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理想の上司像とは

どんな上司が「良い上司」なのかという議論は、正解はなく、これからもきっと尽きることがないのでしょうけれど、自分にとっていちばん良い上司の形は見えていた方が良いと思っています。

少なくとも理想の上司ってどんなだろうか?と考えてみると、案外「自分の方向性」が見えてきたりはします。

目指すべき理想像と、そう在りたいという気持ちを絶やさずに持つことができれば自ずと道は開けるものです。

僕にとっての理想の上司は、やはり「裁量を与えてくれるひと」でしょうか。

僕は自由のない仕事はできる限りやりたくないと思っていて、一方で組織で仕事をしていると当たり前にそういう仕事はありますから、決して逃れることはできないわけなのですが、そういう仕事は可能な限り効率的にスピーディーに「杓子定規」にやってしまいたいと思っています。

そうして自由で裁量の大きな仕事にリソースをたくさん割くのです。


杓子定規に仕事をこなすというと、ちょっとなんというか柔軟性に欠けるというか、もう少し「遊び」を設けた方がよいのでは?みたいな印象を受けるかもしれません。

けれども誰がやっても似たような結末に落ち着くような仕事に、大きなエネルギーを割いてストレスを増やすよりは、淡々とこなす方が案外いろんな意味でうまくいくものです。


それだけではありません。
もう少し難しい仕事でもいろいろ考えたり忖度したり、気を遣ったりしながらやるよりも淡々とやったほうが良い仕事はあります。

クライエントに対して厳しい説明をしなくてはいけないこととか、部下に対してネガティブなフィードバックを与えなくてはいけないこととか、あんまりやりたくない仕事です。

こういう仕事こそ、しかし曖昧にぼやかしてはいけない(つまり自分の裁量で”やらない”を選択できない)ことが多いのです。

上司としてもストレスを受けながら、でもやめるわけにはいかないような仕事は効率的に淡々と、粛々と行うほうが良いのかなと思うわけです。



そんなふうに、自由度は少ないし緊急性も高いような仕事は淡々とこなして時間をかけないという手法を受け容れてくれて、他方で大きな裁量を与えて欲しいというワガママをきいてくれる上司が僕にとっては最高の上司ということですね。



んー…。
そんなひといるかな…。


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