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小学6年生から15年間続けてきた日記を全て捨てて気づいたこと


いつから始めたのか、なぜ始めたのか全く覚えていないが、少なくとも小学6年生の時には書き始めていたらしく、当時小六から現在まで約15年間分の日記が手元にあった。
祖母も母も日記をつける人だった。
人一倍好奇心があり、途方もなく飽き性で、凝り性でもないのでどれも半端で身にならない。私はそんな感じでもうフラフラと四半世紀以上を生きてしまっていた。そんな私が唯一、本当に唯一続けていたものが日記だった。

ある時平凡な人生に心中という言葉が現れたので、私は動揺して、半分本気半分冗談でもやっぱりあるかもしれないと半分本気で、身辺整理を行った。日記は死ぬ前に処分するものNo. 1だったので、全て処分した。

しかしコトは起こらず日常は変わらず、私にはただ膨大な15年間分の日記を捨てたという事実だけが残った。

その後の心境の変化について、そして私にとっていったい日記がどういう存在になっていたのか、この出来事を通じて初めて知り、どなたかにお読みいただきたいと思い、このnoteに書いた。

日記を捨てた私が日常に戻りまず感じたのは「寂しさ」だった。もっとすっきりさっぱりするのかと思いきやこれがもう心もとない。捨てたもののことなんか大抵捨てたその日に忘れるのに、日に日に惜しい。

捨てる前、溜めた日記をたまに読み返したりすると、すっかり忘れているものかと思うが、忘れているだけでその日その日を意外にもしっかりと覚えていて、本当に毎日が積み重ねでしかないことがよくわかった。日々は平凡にみえて、書きとめているときは何も思っていないが、確かにその日その日起こった事で、私の人生は動いていた。私はもうすでにこの時宝物を捨ててしまったような気持ちになっていた。

しかし捨ててしまったものは二度と戻らない。喪失感を埋める手立てとして、私はひとまず「そんな大したことは書いていなかった」と思うことにした。事実本当にそうなのである。ツラい時期の日記は苦しそうでその時の気分が蘇ってしまうし、恋愛しているときの日記なんて浮かれていてとても読めない。
読んで気分の良い場所は限られている。
それでも、私は自分が書きとめたあの不揃いな日記帳の束を手放したことに、未練が残っていた。

日記の書き方には変遷があった。
最初はただ何も考えずに書いていた。その後日記を見られるという大事件(当時小学6年生)が発生した為、端的な日記に移行した。高校生になるとさらにその度合いが増し、事実のみを書くという書き方になった。しかし名前だけ頻繁に出てくる人物がいるなど、その出来事を取り上げているということで大体の気持ちが把握でき、書いてあることが事実だけでもその時の気持ちなど案外汲み取れた。

大学に入ると感情を中心に書くようになった。理由は、読まれるリスクよりも自分にとってためになる方を優先しはじめたから。この頃から自分自身の言葉に自分を勇気づける力があることに気づいた。書いた日記を読み返すと、なかなか良いこと言うじゃないの、と思っていた。また書いているうちにいい言葉が自分の中から出てくる。それが自分に元気をくれた。私は私によって元気付けられ日々を生きていたのかもしれない。

就職すると私はますます日記を楽しく書いていた。就職と同時に一人暮らしを始めた為、自分の時間が作りやすくなったことも大きかった。新しい環境での仕事は激動の日々で、毎日色んなことを感じ、それらを日記に書いていると1ページはすぐに埋まった。

心が不安定になると、私の日記はパタリと更新が止まった。書けなかった。書く気にならないような、重苦しさが、身体を心を蝕んでいた。

人生の闇のような時間を越えるとまた私は日記を書いていた。基本的に文字にまでするのだから、楽しいことよかったことを無意識ながら中心に書いていることが多かった。


大量の日記は捨てた。そして、また私は日記を書いていた。書かずにはいられない気持ちはnoteを利用している方の多くにはわかっていただけるような気がする。

日記を書くことで、私は私自身の言葉で今日という日を肯定し、明日も良い日になると思って眠る。日記は私のカンフル剤だ。

捨てたことへの後悔は、もう無い、ことはない。未練は残っている。
ただ、今も私は毎日今日の私の為に日記を書いている。

いつか、処分もできずにこの世からいなくなり、日記を見られてしまう日がくるとしても、私はこれからも、日記を書かずにはいられないだろう。

くだらない日々を書きとめた日記は私の宝物だった。日記はもうない。

日々はおそらく宝物だ。なんだそんな言葉は誰もが知っている。でも事実だ。特別な日もなければ普通の日もない。毎日違っていて、その日という1日だ。

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