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常にベストな選択でハッピーな人生を


常にベストな選択をし続ける

どうせ生きるなら幸せに生きていきたいと誰もが思うでしょう。

でも、ただ何もせず「幸せである」という状態が続くことはなく、毎日たくさんの出来事や経験があって、それらに対して自分で都度選択をしていかなければなりません。その選択の結果は自分にとってポジティブに働くこともあれば、ネガティブに働くこともあります。

やってみなければ結果は分からないけれど、いつも「これがベストな選択だ」と思って選択し、結果を受け入れ、次の瞬間にはまたベストな選択をしていくような人生なら、とても前向きな後悔のない人生と言えるのではないでしょうか?

意に反した選択の結果

けれども、世の中には自らの意に反して、他人の意向を強く反映した選択をし続けざるを得なくて、人生に大きなストレスを感じている人が大勢います。他人の意向に合わせた結果がプラスになれば良いですが、マイナスとなった時には相当な不満が残ります。「私に任せておいてくれれば、こんなことにならなかったのに」と後悔するのです。

このような事は家庭でもよく起こります。

子どもの教育や進学については、子どもの意向よりも親の意向の方が強く働くので、子どもにとっては「ベストな選択」をし続けているという実感が湧きにくくなりがちです。まだ世の中の事がよく分かっていない子どもに選択させるより、社会人歴の長い親が代わりに選択するというのは100%ダメだとは言い切れません。けれど、子どもが自ら「ベストな選択」をするという機会を奪っていることには変わりないので、選択への親の関与の度合いについては十分注意する必要があると思います。

一方、会社などの組織の中では、仕事に関する選択は自分一人の意向だけで決められないことが多く、自分の考えや思いは脇に置いて妥協していることがたくさんあります。決定した選択が自分の考えや思いと大きく乖離していると、それが仕事上の悩みになったり、さらにそのような事がいくつも重なると大きなストレスになります。

誰もがベストだと思える選択

でも、関係者の誰もがベストだと思えるような選択をし続ける組織は存在できないのでしょうか?もし、そのような組織があるのなら、きっと圧倒的な成果を上げられるはずです。

こんな事を言うと、ほとんどの組織人は絵空事だと笑うでしょう。でもそれは、今の日本の会社などの組織で働く人が持つ固定観念です。もしかしたら、そう言う固定観念が日本の停滞の一因になっているのかも知れません。

実際にどこまでそのような組織になり切れるのかは分かりませんが、全ての関係者がベストだと思える選択を追求する組織が増えてくれば、日本の状況はきっと好転するでしょう。

「ベスト」の基準

ところで、「ベストな選択」という時、何を基準にしてベストだというのでしょうか?

「ベスト」というのは、今考えうる限りの中で未来に最もよい結果や成果を期待できる選択という意味です。国防など国が関わるといくらでもお金をかけれる場合がありますが、通常のビジネスでは費用対効果も重視されると思います。

そして、何に対する良し悪しで選択をベストだと判断するのかと言うと、自分のゴールや組織のゴールに対して、その達成に近づいて行けそうかどうかが判断の基準になります。

要するに、ゴールに一番近づいて行けると予想される選択がベストだということです。

どんなに些細なことであっても、選択からは逃れられません。差し迫っていなければ、選択を先延ばしにすることはできます。それでもいつかは選択しなければなりません。そして、一度選択すれば、その結果からは逃れられません。

けれどもゴールをしっかりと持っていれば、選択を迫られた際にはゴールを基準に瞬時に判断し、ブレのない適切な選択をすることができるのだと思います。

「ベストな選択」のためのゴール設定

「ベストな選択」をするためのゴールについて、ひとつ大事なポイントがあります。

それは、ゴールはある程度抽象度が高い方が良いということです。(抽象度については、以下の記事を参照してみてください。)

ゴールの抽象度がある程度高ければ、つまらないことで選択を誤ることが少なくなります。例えば、会社の中でただ出世したいという抽象度の低いゴールを持つ人は、部下の不祥事は隠したいという誘惑にかられるでしょうし、自部署の業績をよく見せるために利益水増しの誘惑にも負けるかも知れません。でも例えば、「食料を安価に冷蔵冷凍保存する技術を開発して世界の飢餓を10分の1にする」といった抽象度の高いゴールを持つ人なら、(全くないとは言いませんが)そんな不祥事を起こすような状況には陥らないでしょう。

また、組織については、組織のゴールの抽象度が高ければ、そこで働く人たちのゴールを包摂できる可能性が高いので、組織と個人のゴールが矛盾することがなくなります。

先ほどの例で挙げた個人のゴールを持つ人の勤め先が「自社技術で飢餓を10分の1にする」というゴールを持つのであれば、組織と個人のゴールはピッタリ方向性が一致しています。もしくは、それほど直接的ではなくても、組織のゴールに共感し、その達成に向けて活動する会社の一員として、与えられた業務に対し期待された水準以上の成果を出すことによって貢献するというゴールなら、組織と個人のゴールは方向性が一致していると言えるでしょう。

逆に会社のゴールがただより多くの利益を得ることという抽象度の低いものであると、利益を得るためなら何をやってもいいとなりかねず、長時間残業など社員を酷使する会社運営や、発注先への過度な値引きが温存されるなどの問題が起きやすくなります。すると、そこで働く社員一人ひとりのゴールとは到底方向性が合いませんから、社員にとっては日々「ベストな選択」ができないことになってしまいます。

このようにゴールの抽象度が低いと、自分以外の人との折り合いがつけにくいのです。

だから、組織も個人も、ゴールは自分以外のよりたくさんの人も含めて幸せになるような抽象度の高いものを設定するのがよいのです。

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