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神様が帰った日

「強化責任者となるフットボールダイレクターの鈴木満が、2021シーズンをもって退任することとなりましたので、お知らせいたします」


鹿島アントラーズの公式ツイッターから上記の発表があり、「まさか」という思いと同時に「こういう事だったのか」という深い深い感慨に襲われた。
鈴木満さんの退任。
それは鹿島アントラーズというチームにとって、
いやJリーグにとっても、
いやいや日本サッカーにとってもひとつの時代の終焉を意味する出来事だ。


思えば、ここに至るまで、いくつもの伏線があった。
クラブのレジェンドいやそれ以上にクラブのアイコンだったジーコの退任。
ジーコは鹿島の選手、鹿島の指導者、日本代表監督、と様々な役割を果たしてブラジルに帰国した。

ザーゴ監督の後を受けてよくチームを立て直し4位でフィニッシュさせたクラブOB相馬直樹監督の退任

最も驚いたのは、ブラジルサッカーを手本と仰いできたアントラーズがヨーロッパから新監督(レネ・バイラー監督スイス人)を招聘すると聞いた時だ。

一体、鹿島に何が起きているのか?
それが、一貫してクラブ強化に携わってきた、常勝鹿島を作り上げた鈴木満氏の退任という形になってはっきりと理解することができた。

鹿島は30年に及んだクラブ史第1章に幕を引き、クラブとして第2章を歩み始めることを決意したのだ。



1993年のJリーグ開幕に向けて、当時日本リーグ2部のチームだった住友金属は、起死回生の一手を打つ。それが「白いペレ」と呼ばれていたサッカーの神様ジーコの招聘である。
現役を引退しブラジルでスポーツ大臣を務めていたジーコは、
「新しいプロサッカーリーグの創設を通じたサッカー文化の定着」
に力を貸してくれないかという住友金属の熱い誘いに応じる決意を固めた。
1991年の事である。
スポーツ大臣の地位を投げ打って、日本で現役復帰を果たしたのだ。

ジーコを招いてチーム強化を図っていた住友金属は後にオリジナル10と呼ばれる開幕時加盟10チーム入りを申請するが、川淵三郎チェアマンから
「99.9999%ない」
と引導を渡されてしまう。しかし
「残りの0.0001%はどうすればいいのでしょう?」
と食い下がり、
「屋根付きの15,000人収容のスタジアムでもあれば別だが」
という言葉を引き出す。92年の事である。

スタジアムの建設は、家を立てるのとは訳が違う。通常1年ではどうにもならない。しかし建設主体となった茨城県と住友金属はその不可能をやってのける。

こうして住友金属は鹿島アントラーズとして、リーグ10番目のチームとして、Jリーグ開幕の日を迎えた。93年5月16日の事である。
巷間「ジーコVSリネカー」と呼ばれた対名古屋グランパス戦だ。
鹿島は、ジーコのJリーグ初ハットトリックという記録を作りながら5−0という大差で勝利を飾った。その勢いのままファーストステージで優勝を成し遂げてしまう。
 地域密着というJリーグの理念を最もよく体現したチームとして、鹿島アントラーズは、リーグを牽引するチームにのし上がっていった。この頃サテライトチームの監督を務めていたのが鈴木満である。

鈴木は1996年に強化育成課長となる。チームが初めて年間優勝を果たしたのがこの年である。以後、20冠という他の追随を許さない国内最多の優勝を、強化担当として実現して来たのだ。
まさに、常勝鹿島を作り上げたその人なのである。


クラブレジェンドの内田篤人は、鈴木満の偉業について
「アントラーズというのは満(まん)さんのチームなんですよ。満さんFC」
と語っている。


鹿島アントラーズは国内で最初に20冠に到達したチームである。
J1リーグ優勝8回
ナビスコ(現ルヴァン)カップ優勝6回
天皇杯優勝5回
アジアチャンピオンズリーグ優勝1回の計20冠である。

2番目に優勝回数が多いチームは、ガンバ大阪で9冠(リーグ2回、カップ4回、天皇杯2回、ACL1回)と圧倒的な差をつけている。

J1のリーグ優勝だけを見ても、鹿島の8回はダントツで、2位は横浜Fマリノスと川崎フロンターレの4回。2位の2チーム合計分優勝しているという強さだ。

近年抜きん出た強さを見せているのが、ここ5年で4回リーグ優勝している川崎フロンターレである(鬼木監督は鹿島OBである!)。
フロンターレは、かつてはシルバーコレクターと呼ばれ、準優勝の多いチームだった。鹿島が立ちはだかったことも幾度もあった。
しかし、今やその立場は逆転。鹿島がフロンターレの後塵を拝する格好となっている。

リーグ優勝も、8回のうち7回は1993年〜2009年までのに獲得しており、2010年〜2021年までの12シーズンでは2016年に1回しか制していない。近年はACLやカップ戦の優勝はあるものの、かつての憎らしいほどの強さは鳴りを潜めている。

この傾向について鹿島アントラーズOB岩政大樹は、
世界のサッカーは「美しいサッカー」か「勝てるサッカー」かという二元論で語られてきた。しかし、再現性があって「美しくて勝てるサッカー」をするクラブが出て来た。
鹿島は優勝回数が示すように「勝てるサッカー」をするチームだった。
しかし、川崎フロンターレや横浜Fマリノスは「美しくて勝てるサッカー」を実現できるようになって来た。そうなると「勝てるサッカー」だけでは優勝できなくなって来たことが、今起きているパラダイムシフトだ。
と音声メディアVoicyの「岩政サッカー「タンキュー」記」で語っている。

