ジブン軸を持つということ
判断基準を自分の中に求めるようになると,他者軸で生きることの無益さが身に染みて分かります。
ジブン軸を持つということは,ジブンの中にある大切なことを軸に物事を判断することです。人生における原則を念頭に置いて,大切な価値観を基軸とするのです。
でも,普段から他者の評価を選択行動の軸にしているひとにとっては,これを実践することはなかなか難しいものです。
大きなパラダイムの転換にさらされたり,外圧によってそうせざるを得なくなったりしない限り,それまでの行動軸を急に変えるなんてことは,不安以外の何物でもありませんから。
ひとつ簡単な実践方法があります。
実際に僕が最初に始めたことです。
それは嫌われる覚悟を持つこと。
みんなに嫌われるようなことでも正しいことなら勇気を持ってするとか,自分が信じた道ならたとえ嫌われてでも突き進めとか,ものすごく強い意志を持つといった教訓めいたことではなくって,シンプルに「嫌われても良い」という覚悟を持つことを言っています。
たとえば,自分が大好きなものを好きだと言葉にしたとして,それで嫌われるんなら仕方ないよねと思えること。
嫌われたとしても,まぁ好きなものは好きなんだよね,と思えること。
それでもいいや,かまわないと思えること。
そういう覚悟ができることを言っています。
嫌われるから,好きなものを好きだと言うのを止めようとか,嫌われそうだからみんなに好かれそうなものを好きだと言っておこうとか,そういうことがいかに自分を大切にしていないのかということに気が付いて欲しいということでもあります。
無意識に,他者軸で判断してしまうこともたくさんあります。
無意識に,場の空気を読んだり,何かに忖度したりして,他者の意見を優先させてしまうこともあります。
もちろん他者の意見を優先させる方がよいことだってあるかもしれません。
自分の意見を言ったうえで,他との調和を保つことも必要かもしれません。自分の意見をもつことは,同時にその責任を持たなくてはなりませんから,自身の責任において,その意見を大切にする必要があります。
そのようば場面であったとしても,やはりジブン軸に照らして行動や反応を選択すること。考えや想いを伝えなくては,俎上にも上がりませんし,それが原因で全体がマイナスになる可能性もあります。
結果として自分の意見がそのまま通らなくても,たとえば調和させたり,自分と相手の意見を総合した第三案が生まれたり,あるいは今回は相手に譲るなど一見して遠慮して見えるような行為を選んだとしても,そうすることが最善であるとジブン軸を基準に選ぶのなら,同じ行為だとしてもその意味はまったく違うものになります。
判断基準は常に自分の中にあります。
たとえそれを見ないふりをしても,そのほうが正しいのだと自分に言い聞かせたとしても,もうひとりの自分はその度に傷ついています。
自分を大切に生きること。
他者の書いた脚本どおりに演じるのではなく,自分の大切なものを軸として,人生の原則に照らし,最善の選択となるようジブン軸をしっかりと持っていたいものです。
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