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これがnoteに投稿する201本目の記事。

約80年の人生の中で、200回以上何かひとつのことをを繰り返すことは稀かもしれない。特に仕事や日常生活内での行動以外となると、反復回数は著しく少なくなるように思う。何かを長期間継続するのは簡単ではないということ。

僕の場合はテニス、ランニング、noteの記事だけは今のところ継続出来ている。

noteだけに関して言えば、記事を書き続けることでフォロワーを増やそうとか、文章を書くことを仕事にする足がかりできるかも、なんて考えた事もあった。でも今はあまり考えずに書いている。ただ書きたいことを書く、という自由奔放な状態。そんなんだから肩の力を抜いて書けるとも言える。

だからといって読み手を一切気にしない文章を書きたいとは思わない。

文章は読み手がいてなんぼ。だから、僕は僕なりに記事を読む人のことを念頭に置いて書くようにはしている。とはいえ、褒められたような文章ではないという自覚はある。プロじゃないからそれはしょうがない。文章の推敲に何時間もかけているわけではないのだから、文章の質はそこそこのものになってしまう。

これがもし本を一冊書こう、なんてなると話は違ってくる。きっと僕は推敲に推敲を重ねると思うし、自分以外の人にも読んでもらって意見を仰ぐということも怠らないと思う。

ただ、noteの記事一本にそこまでの労力を注ぐことは現実的ではない。本当であれば投稿前の下書きを誰かに読んでもらいたいけれど、何となく恥ずかしいのもあってそこまで踏み込めない。きっと嫁に頼めば快く読んでくれると分かっていても。

自分が書いた文章を他人に読んでもらい意見してもらうという行為には、かなりの覚悟がいる。特に僕はこの行為をとても苦手としている。

修士論文を執筆していた時もそうだった。先生に下書き段階の論文を送ることが不安でしょうがない。あたかも文章の良し悪しで自分という人間を評価されてしまうような気持になってしまうから。もちろん、これが必要な工程であることは重々承知しているにも関わらず。

そして不安な気持ちでいるうちに、どんどん時間はどんどん過ぎていく。文章は一向にぼんやりとしたまま。にもかかわらず、机に座ればついついソーシャルメディアをスクロールしてしまう。

ライターズブロックなんてやつは、不安な気持ちになる行為を避けるための人間の本能らしい。いつだったかそんな論文を読んだ。

目の前にある「やらなければいけない事」からついつい逃げてしまう。人は本能的に不安の種を避けてしまおうとする。

だから、よっぽどのことでない限りは、考える前に行動に移してしまうのが最善なのだろう。今から行動しようとしている事について深く考えると、不安な気持ちが頭の中で膨張してしまう。結果、行動することをためらってしまう。

そうならないためにも、物事なんでも見るまえに跳べ。特にゼロをイチにしようとしている時のような、何かを創り出そうとする時は、深く考えずに手を動かすほうが良いんだと思う。

と、ここまで書いてきたけれど、実は自分が一番、動かざること山のフドウな人間だったりする。まあ、動けない。不安ばっかりが先行しちゃって手なんてピクリとも動かない時ばかり。

見るまえに跳べる人間を目標として、これからもnoteを継続していこうと思います。

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