30年の歴史を刻んだことで「Jリーグ最強チームはどれだ?」といったうんちく企画がテレビや雑誌で話題になる。
しかし、そこに最多優勝を誇るアントラーズが選ばれることはない。
名前が上がるチームはこんなチームだ。

Jリーグ開幕から数年、カズやラモスら綺羅星の如く代表選手がいたヴェルディ

WMシステムをひっさげ、名波、藤田、福西ら華麗なる中盤を擁し、ゴン中山が点を取りまくったジュビロ磐田

長い雌伏の期間を経て5年で4回の優勝を成し遂げている中村憲剛のいた川崎フロンターレなど

こうしたチーム名が最強チームとして挙げられるが、鹿島の名前がないのはなぜなのか?。

象徴的だったのは、アントラーズ・ジュビロ時代と呼ばれた90年代後半から2000年代前半の戦いだ。
2001年シーズン。ジュビロ磐田は、リーグ戦で勝って勝って勝ちまくり年間で3敗しかしていない驚異の強さを誇ったチームだった。
対する鹿島はファーストステージをチームワースト記録の11位で終えている。
だが、鹿島とジュビロによって争われたチャンピオンシップを制したのは鹿島だった。
後にジュビロの名波浩は
「どんだけ勝てば優勝させてもらえるんですか?って感じ」
と2ステージ制を皮肉った。
そのせいかどうかは分からないが、2005年に1シーズン制へと移行している(2015年に2ステージ制になり2017年から1シーズン制へ)。


01年シーズンのジュビロ磐田の戦績は、ファーストステージ1敗で優勝、セカンドステージ2敗で2位という完全優勝まであと一歩というものだった。

この成績で優勝できなかった悔しさのせいか、02シーズン、ジュビロは両ステージを制覇し完全優勝を成し遂げている。
参考までに、1996年から2002年までの優勝チームをあげておく。
96鹿島、97磐田、98鹿島、99磐田、00鹿島、01鹿島、02磐田
因みに、ジュビロ・アントラーズ時代の7年間を挟む95年と03年04年の優勝チームは横浜Fマリノスである。連覇は日本代表監督だった岡田武史氏によるものである。

岩政氏が言う「勝てるチーム」だった鹿島はこの後オリベイラ監督のもとリーグ3連覇の偉業を達成するものの2016年を最後に優勝から遠ざかっている(2018年にアジアチャンピオンズリーグで優勝! クラブワールドカップではレアル・マドリードと対戦し、柴崎岳が2得点をあげている)。


ご覧いただいたように、Jリーグ加盟時には10番目のチームに過ぎなかった鹿島アントラーズ(内田篤人風に言えば満さんFC)は、地域密着というリーグ理念を最もよく体現したチームとして、称賛をほしいままにして来た。まさにリーグの優等生となった。
リーグ発足時の10チームを敬意を込めてオリジナル10と呼ぶが、この中でJ2への降格を経験していないのは、鹿島アントラーズと横浜Fマリノスの2チームだけなのである。

こうしたチームを強化の第一線で、また強化責任者として築き上げてきたのが、鈴木満なのである。

住友金属から鹿島アントラーズへ。
サッカークラブは企業のものから地域のものに変わった。

そしてチームは家族であり、サポーターも家族の一員であるということを鹿島では「鹿族(かぞく)」と表現する。
そうタイトルの写真にあるように、鹿島はファミリーなのだ。
スカウトから移籍までとことん面倒を見るのが鹿島の流儀だ。
選手は商品ではなく家族。これも満さんの思想である。


2021年に100周年を迎えた日本サッカー協会。
男子のワールドカップ出場を悲願とし、プロリーグを作ることで98年にそれを実現。
2002年には日本と韓国での共催という形で自国開催を実現した。
鹿島スタジアムはその会場となったのである。
そして初めての決勝トーナメント進出。

2021年の東京オリンピックでは、あと一歩のところでメキシコ越えがならなかったけれど、4強に入った意味は大きい。


満さんの次の時代。鹿島は何を目指し、何を持って鹿島らしさというのだろうか?
Jリーグは、わずか10チームで始まり58チームにまで増えた。

少子高齢化が進む日本。地域が抱える問題は深刻さを増している。
クラブ創設半世紀となる2041年には「鹿島アントラーズは消滅している」という未来予測を出したアントラーズ。

その予測を打ち消し、生き残りのための第2章がこれから始まる。

私たち鹿族は、消滅を免れることができのるだろうか?
目指すはローカルエリアに存するビッグクラブである。

鹿島というクラブを、鹿島という地域を、鹿族皆んなで応援して行こう。
鹿島の第2章は、私たちサポーターの意識改革と協力なくしてはあり得ない。
ポスト満さんの時代。美しく勝つサッカーで茨城から旋風を巻き起こす。
私たち鹿島の歴史は「不可能を可能に変えてきた」歴史である。

イングランドならマンチェスターやリバプール、イタリアならトリノのユベントス。
首都以外に本拠を置く強豪クラブとして、生き残るだけでなく栄光の歴史を再び築き上げるのだ。

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