お付き合いください。
ここに僕のこれまでの生き様を記します。

■昭和の最後に生まれる

1988年、バブルが弾けた後
昭和がちょうど終わろうとしている時に
この世に生まれました。

野球一筋で社会人までやり抜いた
会社員の父と

家事・パート・子育てを
こなす働き者の母と

父の運動センスを直に受け継いだ
超スポーツ万能な4つ上の兄

と僕の4人家族の
ちょっと体育会なだけで、普通な家庭に育った。

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■小太り小学生時代

ご飯が大好きだった僕は、
3食限界まで食べる+間食
と言う食生活だったので、
「お腹減った」と言う感覚を知らなかった。

体型は「小太り」

ただの小太りではなく
スポーツ万能な兄の影響で
体を動かすのが好きだったので、
「動ける小太り」

兄がやっていた影響で、
習い事の主軸はサッカーだった。
兄に蹴り方を教わったのがきっかけで、
ボールを強く蹴ることが得意・好きに。

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■ガリガリノッポ中学時代

中学生になり、
サッカー部に入部。

小太りの小学生時代から一変、
身長が一気に伸び180cmに
ガリガリのっぽになった。

ゴール前の競り合いでジャンプすれば、
当然頭ひとつ抜ける。

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キックが好きで何回も蹴り込むうちに
誰よりも遠くにボールを蹴れるように。

試合に出たくて、
練習中に人一倍大きな声を出していたら
控えメンバーになれた。

そのまま声を出し続けたら、
3年生の時には50人を超える部のキャプテンに任命された。

前にガンガン出ていくタイプではないけど、
学校行事でも何かとリーダーを任されることが多かった。

■ラグビーに熱中 高校時代

法政大学附属第一高校に入学。

バキバキの男子校に入学。
高校生時代、女の子と会話した記憶がない。

その代わりに、3年間ラグビーに没頭していた。

クラスメイトの楠原に
勧誘され、ラグビー部に入部。

「一緒に花園目指そう」
新しい挑戦が始まった

最初はガリガリで
腕立て伏せもできなかったが、
ウェイトトレーニングを始め
徐々に体が大きくなっていった。

10年慣れ親しんだサッカーから離れ、
「新しい何かを始めること」
「新しいスキルを獲得すること」

の喜びを感じる。

初めてタックルできたこと、
相手を吹き飛ばしたこと、
トライしたこと、
今も覚えてる。

そして、
ラグビーにも僕の武器を活かす場があった

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キックだ。
サッカーで培ったキック力で
チームに貢献することができた。

結果は東京ベスト16止まりだったけど、
何より仲間とアツくなった
ラグビー 漬けの毎日が楽しかった。

■アメフトと出会う

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(兄:2005年・2006年と2年連続で学生アメフトのMVPを受賞)

アメフトをやろうと思った決定的なきっかけは
2006年甲子園ボウルを観に行ったこと。


出場校の法政大学
大学4年生の兄が
エースランニングバックを務める。


結果は法政大学が勝利、
2年連続で学生日本一になった。

相手の関西学院大学の応援で
いっぱいになった甲子園球場。
勝利の瞬間、フィールドの真ん中で
倒れ込む兄の姿がどんな人より輝いて見えた。

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そこから、アメフトをやりたい気持ちが生まれた。
「できるかな?」と迷っていると

高校入学時にラグビーに誘ってくれた
親友がまた背中を押してくれた。

「お前がやるなら、俺もやるぞ。一緒にやろう」

日本一になりたい。
また新しい挑戦が始まった

■キックが最大の武器に 大学1〜3年生

2007年、法政大学トマホークスに入部。

同期には
スポーツ推薦で選ばれた人たち
アメフトの強豪である法政二高出身の人たち
1年生から活躍する選手も少なくない。

絶対試合に出たかったので、
練習開始からグラウンドに
居れるように大学の授業を上手く組んだ。
同期の誰よりも練習した自信がある。

チャンピオンチームのとんでもないハードな
トレーニングについていくのがやっとだった。
筋肉が急激に膨らみ、皮膚にヒビが入った。

ただ初心者の僕にも最初から彼らと肩を並べて
戦える武器が1つあった

キックだ。

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2年生からボールを蹴るだけのポジション、
キッカーとしてレギュラーに抜擢された。

