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この世界の可能性にアクセスする

普段生活する中で、私たちはいろいろな場所に身を置きます。

家、オフィス、学校、お店、駅、道路など。

それぞれの場所にたくさんのモノが置かれています。普通はそのモノに対して恐怖や危険を感じたり、違和感を感じたりすることはありません。もともと居心地が良い空間に作り上げているのですから当然です。

そして、それぞれの空間にあるモノは大体何なのかを知っているでしょう。過去に見たり触ったりしたことがあり、素材や構造についてもある程度の知識があると思います。

ただし、モノと居る時にそれを意識することはほとんどないでしょう。そもそもそこにモノが有ることすら意識していないと思います。そこにあるモノが風景の中に溶け込んで、その時感じた世界の一部を構成しています。


公園の木

でも知っているはずのモノについて、ある時、新しい知識を得た途端にそのモノに対する認識がガラッと変わってしまうことがあります。そして、モノに対する認識が変われば、そのモノがある場所の意味も変わってきます。

たとえば、まったく架空の話ですが、自宅近くの公園に木が生えているとします。木の種類や名前は分かりません。春になれば青々とした葉が茂り可愛らしい花も咲いて、夏が過ぎ、秋にはすっかり葉が落ちて枝だけになってしまいます。言ってみれば「普通の木」です。でも実はその木は樹皮を加工すればとても健康に良い漢方薬になり、しかもとても高価であることを、ある日たまたま知ったとします。

するとその日を境に、その木を見た時に認識する世界は普通の木がある普通の公園だったのが、とても健康に役立つ高価な薬の生産地に変わります(あくまで架空の話です)。さらに、その木はどんな人と関わりを持つのかと想像してみると、最初は公園の中の木の周りで賑やかに遊ぶ小学生やよちよち歩きの小さな子どもとお母さんが思い浮かびます。それが、その漢方薬で元気になるお金持ちの高齢者たちに変わったりします。

随分と見える景色が変わると思うのですが、その感じが伝わりましたか?

信念は変えられる

さらに、認識が変わると見える世界が変わるのは物理的なモノだけではなく、習慣や常識、「〇〇とはこういうものだ」という信念も同じです。

私たちは子どもの頃から、大人に教わった事やメディアから発信された情報をもとにたくさん学びながら成長します。そして、学んだ事は、それを受け入れることによってあなたの信念になります。信念が習慣や常識を作っていくと言っていいでしょう。

ところが、その信念というのもモノと同じで、固定的で確固としたものではなく、ひどく流動的です。

特に現代は科学の発展が著しく、新しいテクノロジーがすごいスピードで世の中を変えていく時代です。一昔前は正しいと思われていた事が、まったく間違っていたという事も頻繁に起こっています。その結果、これまで大事にして来た信念も変わって行かざるを得ません。

少し違った言い方をすれば、この複雑な世界をより広くより鮮明に認識させてくれる進歩した科学のおかげで、これまでの、とても狭く浅い認識から作られた信念がバージョンアップされつつあるということです。そして、一つひとつの信念が変われば、全体として見える世界が大きく変わってしまうのは当然のことでしょう。

新しい知識を受け入れられるか?

ただし、新しい知識によって信念を変えるには、まずその知識を自分が受け入れなければなりません。科学の進歩で新しい事実が出て来ても、自分が受け入れなければ何も内面の変化は起きません。

もともと私たちは、大人になるまでに身についた「見方」を持ち続けたいのです。人は今いる居心地のよい現状に留まりたいという無意識の強い力が働くのだから仕方がありません。

だから、世界がどんなに変化していても、自動的に「見方」を変えて世界を再認識することは難しいのです。

では、どうすれば良いのでしょうか?

視点を上げてみる

今の「見方」から離れるには、一度、視点を上げてみるのが良いでしょう。要するに、抽象度を上げるのです。

例えば、先ほどの公園の木の例で説明してみます。最初は「普通の木」でした。でも、普通の木であっても、木陰を作って強い日差しから守ってくれるとか、木を見ていると心が和むとか、二酸化炭素を吸って酸素を出すとか、すでに認識していた機能というのがあったわけです。そこで抽象度を上げて、木というのは健康に対して有益な機能を提供するものと考えてみます。すると、そこからの連想で「もしかしたら、薬にならないか?」というアイディアが出てくるかも知れません。もしくは、すでに他の植物が漢方薬になっているなら、「この木も一種の植物だから(抽象度アップ)、漢方薬になるかも知れない」と思考できるでしょう。たぶん、歴史上初めて樹木が漢方薬になることを発見した人も、特定の木が漢方薬になることを見つけた人も、同じように抽象度を上げた思考をしていたのだと思います。

抽象度を上げるのは、時にはかなり頭を使いますが、私たちは前頭前野の発達した人類ですので、訓練すればどんどん上手に出来るようになります。

可能性にアクセスしよう!

要するに抽象度を上げて考えると、既知のものであっても別の側面が見えてくる事があるのです。それはすなわち、可能性が広がるという事です。

今年もまもなく終わり、新しい年を迎えますが、ぜひ、身の回りにある可能性を探索してみてください。きっと来年は、思いがけない可能性に出会えるかも知れませんよ。

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