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同じ環境に長く身を置くと,その文化があたかも世界であるかのように錯覚し,気が付くとそれが前提として価値観が染まっていく。



知っていることよりも,知らないことの方がずっと多い。
破滅的に多い。

生涯かけてもすべてを知ることができないのは明らかで,いやそれはもう途方もない分量なのだけれど,実は知らないことの方が多いということは,分量にしてその生涯のすべての時間を知ることに努めたとしても,てんで足らないという意味ではない。


たとえば世界のすべてを知ったとしても,すべてを知ったことで,あらたに知らないことがその何倍も生まれてしまうのではないだろうか。

それは世界のすべてを知ったことを意味しないし,事象の表裏は,あるいは概念でしかないのかもしれないとすれば,分量の問題ではなく,原理的にすべてを知ることはできないという意味なのかもしれない。



役職ついた偉そうな GGI や BBA が,自分たちのメンツを最優先させて仕事をするのは,その世界に長く身を置きすぎて,自分たちが偏った知識と価値観で生きているのを忘れてしまったからなのだなぁと最近よく思う。


果たしてそれが悪だと言い切れなくなってきたことが,僕にとって良いことなのか悪いことなのか。




純粋さは時に柔軟性を失い,わかりやすい正義の型にはまりやすい。

けれども,本来,白か黒の二元論で語れるものなんてほとんどなくって,グラデーションがかったその中間の微妙な色を探り探り生きていくのが,ちょうどいい塩梅なのだから,そういうことをわかってしまった今としては ― GGI や BBA の言い分を理解できるようになってしまった今としては ―,それをふまえたうえで,知らないことの方がはるかにたくさんあることをあらためて自分に言い聞かせようかなと,時々自分を戒めるわけ。


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