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サイコロと可能世界

だれでも知っているサイコロ。そのサイコロを使って、少しあなたの未来について考えてみましょう。

いまから普通にサイコロを振ってみます。まず、サイコロを手に取って、1から6までのどの目が出るのかを考えます。可能性のある目は6通り、その中で自分が出したい目を決めます。そして、実際にサイコロを振ると出目が一つに決まります。

たったこれだけのことですが、何が言いたいかというと、サイコロを振る前にはこれから起こる可能世界は複数あったということです。もちろん、振る前にはどの目が出るのかは分かりません。でもとにかく複数の可能世界があって、サイコロを振るという行動を起こせば出目という形で未来が決まるということです。

人生もそれに似ているところがあります。

人生はただ生きているだけでは(もちろん、ただ生きるのも大変なことですが)、期待するモノは何も得られません。何か期待するモノに向かって行動して初めて近づいていくことができ、運が良ければそれを得られるわけです。


あなたの人生の可能世界

でも、人生はサイコロほどランダムではないとも思います。それはつまりこういうことです。

サイコロを振る前に出目を予想したように、自分の未来を想像してみましょう。あまり事前にあれこれ考えず、パッと思い浮かべてみましょう。すると、これまでの自分を起点にした推論で簡単に出て来そうな「ありきたりの未来」が思い浮かぶのではないかと思います。

では次に、10分程度リラックスして自分のできること、できそうなこと、やりたいこと、やってみたいこと、やりたくないけど出来ることなどの可能性を探索してみて下さい。その後、一つひとつの可能性について、自分の未来がどんな風に展開して行きそうかを想像してみましょう。先ほどとは違って、ありきたりではない可能世界をいくつか想像できたでしょうか?

それでも、まだまだ他の可能世界があるはずです。実際にはもっと幅広く無数の選択肢があって、さらにどの選択肢を進んでいっても、当初見込んでいたものとは多少ずれた世界が展開して行くかも知れませんが、それでも以前の自分なら想像もできないような所まで行ける可能性はいくらでもあるわけです。でも、その中で実際に自分に起こり得る可能世界だと思えるものはほんの僅かしかありません。

簡単に可能世界を思いつかない理由

でも、どうして最初からたくさんの可能世界を想像することが出来なかったり、選択肢が浮かんでも自分に起こり得る可能世界だと思えなかったりするのでしょうか?

ひとつには、脳にはRAS(Reticular Activating System)という情報フィルターが備わっていて、その時に重要だと思うものしか認識には上がらないからです。可能世界というのは、今の自分にとっては掴みどころのないフワフワした世界であって、何ら重要性を感じないのが普通です。

たとえ世の中には多種多様な個性的な人たちがそれぞれの人生を満喫しているという事実があって、客観的に見れば自分にもそういう人生を送れる可能性があったとしても、そもそもそういう人生に興味がなく、自分にとって重要性を全く感じず、共通点も感じず、それゆえ全くの他人事になっていると、自分の人生の選択肢として意識に上がってこないのです。

もう一つ、こんな理由もあり得ます。

本人は、心の奥底では「そんな人生を送ってみたい」という思いがあっても、簡単にはそうさせないような情報が心に書き込まれていて、それが自己抑制機能として働いている可能性があります。

人は生まれてから大人に成長する過程で、さらに大人になってからも、周囲の大人やメディアから「あなたはこういう人間だ」とか「人としてこういう風にあるべき」といった情報を与えられ、それを受け入れることによって自己イメージや物事に対する捉え方や信念を形作っていきます。そして、それらが無意識にも浸透して、日常の無意識の判断や行動に影響を与えています。

だから、人生を大きく左右する職業について言えば、たとえば安心して生きて行くには、大きな会社に入って安定した収入を得ることが最善の方法だという信念を受け入れていると、当然、そういう会社に就職しやすい大学に入学することを考え、大学では入社試験に有利になるようなクラブ活動や社会貢献活動などもして、万全な状態で入社試験に臨むなどということになります。本人がほんとうに学びたかったことを大学で学び、やりたかったことをやって大学生活を過ごすのとは随分と違います。

自分自身がほんとうにそれが最善の方法だと納得しているのなら良いのですが、ほぼ間違いなくその信念は他人から与えられたものですし、親や友人、周囲の人たちが同意してくれそうな選択を無意識にしているといえます。

そして、何となく本心からは喜べないような、すっきりしない感覚はあるものの、一応自分が起源だと思っている信念と周囲の人からの前向きな反応に照らし合わせばリスクの少ない最善の選択だと思えるので、「これでいいのだ!」と納得して来たわけです。

こんなちょっと窮屈な感じでも、2000年代に入る頃までは誤魔化しながらやって来られました。

自分を誤魔化しきれないSNS全盛時代

ところが、今はスマホが登場してSNS全盛の時代。かなり振り切ってぶっ飛んだ人生を歩んでいるたくさんの人たちをSNS上で見かけることも多くなり、もはやそういう人たちもあまり特殊だとも思わなくなって来ました。

すると、おとなしく平凡に、常識的に生きようとしていた人も、時たまふと気づきます。

自分にも、もっと他の人生があるんじゃないか?と。

これまで蓋をして来た、本来のやりたいと思う気持ちが表に出てこようとしているかのようです。もともと可能世界は存在していたので、単に選択の問題だったのです。

自分の思い込みで、もしくは自分の信念にだまされて、本心からすると不本意な可能世界をわざわざ選んでいただけです。

あなたの選ぶ可能世界

ところで、サイコロ1つでは可能世界は6通りありました。サイコロを2つにすると36通りになります。

人生は自分一人だけで成り立つものではなく、出会った人との関わり合いの中でどんどん発展していきます。もし、自分の人生に関わる人たちすべての可能世界を掛け算すると無限であると言えそうです。

その時、あなたはどの可能世界を選ぶのでしょうか?

自分の心が動くもの。
心からやりたいと思うもの。
誰に止められてもやりたいと思うもの。

他人に押し付けられた人生ではなく、自分の意志、自由な意志で人生を選んでいく。

誰にも影響されず、誰の目も気にせず、自分がよい、やりたいと思うものを選んでいく。

そんな風に自分の人生の操縦桿を握れば、自分の選択に対しては100%の責任を持って、しかも自信に満ちてすがすがしい気持ちで毎日を過ごしていけるでしょう。


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