一つの成功でヒーローにもなれるが、
一つの失敗で敗因にもなり得るのが
このキッカーというポジション。

3年生までの僕は、
キックの何が正解なのか全くわからず、
結果とだけにらめっこする毎日だった。

失敗する理由がわからないので、
上手くいくわけがない。
3年生のときには、
憧れの甲子園ボウルで大失敗を経験。

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観衆3万人の甲子園球場で
日本一を目前に、チームを負けさせる経験をした。

■コーチと打ち立てた歴代記録 大学4年生

4年生になると
OBの元プロのコーチが
指導に来てくれることになった。

コーチと出会ってから、
キッカーとして爆発的に成長した。


コーチについてもらうまでの
誰にも分かってもらえず、
ただ結果とだけ向き合っていた
自分はもういなかった。

成長するための正しいプロセスを知り、
自分と向き合えるようになった。

おかげで、
1シーズンにキックだけで
63点もの得点を上げる事ができた。

これは今でも破られていない
関東大学1部の歴代記録となっている。

■空が歪んで見えた 学生アメフト最終戦

日本一のキッカーにはなれたが、
チームを日本一に導く事ができなかった。

2010年
大学4年生の関東決勝、
逆転のチャンスで回ってきたキックで失敗。

ボールを蹴ろうと軸足を踏み込んだ瞬間、
ふくらはぎに強烈な痛みが走った。

(実はつっただけだった)

蹴り足が味の素スタジアムの天然芝をえぐり、
ボールがあらぬ方向に飛んでく。
崩れ落ちながら、宙舞う芝と土が見える。
(なぜか映像がスローモーションになった)

結果は負け、

「自分のせいで負けた」

空が歪んで見えた。

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全てをかけた勝負に負けた。
しばらく途方に暮れた

「負けたら何も残らない」
負けて引退して行った先輩たちに
そう言われてきたが、

人生は続いた

最後まで自分を信じてくれた
最高の仲間を得た。

コーチとの二人三脚で
キックの原理原則を知り
成長へのプロセスを学んだ。

大学を卒業。
スポーツ漬けだった
学生生活が終わった。

■葛藤と再起 社会人1年目 

2011年、証券会社に就職した。
金融知識が全くないまま入社した為、
めちゃくちゃ苦労した。

頭で負けるなら、身体を動かすしかない。

企業や高級住宅地に
ひたすら飛び込み営業。

忍者みたいな長〜い巻物に筆で手紙を書いて、
地元の社長さんに送り続ける毎日。

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成績の良い方ではなかったが、
休日も出勤して営業をしていたら
徐々にお客さんができてきた。
会社の人たちも優しい。

それでも、心が満たされない。

スポーツをやっていた時は
「花園に行こう」
「日本一になろう」
と明確な目標があったが、

会社員としての目標はなかった

そんな時、ある告知を見た。
NFL JAPANが企画した
アメリカでアメフトの
プロになるためのテストの告知だ。

テストを通過した選手は、
アメリカ本土のプロテストを無料で受けられる
という内容だった。

大学時代のコーチが現役の時に
NFL(プロリーグ)を目指していたこともあり、
もともと挑戦したい気持ちがあった。

「どこまでやれるだろうか?」

半分本気・半分記念で、
1ヶ月ほど準備をしただけで受けてみることにした。

成長のプロセスは既に知っていたので
短期間で自分で実感するほど上手くなった。

結果は合格。
アメリカに行くことに。

「すみません、39度出てしまいまして、、」
会社に仮病の電話を入れることで、
無事アメリカにタッチダウン(到着)

