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やりたい仕事に出会えない!高い抽象度で職業を捉えてみる

ニュースを見て知ったのだが、今週内定式が各社で行われたそうだ。人手不足と言われる中で確保した貴重な人材が、来春無事に入社してくれるようにと各社様々に工夫を凝らしたらしい。

内定式とそれに付随する催しは、入社予定の学生と企業がお互いをより良く知る機会になったり、入社前から学生同士で人間関係を築けたりするのが利点なのだろう。

まだ学生なのにこうして企業の行事に参加させられるのは、入社前から束縛されているようで、個人的には少し引っかかる。

けれども、企業側に立って考えれば、せっかく確保した人材が入社後に期待通りのパフォーマンスを発揮してくれるようにといろいろ知恵を絞って取り組みを行っているのだと理解できる。

一方、学生側は入社後にどんな仕事に就けるのか、または、将来どんな仕事の広がりが期待できるのかなど、現時点で不安に思っていることを解消したいと考えて参加しているのだろう。

要するに、企業と学生の期待のすり合わせの場なのだ。

けれども、いくら今の時点で期待値のすり合わせをしても、結局のところ、入社して数年も経つとミスマッチはどうしても顕在化しまう。

元々会社というのは、社員がやりたい仕事と会社が与える仕事がピタッと合致することは少ないのだから仕方ない。

仕事とそれに対する報酬でさえバランスが悪いことが多いのに、ましてや、社員が「やりたい仕事」と会社として「やらなければならない仕事」が過不足なくバランスするというのは相当に難しい。

現実的には難しいのだけれども、一人の社員としては、得意な事で、かつ、心からやりたいと思う仕事が職業になるのがいい。会社から見ても、そういう人がやってくれる方が効率がよく、アウトプットの質も高いと期待できる。

何とかこの問題を解決する方法はないものだろうか?

具体的な解決策をここでご紹介できればいいのだが、会社それぞれに事業内容も状況もまちまちなので、これをやればすべて解決するといった魔法の方法を持ち合わせてはいない。

けれど、抽象度という概念を使って考えてみれば、解決策をそれぞれで導き出す事ができるかも知れない。

抽象度というのは、分かりやすく言うと「視点の高さ」のことだ。

抽象度が高いは、視点が高い。抽象度が低いは、視点が低い。または抽象度が高いは抽象的で、低いは具体的と言ってもいい。

それが仕事の割り振りとどういう関係があるのだろうか。

「やりたい仕事」と言った時に、この言葉の意味を低い抽象度で捉えると、「経理の仕事は嫌だ。数字ばかりを扱うなんて」とか「営業で顧客といつも接点を持てる仕事がいい」などとなり、好き嫌いのポイントが具体的過ぎて、そのレベルで全社員の要望を調整しようとしても、まず無理だろう。

そこで、「私の〇〇な能力を活かして、この会社を発展させ、社会がXXになるように貢献する」というようなちょっと抽象的な、視点の高い内容を本人のやりたいこととして設定する。

具体的に手を動かすレベルでは、できればやりたくないと思ってしまいそうな事が仕事の一部としてあったとしても、抽象度の高いレベルで考えれば、それが自分のやりたいことの実現に役立つと理解出来て、そうした細々した日々の業務や雑務もやりたいことの範疇に収まってくるのではないか?

そんな風に折り合いをつけていく。

そういう思考ができるようになるためには、一人ひとりがある程度抽象度の高いゴールを持つことが必要だ。

もし高い抽象度で考えても、会社が与える仕事と自分のやりたい仕事が折り合わないなら、もう一つの視点も検討してみるといい。

それは、会社の仕事を、自分が楽しく生きていく上で必要なあらゆる活動のファイナンスを賄う手段として捉えるのだ。

普通に考えれば、会社の仕事は職業のゴールに相当するだろう。

でも、自分のやりたい仕事、得意な仕事がどの抽象度で考えても、今の仕事と一致点が見つけられない時、この仕事はお金を稼ぐ手段と割り切ってみる。ファイナンスのゴールとして考えてみる。

今は会社が副業を推奨する時代なので、本来、自分が望む職業は別の場所で探すことも出来るだろう。自分が心からやりたくて、得意なことで、社会に何らかの機能を提供できる仕事を探すのだ。

その時、ファイナンスについては既に今の仕事で賄えているので、新しい職業で得られる報酬の水準はあまり気にしなくても良いかも知れない。もし、新しい職業で十分ファイナンスが賄えるのでれば、今の仕事は辞めればよい。

そのくらいの気持ちで、新しい仕事を職業として探せばきっと心から望む職業が見つかると思う。

いずれにしても、人生の中で「やりたいこと」をやっている感覚がとても重要だ。やりたいことをやっている時に、最高のパフォーマンスが発揮できるのだから。

そして同時に、社会の中で生きているのだから、人の役にたつ、社会に何らかの機能を提供することで得られる幸福も感じられるのがよいと思う。

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