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競争原理から,次の一歩へ

競争原理への逆張り。

互いを切磋琢磨するのに,競争原理は不要だ。


他者は仲間だと考えることは,お互い譲り合って,空気を読み合って,適度に付き合って,適度に仲良くやって,ってことではなくて,互いに助けあって,共に高みへ登っていくために協働することだから,彼らの間を行き来する言葉は,耳障りのいいものだけじゃなくて,あたりまえに厳しいフィードバックもあり,それぞれの強みを活かした意見のぶつかり合いもある。

相互依存。

ひとはひとりひとりではそのチカラに限度があるけれど,ひとが集まってチームになればその足し算が2倍にも3倍にもなる!という話はよく聞く話だ。

オーケストラもアイドルグループも,集まることで,ひとりではなし得ない音を奏でる。

サッカーもバスケットボールもそれぞれの個性を活かして,ひとりではできないプレイをチームで生み出し,さらにチームがまた個性を活かすことにも繋がる。

これがシナジー効果。



個人プレイは果たして競争原理でできているのか,というと低次元の個人プレイはたぶんそう。

自我だけで,我先に,俺が俺が,的なこと。
その場合,他者と比べての俺があって,俺がどう在るかではなく他者よりも俺が優れている,あるいは優れた成果をあげたから俺はスゴイ,と。


高次元の個人プレイは,他者へ依存することのない自立がまずある。

そのうえで,ひとりでは解決できない社会の難題,これまで見たことがない大きな課題,そういうものを解決していくためにチカラを合わせる。

個人のチカラは均一ではないし,得手不得手もそれぞれ異なる。それどころか考え方や物事の見方,視点,あらゆるものが異なるのだから,みんながみんな同率に貢献できるかどうかはわからないけれど,それは実は些末なことだ。それぞれの個性を活かして,できることを,できるかぎりのことでチカラを発揮すればいい。

それで十分にシナジーに参加できる。


それぞれが自立しているから,全体の底上げを阻害するようなフリーライダーはいない。一方的なギバーもテイカーもいない。自分のチカラを十分に発揮してコミュニティに貢献しようとするし,コミュニティもまた自分によいフィードバックをくれる。

高次元の個人プレイは,高次元のチームプレイと高いレベルでマッチングがとれるってこと。矛盾してそうで,矛盾してない。個人プレイとチームプレイは競合しないってこと。


競争原理は他者軸で成否を考えるから,進歩は限定的。

それでもゼロから始まったそのときは,競争原理が強く働くし,とりあえず動き出すことができる点で必要な思考でもある。今はどっちかというと,個性が認められ,多様性あふれる社会になりつつあるのだから,この言わば成熟しつつある社会においては,競争原理は少しずつ不要になっていって,自立の先にある共存へ進んでいるタイミングなのだろうと思っている。

自律分散型の組織に求められるのは自立型人材。

それぞれの個性を,それぞれの強みを活かして,組織,社会への貢献を考えたい。ひとりでは決して立ち向かえない大きな課題へのチャレンジはそうして初めて成る。

個性を磨け。



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