「棺桶でガッツポーズ取れるか?」 社会人2年目

アメリカ本土のトライアウトは
失敗に終わったものの、
「自分にもできるかもしれない」
という気持ちが生まれた。

そんな事を胸に秘めながら
社会人2年目になった。

2012年の夏、
NFL JAPANは
「キッカーならNFL入りの可能性がある」
という見立てからキッカーの育成企画を打ち出した。

アメリカ・アトランタに渡り、
本場のキックを学ぶ機会を提供してくれたのだ。

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(NFLのレジェンド、モーテン・アンデーセンと)

アメリカで新しいテクニックを学ぶと、
キックの飛距離が爆発的に伸びた。

「まだ伸び代があるのか!」
自分に対してのワクワクが止まらない。

しかし、日本に帰ると現実が待っていた。
挑戦したい気持ちが止められない自分、
会社員として働く自分、

心と身体が離れていく感覚。

どんな失敗の経験よりも
この時が1番辛かった。

悩んでいた僕を救ってくれたのは
営業先の社長さんからもらった、
ワンフレーズだった。

「棺桶の中でガッツポーズ取れるか
どうかなんじゃないかな?」

この言葉を聞いたとき
身体に衝撃が走った。

それから、
「このまま挑戦せずに死ねるか?」
「このまま自分に嘘をついたまま死ねるか?」

自問の言葉に頭の中を完全にジャックされた。

何千回何万回自問してみても
答えはNOだった。

社長さんと話した翌日、
支店長に言って退職する事を決めた。

■孤独な挑戦

「プロになれなかったら挑戦を辞めよう。」
そう決めてアメリカに渡った。

1ドル単位で計算をしながら
本当にギリギリの生活を送った。

平日は語学学校とトレーニング。
土日になると高校のフィールドが開放されるので、
後ろにiPadを立ててひたすら練習した。

資金はなかったので、コーチはいない。

「1球1球に感覚に変化をつけて、
それが飛ぶ球にどんな変化を起こすか?」

を1人で探る。

練習が終われば、マクドナルドに行って
1ドルで無限におかわりできる
ソーダのカップをもらって
居座り練習の動画を分析した。

練習を積んで、トライアウトが頻繁に行われる秋には
全米いろんな都市に飛んでいってトライアウトを受けて回った。

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そのうち、テキサス州の独立リーグの
トライアウトに合格した。

これでまだ挑戦が続けられる。

しかし、就労ビザのない日本人を
チームが雇用するとなると、
手続き上のハードルが必要以上高くなってしまう。

これを嫌がられ、
このチームは別のキッカーと契約してしまった。

実力はある程度認められたが、
「外国人」というハンデを痛感した。

それを跳ね除けるような
圧倒的な実力が足りていなかったのだ。

■最後の挑戦

2014年の年末、
お金が引き出せない。

資金が尽きた事に気付いた。

1ヶ月後のトライアウトが
どうしても受けたかった為、

ロサンゼルスの法政大学OBOGの
コミュニティの先輩に頼み込んで、
居候をさせてもらう事に。

そして
最後のトライアウトをアリゾナで受験。
結果は、予選落ち。

最後の挑戦はあっけなく終わった。

同じように挑戦をしていた盟友、
櫻井と「日本に帰ったら、一緒にキックの
ノウハウを日本中に広める活動をしよう」
と約束して日本に帰った。

■プロキックコーチへ

挑戦が終わり日本に帰ってきた。
銀行口座を開けたら
134円しか入ってなかった。

「所持金134円でも俺、生きてる」
なぜかテンションが上がった。

アルバイトをしながら次の目標を探すことに。

程なくすると挑戦を終えた櫻井が帰国。

2015年、共同で
キッカーの育成団体
Japan Kicking Academyを立ち上げた。

・ノウハウを広めて日本のアメフトを面白くする事
・NFLプレイヤーを輩出する事
が目的だ。

2016年には
アメリカからコーチとNFLプレイヤーを招いて、
日本初のイベントを開催。参加者が100人集まった。

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そして、アメリカのコーチが主催する
イベントを手伝いに行った。

イベント期間中は、
現役のNFLプレイヤーやコーチたちを
トレーニング場・バー・クラブと、
どこまででも追いかけて
彼らと友達になり、
本物のノウハウとスピリットを吸収することに成功。

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(現Seattle Seahawks のJason Myers選手と)


現役時代、孤独に研究していたノウハウと
アメリカから持ち帰ったノウハウを
掛け合わせて日本中指導して回った。

赤字でも教えて欲しい人がいれば
どこへでも行った。

予想以上にJKAの指導のインパクトは強かった。

選手たちは、メキメキ上手くなり、
結果を残していく。

 選手の中からは
新たな2名のNFLチャレンジャーが誕生した。
(2名とも2021年カナダのプロリーグでプロデビュー)

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■独立

キックのコーチとして徐々に認知され始めたが、
キックの指導だけで生活はできなかった。

2018年・2019年には
特定のチームに所属して
戦略の指導をしたり、
選手のトレーニングの指導を
したりして給料を頂いていた。

アメフトも好き、
学生と接するのも好き。
「これが自分のやりたい事なんだ」
と思っていた。

いつしか稼ぎの少ない、
Japan Kicking Academyの活動は
後回しにするようになっていた。

そんな中、
ある日、所属チームの学生たちの前で
スピーチをする機会をもらった。

改めて自己紹介をしようと、
アメリカ挑戦の経緯を語るうちに
当時の想いがよみがえってきた、

カッコよーくスピーチを決めるはずだったが、
「棺桶の中でガッツポーズ取れるか?」
のくだりを話している頃には、

チームの全員がいる前で大号泣していた。

再び、言葉が僕に語りかけてきたからだ
「お前、今死んでも後悔はないか?」

絶対後悔する。


キックの指導を後回しにすることで
自分にしか助けられない人たちの成長が止まっている。

過去の自分と同じように人生をかけて、
NFLに挑戦している教え子たちに
十分なサポートができていない。

学生たちに偉そうに語っておきながら
自分の本音に嘘をついていたのは自分だった。

2020年になり、
コロナウィルスが猛威を奮い始めた頃だったが、
固定給を頂いていたチームを全てやめさせてもらい
完全フリーランスのキックコーチとして独立した。

(独立当時のFacebook投稿)

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独立後、コロナウィルスで練習ができない日本全国の選手のために
「無料ビデオレッスン」を実施。4日で177人のキッカーを指導した。

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■プロコーチへ(ライフコーチ)


これまでは、
キックコーチとして多くの選手の
進化と成長を創ってきました。

しかし、
アメフト界での知名度や実績が上がっていく中で
自分が過去の成功体験にしがみ付いて、
なんとなく満足しかけている自分に気づきました。

何者かになったつもりでいた。

ダサいなー自分。

今の自分を否定できた瞬間に、
未来の自分への期待が立ち上がりました。

自分はもっとできる。
自分ならもっと多くの人をレベルアップさせられる。

これからは、
ライフコーチとして、認知科学コーチングを提供していきます。

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mindset coaching schoolを卒業
コーチングに出会ったことで格闘技へのチャレンジが始まった
朝倉未来さん主催のブレイキングダウンのトーメントで準優勝
やりたい事なんでもやっていい。

特に、アスリートに伴走していきたいです。

「負けたら全てが否定される」
「負けたら意味がない」

そう言われたり、
自分で思ってしまっている選手の
人生そのものを良くしていきたい。

よく生きることが
パフォーマンスを上げることだと思うから。


そして、
どうしても勝ちたい試合に負けても
どうして決めたいキックを外しても
人生は続いていくから。


本音で最高の人生を生きられる
人が多くなるように
サポートしていきたいです。

元アスリートの方で、
現在、競技をやっていた時ほどの
情熱を持って打ち込めるものがない方。

トップアスリートの様に、自分を変化させて
人生をチャレンジで埋め尽くしたい方。

「ライフアスリート」

そんな人のために死ぬまでの時間を使っていきたいです。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

「棺桶でガッツポーズ取れる人生にしたい!」
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個別オリエンテーションをさせて頂きます。
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丸田喬仁





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